JUJU苑 スーパーライブ  スナックJUJU東京ドーム店

8月にスナックJUJUのライブに行きました。

私の少年野球チームの監督を連れて行ったわけですが、その時の感動と興奮が忘れられずに今日まで過ごしておりました。

スナックJUJUというコンセプトのライブ!

日々スナック通いをしている私にとってはこんな楽しいライブは他にないわけです。

幼少期から音楽が大好きだった父親のレコードを聴いて育った影響で昭和40年~50年代の歌謡曲は私の原点でもあります。

 

 

そんなスナックJUJUが東京ドームでコンサートを再び行う!という告知は8月の東京国際フォーラムでのライブで発表されました。

絶対に行く!

そう心に誓い2023年が幕を閉じました。

 

 

2024年1月

いよいよチケットが発売となりまして抽選の結果見事4枚をGETです。

以前からスナックJUJUのライブに行ってみたい!と懇願されていた仲間と共に2月17日を心待ちに過ごしました。

 

 

ライブの前日になって1名が仕事の都合でドタキャンです。

仕方がないのでピンチヒッターとして長男を連れて行きました。

この日は仕事を完全に休みにしたので昼過ぎから水道橋でお酒を飲むことに・・・

昼間から営業しているお店は限られていましたが、ここはきちんと営業してくれていました!

 

 

「庄や水道橋店」

 

 

私の最初の職場でもある「庄や」

どこの店舗に行っても本当に安くておいしいものが食べられます。

 

 

昼過ぎからビール3杯、レモンサワー2杯、ハイボールを2杯いただき、ほろ酔い気分で東京ドームへ向かいました。

 

 

東京ドームに到着すると多くの人で賑わっています。

しかし!ここで混乱が生じます。

今回のライブでは来場者全員にLEDライトのついたリストバンドが配布されます。

そのリストバンドを来場時に受け取るのですが、私が入るはずのゲートではそのリストバンドの配布が出来なかったようで長蛇の列になっておりました。

係員もあたふたし始め20分近く会場に入れず待機をさせられてしまいます。

しばらくすると「あちらのゲートからお入りください!」とアナウンスされ別のゲートへ移動!

ところがここも大混雑です。

何とか入場しましたが、今度はリストバンドがもらえません。

またしばらく待たされます。

すると奥の方から大きな段ボールを抱えたスタッフが走ってきました。

段ボールの中にはリストバンドが大量に入っております。

それを何を思ったか?床にドンとおいてセルサービスで取るよう指示が出ます。

こうなると大変です。

あちらこちらから人が段ボールに集まりまるで昭和のバーゲンセールのような状態になります。

なかには2~3個持っていく人の姿もありました。

運営側の手違いなんでしょうがアルバイトさんがかわいそうでしたね。

何とか席に着けたのは開演の10分前でした。

 

 

東京ドームは超満員です。

40代~60代の方が多かったと思います。

そしていよいよライブが始まりました。

 

セットリストはこちら!

 
1、二人でお酒を
2、メモリーグラス
3、じれったい
4、桃色吐息
5、異邦人
7、め組のひと(with鈴木雅之)
8、違う、そうじゃない
9、め組のひと
10、ロンリーチャップリン
11、私はビアノ
12、恋におちて
13、Love is over(お客様とデュエット)
14、翳りゆく部屋(今月のユーミンというコーナー)
15、フレンズ(with NOKKO)
16、ラズベリードリーム
17、Mayde  Tomorrow
18、なごり雪(アコギで)
20、伊勢佐木町ブルース
21、どうにもとまらない
22、言葉にできない(with 小田和正)ピアノ弾き語り
23、Yes -No
25、あゝ無情
26、嵐の素顔
27、悲しい熱帯魚
28、DESIRE 
29、ミ・アモーレ
30、喝采
 
JUJUとして、アンコール
31、一線(新曲 初披露)
32、2024JUJUメドレー
 
約3時間10分の長いライブでしたが、こんなにも盛りだくさんのライブは他ではなかなかないと思います。
特にすごかったのは3人のスペシャルゲスト!
この3人の生歌を聞けるだけでも大変価値のあることですね。
JUJUとのデュエットも本当に素晴らしかったです。
最後は感動のフィナーレでした。

 

 

興奮冷めやらず、そのまま地元のスナックへ!

 

 

ママがこの日のライブの土産話を楽しみに待っていてくれていたので夜は本物のスナックで大盛り上がりでした。

 

 

深夜1時

自宅に戻りましたが興奮が冷めやらず・・・

 

 

ピアノで昭和歌謡を弾いていました。

気がついたら朝に・・・

翌日は妙なテンションで仕事をしていましたが、これもまたいい思い出でしょう。

素晴らしい経験でした。