末っ子の入学式

卒業式から数週間後

末っ子の大学の入学式でした。

 

 

末っ子は指定校推薦で大学への進学をあっさり決めました。

長男も指定校推薦、娘はスポーツAO入試、末っ子も指定校推薦・・・

ということで我が家の子供は3人とも大学入試を受けることなく入学したわけです。

 

 

末っ子の将来の夢は「学校の先生」!

なんでも中学校の時に出会った先生(野球部の顧問)にとても刺激を受けたようです。

今でも草野球を一緒にしたりしていますが、その先生をとにかく慕っております。

そんな先生になりたい!との思いから大学は「教育学部」を選択しました。

以前も書きましたが、私の両親は教員でした。

父方の祖父、祖母、叔父、叔母も教員です。

母方の親戚も教員です。

しかし!孫が大勢いるにもかかわらず誰も教員になりませんでした。

(娘は教職を取りましたが・・・)

私が大学で教職を取らなかった際には親戚全員が「うそでしょう!」というくらいがっかりしたというエピソードがあるくらいです。

そんな我が家系から再び教員を目指す人間が現れました。

末っ子の進路選択を一番喜んだのは私の父でした。

実家にある祖父母のお墓に報告に行ったくらいでしたから。

世代を超えて教員が誕生する日も近いかもしれません。

そんなことよりも驚いたのが末っ子が選んだ大学です!

 

 

実は私とカミさんの母校でもあります。

(ちなみに義理の母も同じ大学卒業です)

親子3代で同じ大学に進むなんて・・・

本当に考えてもいませんでした。

 

そんな大学の入学式!

もちろん夫婦で参加です。

 

 

私が母校の敷居をまたぐのは実に24年ぶりでした。

カミさんと出会った場所。

いいことも嫌なこともたくさんの思い出が詰まった場所。

私の人間形成の原点になった場所です。

 

入学式では「校歌」が斉唱されました。

もちろん歌えるわけですが、驚いたのは他の多くの父兄も歌っていたことですかね?

同級生とかひょっとしたらいたのかもしれません。

 

卒業式のあとは自分たちが通った校舎を訪れてみました。

 

 

学食や教育棟などは建て替えられ昔の面影は全くありませんでしたが、文学部第3校舎はそのまま残っていました。

ここで毎日学んだわけです。

一番思い出深かったのはロビーでしょうか?

 

 

サモトラケのニケ」の銅像の下には当時ソファーが設置されていました。

夜10時から翌朝7時までコンビニエンスストアの深夜のバイトをしていた私は朝8時前にはこのロビーに到着し、授業が始まる9時まで仮眠を取っていました。

8時50分になるとカミさんが私を起こしに来てくれていまして・・・

毎日学校のロビーでリアルモーニングコールをもらっていたわけです。

毎朝寝ているもんだから「あいつ学校に住んでいるんじゃないか?」という噂も立ちました。

今はロビーの使用用途も校舎の名前も変わっていましたが当時の面影はそのままあり感慨深かったです。

 

 

その後は大学内を二人で歩きました。

歩く速さ、二人の距離感、関係性は27年前と全く変わりません。

「おもえら本当に付き合っているの?」とよく聞かれるくらいお互いマイペースでしたから。

懐かしい思い出が蘇るとともにこの学校へ通って本当に正解だった!と心から思える日でもありました。

 

「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑を以って担当せよ」

我が母校の教育理念です。

今だからこそ心にしみます。

 

末っ子がどんな4年間を過ごすのか?

楽しみです。

 

夜は家族で食事をしました。

 

 

食事の席で末っ子に「友達できたか?」「連絡先何件入手した?」って聞いたら「は?」って顔されまして・・・

「俺は登校初日にPHSとポケベルの番号書いたメモを手当たり次第配ったぜ!」って話したらカミさんにすかさず「それ速攻で捨ててたわ私!」って言われてしまいました。

まーコロナで青春を多く奪われた世代です。

昔のようなノリの人間はいないんでしょうね。

それにしても自分は本当に頭が悪かったんだな〜とあらためて思った瞬間でもありました。

とりあえず入学おめでとう。