新型コロナウィルスの感染拡大で生活は大きく変わりました。
今まで当たり前のように行っていたすべての行動が制限されてしまったわけです。
私の大好きなハマスタでの野球観戦はもちろん、週に2~3度行っていたスナック通い、友人との楽しい会食、取引先との夜の打ち合わせなどなど・・・
全て人との接触が「3密」と呼ばれる場所で行われていたため、そのほとんどがなくなりました。
唯一変わらんかったのは仕事だったのでそれだけは救われた感じでしょうか?
生活が一変すると家にいる時間が無条件に増えます。
普段からあまり家にいることのない自分に正直居場所はありません。
リビングでTVを見ながらお酒を飲み、そのままリビングのソファーで寝落ち・・・
そんな姿に家族のイライラは積もるばかりでしょうか?
もちろんそんな生活を続けていても心が満たされることなどありません。
毎日ダラダラと過ごす自分自身にも嫌悪感を抱き始めました。
そんな時、ふと私の目に飛び込んできたのがリビングに置いてあるピアノでした。
長男には4歳からピアノを習わせました。
自分が習っていたピアノを子供にも押し付けたわけです。
実はカミさんもピアノを小学校を卒業するまで習っていたので夫婦の意見は一致していました。
ちなみにカミさんは絶対音感を持っていたりします。
長男には楽しくピアノを続けてもらうために、大手のピアノ教室ではなく私同様に個人でやっている教室に通わせました。
同時に安月給にも関わらずそれなりに高価なピアノも買い与えたものです。
親の心配をよそに、長男は真面目にピアノを習いどんどん上達していきます。
結局高校生になるまで11年ほど習い続けてくれました。
高校生になると長男は軽音部に入りベースを弾き始めます。
この頃から、リビングにあるピアノから美しい音色が聞こえてくることも少なくなりましたかね。
鍵盤の蓋が閉まったままのピアノを見るたびになんとなく寂しい気持ちになったものです。
そのピアノが急に動き出したのは昨年の4月でした。
未知の新型コロナウィルスの感染拡大により最初の緊急事態宣言がでたあの時です。
家にいる時間が増えた私はなんとなくピアノの前に座りました。
そして無意識に昔よく弾いていた曲を弾いてみたんです。
しかし!!
20年以上鍵盤に真剣に向かうことなんてなかった自分です。
頭の中で響いている曲と実際に弾いている曲のギャップに驚くばかり!
指は全く動かず、鍵盤のタッチもいい加減です。
ブランクとはまさにこのことです。
上手く弾けない自分に嫌気がさしたのか?私は曲を弾くことを一時的に断念しコードをピアノで奏でて楽しむ事にしました。
コードと出会ったのは中学1年生の時です。
それまで私は五線譜に書いている音符を見ながらピアノを弾いていました。
しかし、瞬時に音符を読み取る「譜読み」が昔から苦手だったんです。
そんな時に尾崎豊に憧れ父親のフォークギターを弾き始めました。
ギターはピアノと違い最初はコードを覚えます。
毎日部屋に籠りコードを覚える日々!
3か月も経つと20個ほどのコードを手元を見ないでも抑えられるようになりました。
そこで気が付いたんです!
コードって超楽だ!という事を。
ギターでコードを覚えると今度はピアノでコードを覚えました。
これはたった1週間で覚えられました。
コードを覚えてしまうとどんな曲でも伴奏くらいは簡単に出来るようになります。
それまでは有名なヒット曲をピアノで弾きたくて、高いお金を出してピアノ譜を買っていましたが、コードさえわかればピアノ譜はもはや必要ありません。
毎月発売される「月刊歌謡曲」さえ買えばどんな曲だって簡単に弾けちゃうんですから。
「月刊歌謡曲」は高校3年生まで毎月欠かさず買っていましたね。
高校生になるとコードさえわかればどんな曲でも伴奏できるため、学校に置いてあるピアノで色々な曲を弾きました。
当時は90年代!空前のミリオンヒットブームです。
私の伴奏に合わせて誰かが歌を披露する毎日。
昼休みはちょっとしたカラオケBOX状態でした。
大学生の時には学食に置いてあるピアノでヒット曲を良く奏でていました。
今のようにYouTubeやデジタル音楽プレーヤー、スマホがない時代です。
発売されてすぐの曲をコードで奏でるだけでたくさんの人がピアノの周りに集まりましたね。
そこにかぶっていた帽子を置いてチップを集めたこともあります。
リクエストに応えて30分も弾くと、毎回千円くらい集まったのでそれを学食代に当てたりもしていました。
一番の思い出は新宿のバーでバイトをしたことです。
そこのバーは少し変わっていて、居酒屋のようなスタイルなのにピアノの生演奏が聴ける小さなお店でした。
そこのオーナーは大学の先輩のお兄さんでした。
そこでピアノを弾いていた女性アルバイトさんが産休に入る為、2か月でいいからバイトをしてくれないか?と頼まれました。
大好きなピアノを弾いてお金がもらえるなんて夢のような話です。
二つ返事でOKをし数日後お店に行きました。
まず最初に「ピアノを弾いてみて」とオーナーさんに聞かれたので簡単な曲を弾きました。
すると「う~ん、微妙だけど何とかなるか~ 店内にある楽譜を適当にみて練習しておいて」と言われました。
店内にはクラシックからJAZZにわたるまで様々な楽譜が置いてありまして、私はパラパラとめくっては弾けそうな曲を弾いていました。
しばらくすると店内に続々とお客さんが入ってきます。
お客さんは私を見てすぐに「新しいバイト君!今日は何を聴かせてもらえるのかな」と言いました。
私はカッコつけて「リクエストがあれば弾かせていただきます!」と答えました。
すると「じゃ~JAZZっぽいのを頼むよ」と言われたんです。
正直焦りました。だってJAZZなんて弾いたことないんですから・・・
とりあえず「弾けません」とも言えず、スティービーワンダーの「 I Just Called to Say I Love You」を弾いたんですが・・・
お客さんからの反応はイマイチでした。
気を取り直してカーペンターズの「(They Long to Be) Close to You」「Superstar」「Yesterday Once More」を立て続けに弾いてみました。
すると中年のお客さんから「お兄ちゃんピアノ下手だけど歌はうまそうだな!一曲歌ってみて」と言われたんです。
一瞬「え?」と思いましたが仕方がないので当時流行っていた藤井フミヤの「TRUE LOVE」を弾き語りで歌いました。
するとカウンターで飲んでいたお客さんから拍手とチップをいただけたんです。
オーナーさんからも「とりあえず歌っておきな」と言われその後2曲ほど歌いました。
すると一人のお客さんがオーナーにこう聞きました。
「俺も歌って大丈夫?」
オーナーは大きな声で「もちろん!」と言いました。
するとお客さんは私のところに来て「演歌弾けるか?」と・・・
またまた「えっ?」と焦りましたが、有名な曲でコードがあればと答えました。
私はすぐに持参した「月刊歌謡曲」をパラパラめくり演歌を探しました。
すると昭和の名曲という特集に数曲の演歌のコードが載っていました。
それを見せたところ「これがいい!」とお客様が選んだ曲が「津軽海峡冬景色」!!
当時コードは完璧に覚えていたのですが、キーをすぐに上げたり下げたりする技術はなかったので「女性キーで歌えますか」と聞きました。
するとお客様は「女性キーって何?」というので「変なこと聞いてしまった~」と思いそのままのキーで弾くことに!
なんとなくイントロを手探りで弾いてお客さんの歌唱が始まりました。
するとこのお客さん!めちゃめちゃキーが高くて裏声を交えながら歌い始めたんです。
歌い終わるととても気持ちよさそうな顔で「ありがとう」と言われ、チップを千円いただきました。
こんな感じでなんだかよくわからないうちに初めてのバーでのバイトが終ったんです。
3日後、2回目のバイトに行くとオーナーから「今日から演奏よりも伴奏でお客さんが歌えるような曲弾いてて」と言われました。
何だかお店のコンセプトとは全く違う感じになってしまいましたが、その日も3名のお客さんが私のピアノに合わせて歌ってくださいました。
この日から美しいピアノを聴きながら飲めるバーはスナックのような雰囲気に!
オーナーさんもお客さんも喜んでくれていたので私も本当に充実したバイトでした。
しかし、所詮は素人のピアノ伴奏です。
途中で演奏を間違えたりコードを追えなくなるようなこともあって、気持ちよく歌っているお客さんのテンションを下げてしまうことも何度もありました。
それでも自分にとっては最高に充実した時間だったことは間違いありませんね。
そんなアルバイトも長くは続きませんでした。
2ヶ月後に別のピアニストさんが見つかり私は用なしとなりました。
オーナーは週に1度くらいならいいよ!と言ってくれましたが、上手なピアニストさんに敵うわけもありませんし、比較されてしまうのもなんだか悲しかったので結局12回ほど働いて辞めました。
最後の出勤日にアルバイト代の一部で演歌や歌謡曲の楽譜を何冊か買ってお店に寄付したんですが、常連のお客さんからは「これでまた歌えるんじゃん!今までありがとう」と言われ、うれし涙を流したことはいい思い出です。
コードを覚えたことで私のピアノや音楽との向き合い方は大きく変わりました。
それ以降コードはもちろん独学で音楽理論なんかも一生懸命勉強しました。
しかし、所詮は素人のまねごとです。
知識に技術が追い付かないことに気が付き、就職活動が本格化するとピアノから遠ざかっていきました。
ちなみにバーでのピアノ演奏のバイトとコードを覚えたことをピアノの恩師に報告したところ、ものすごく怒られました。
恩師はゴリゴリのクラシック派です。
最後まで「譜読みをきちんとしなさい!」と厳しく指導されましたね。
コードの思い出でした。