「親友」と呼べる人は何人いますか?
人一倍人見知りでシャイな自分ですが、職業柄友人は多いです。
結婚して新しい土地に移り住んでから、しばらくは友人と呼べる人もできずに一人で過ごすことが多かったのですが、子供たちが幼稚園や学校へ通いだすと、親も必然的に多くの人に出会うものです。
子供の同級生の親たち、仕事関係からプライベートでも仲良くなった人たち、地元のコミュニティーに属している人たち、飲み屋さんで知り合った人達などなど・・・
おかげさまで今では本当に多くの友人に囲まれそれなりに楽しく過ごせています。
でもこの世の中で「親友」と呼べる人間はたった一人しかいません。
共働きの家庭に育ったため、生後2か月で保育園に預けられました。
霊長類最強の母は産後すぐに仕事復帰したんです。
今みたいに「産休」や「育休」と言った制度が40年以上前には充実していなかったんでしょう。
気が付いたら保育園で丸1日過ごす生活が始まっていました。
その保育園に預けられた時、隣のベットで寝ていたのが親友のHでした。
Hは11月生まれ、私は1月生まれ。
Hとはいつも保育園では隣同士で面倒を見てもらっていたそうです。
物心つく頃には常にHと一緒に過ごすようになりました。
2人は同じ時間に保育園に通い、お迎えの時間も大体一緒でしたので、母親同士もすっかり仲良くなったようです。
保育園時代はHといつも戦隊ヒーローごっこをして遊びました。
お互い控えめな性格だった為、一緒にいると居心地が良かったんでしょうね。
小学校に入ると毎朝一緒に登校しました。
家も100メートルくらいしか離れていなかったため毎朝Hの家に行き一緒に学校へ向かいます。
中学校に入ってもそのルーティーンは続き、気が付けば9年間毎日一緒に登校していました。
しかし、面白いもので9年間でHと同じクラスになったことは一度もありません。
それぞれクラスに別々の友達が出来ましたが、それでも多くの時間と一緒に過ごしたものです。
お互いの家を行き来することも多かったので、もはや家族同然に扱われていました。
初めて人の家に泊まったのも、初めて誰かが泊まりに来たのもHでした。
4歳からは同じピアノ教室に通い始めました。
音大生だった恩師が自宅で始めたアットホームな教室です。
先生はヤンチャな男の子の面倒をまとめて見るために、レッスンは常に2人が同時に教室に通える時間にしていました。
お互いにピアノがある程度弾けるようになると発表会では「連弾」をさせられました。
当時ピアノを習っている男子はまだまだ少なく、気が付いたら教室の広告塔に利用され始めます。
おかげで男子の生徒さんは増えたはずです。
発表会では毎回「連弾」をさせられたのですが、一番印象に残っているのがハチャトゥリアンの「剣の舞」と坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を披露した時ですかね?
「剣の舞」は確か小学5年生の時に弾きました。
お互い指の力が強かったため、鍵盤を思いっきり叩きながら常にフォルテで引いた記憶があります。
互いに一糸乱れることなく完璧に弾いた時のあの気持ちよさ!お客さんからの大きな拍手!今でもすごく印象に残っています。
「戦場のメリークリスマス」は高校生の時に披露しました。
当時2人は「YMO」に夢中でした。
お互いにテクノポップが好きになった影響で、2人ともアルバイト代でシンセサイザーを買いました。
そのシンセサイザーとピアノで披露したのですが、これまた素晴らしい演奏が出来まして・・・
あの時のパフォーマンスは今考えても本当に素晴らしかったと自信を持って言えますね。
高校、大学と別々の進路を選んだため一緒に過ごす時間は少なくなりましたが、なんだかんだで週に1度は会っていたと思います。
ちなみに私はバリバリの「文系」でHは「理系」
互いに苦手な分野の大学のレポートは交換して書いたりもしました。
22歳で私が結婚した時もすごく祝福してくれました。
カミさんとは何回も顔を合わせていたので、おめでた婚を報告した時には「おまえらしいな!」と笑われましたね。
私の結婚式ではピアノを演奏してくれて感慨深いものもありましたね。
長男が生まれた時にもすぐに駆け付けてくれて我が子のように可愛がってくれました。
自分に遅れること6年。
Hも素敵な女性と結婚しました。
その結婚式がまた異様でして・・・
Hはこじんまりな結婚式がしたかったようで、都内にある洋館で式を行いました。
参加者は身内だけ!
Hの両親と兄、奥さんの両親と3人の兄弟!
そこに何故か呼ばれた血縁関係のない私。
完全にHの家族の一人という立場で参列したんです。
奥さんのほうの家族からしたらさぞかし不思議な人間だったことでしょう。
その後はお互いに忙しくなり、離れて暮らしていることもあって、会う機会も減りました。
10年ほど前までは1年に数回帰省するたびに会っていましたが、ここ2~3年は会っていません。
連絡もほとんど取ることはなくなりました。
しかし、お互いになんか通じ合うものがあるのでしょう。
「あいつどうしてるかな~」と思った時に必ず連絡が来るんです。
会っていなくても連絡を取っていなくてもそんな瞬間を何度も経験すると「心は繋がっているんだな~」とつくづく思います。
先日Hの誕生日だったので「どうしているかな」と気になりメールをしてみました。
するとすぐに返事が来ました。
なんとなく私から連絡があると思っていたのか?すぐにですホントに。
しかし、一番驚いたのはそのメールの内容でした。
Hには小学生になる息子がいます。
何度か会っていますが、とても礼儀正しく頭の良いしっかりした子です。
奥さんの躾がいいのでしょう。
その息子もまたピアノを習っています。
しかも私とHがお世話になった恩師の教室で!
そしてその子がまた凄いことになっていたんです。
ピアノの全国コンクールで金賞を受賞したんだとか?
YouTubeにも公開されているとのことなのですぐにカミさんと見てみました。
大きなグランドピアノに向かい、踏み台に足を乗せながら弾く幼い男の子。
しかし、その演奏は大人顔負けです。
強弱はもちろん、鍵盤のタッチ一つ一つがとても丁寧で相当な腕前でした。
しかもその演奏する姿がレベルは違えど35年前のHそっくりで・・・
恩師の指導力の高さにも脱帽でしょう。
我が子のようにうれしく感じながら何度も見てしまいました。
Hとはもう3年ほど会っていません。
その間連絡も2~3回程度。
でも会った時には本当に自然と会話ができるんです。
お互いお酒が好きなのでいつも宴はエンドレスになります。
コロナが少しづつですが落ち着いてきたので、来年あたり会いに行こうと思っています。
自分の弟よりも付き合いが長い親友H。
死ぬまで二人の関係性は決して変わらないのでしょうね。