ヤクルト1000

40歳を過ぎた頃からでしょうか?

体の衰えを本当に感じるようになりました。

疲れが取れなかったり、夜更かしが出来なくなったり、体のあちこちが傷みだしたり・・・

さらに白髪が急激に増えたり、掻きこわした皮膚の傷がなかなか治らなかったり、シミが増えてきたり・・・

今まで他人事のように感じていた事象が自分事に変わる中で「歳を取るとはこういうことなのか~」と少しづつ理解をし始めた今日この頃であります。

 

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5年ほど前の健康診断で最悪の数値が出ました。

肝臓の数値と内臓脂肪のパーセンテージが非常に悪かったんです。

健康そのものでしたので数値を見せられた時には少し驚きました。

同時に自分の健康について深く考えさせられるきっかけにもなりましたね。

そこで運動を始めました。

手始めに今まで気が向いた時にしか行かなかった「登山」を月に1~2回のペースで行くようにしました。

お客様から誘われた「ソフトバレー」も週2で始めました。

10年前に始めたランニングも定期的に行うようにしました。

昨年からは草野球も始めました。

おかげで昨年の健康診断はオールAという素晴らしい成績でした。

やはり普段の心掛けが大切だな~と思うばかりです。

 

そんな健康に気を使いだした私でもどうしても不健康になる季節があります。

2月~4月の花粉の時期です。

この世に生を受けて44年。

花粉症歴も同じく44年です。

昔からアトピーがひどく、特に春先に症状がひどくなるので母が調べたところ花粉に対するアレルギーが人一倍強いということが分かりました。

物心がつく前の事なので気が付いたら花粉との戦いが始まっていたという印象です。

小学生の時もポケットには常にポケットティッシュが入っていました。

中学生と高校生の時にはテッシュの箱を常に持ち歩いていました。

大学生の時はあまりに症状がひどい時は学校に行かないという選択肢もありました。

勤め始めてからも鼻をかんでは仕事して、また鼻をかむ繰り返しです。

今でも「鼻セレブ」はマストアイテムでもあります。

毎年ですが花粉との戦いは壮絶です。

 

2月の中旬あたりから徐々に症状が現れます。

最初は目のかゆみ、続いて鼻水とくしゃみ、3月に入ると顔を中心に肌荒れが起こり始めその後は全身がかゆくなります。

花粉の量が多かった年にはアナフラキシーショックが起きたこともありました。

仕事に支障をきたすわけにもいきませんので、病院で処方された薬はきちんと飲んでおりますし、目薬も薬局で一番高いものを使っております。

それでもなかなか症状は治まりません。

一度病院に相談したら中和抗体の注射を打った方がいい!と言われ試しましたが、効果は限定的でした。

こればかりは我慢するしかないと悟りましたね?

 

10年ほど前からヤクルトを定期購入しています。

長男の同級生のお母さんがヤクルトレディーだったことから飲み始めました。

当時話題になっていた「ヤクルト400」を毎日欠かさず飲むようになったんです。

おかげで毎日快便!お腹の調子が悪くなることなどほとんどありません。

次第に家族もヤクルトを飲むようになりました。

今では毎週30本のヤクルトが我が家に届きます。

そんな時、「ヤクルトが花粉症に効果がある!」という噂が広まりました。

すでに毎日飲み続けている私にとってそれは非常に嬉しい噂でした。

それでも花粉症は相変わらずひどいままでしたね。

しかし昨年の夏、ヤクルトレディーがある新商品を持ってきてくれました。

「ヤクルト1000」

400よりもさらにバージョンアップした商品です。

早速400から1000に切り替えました。

 

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そして迎えた2022年の花粉シーズン!

今年も戦いが始まる!と戦々恐々としていました。

しかし、例年よりも症状はなぜか控えめです。

「まだまだ油断はできないぞ!」と身構えておりましたが、43年間苦しめられた激しいアレルギー症状はなかなか起きませんでした。

気が付いたら3月も下旬になりました。

くしゃみや目のかゆみは相変わらずありましたが、具合が悪くなるほどの症状は出ません。

「これって・・・」

そうこうしているうちに2022年の花粉症との戦いは終わっていました。

間違いなく「ヤクルト1000」の効果があったと信じています。

気持ちの持ちようかもしれませんが、44年間の花粉症との戦いの中で一番楽な戦いであったことは間違いありませんね。

 

今日も我が家には30本のヤクルトが届きました。

ヤクルトの支払いは月に1万円近くになります。

カミさんは「ヤクルトに1万円も払うのどうなのよ?」と毎回愚痴っていますが、この10年間、家族が誰一人風邪をひいていないので、我が家族の健康維持に一役買っていることだけは間違いないでしょう。

 

花粉症で毎年お悩みの方!

ぜひ一度「ヤクルト1000」をお試しください。

その時だけ飲んでもダメだと思います。

まずは1日1本!継続して飲んでみてはいかがでしょか?

 

*ヤクルトの回し者ではありません。

 

ボディーメンテナンス

数年前からプライベートで本格的に体を動かす趣味を始めました。

草野球・ソフトバレー・登山・ランニングなどなど・・・

もちろん仕事でも重いものを持ったり運んだりするのでそれなりに体を動かしてはいますが、運動で動かすのとは少し違います。

それでも、デスクワークはほとんどないので体は動かしている方だとは思います。

(ちなみに300坪しかないお店で一日平均8000歩は動いています)

そんな私の体に突然異変が起こります。

 

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3年ほど前に20年以上勤めてくれていた女性スタッフが退職しました。

そのスタッフには売り上げや在庫の入力、電話対応、請求書の整理、月末の棚卸などの事務仕事を全て任せていました。

おかげで私は販売と作業に専念出来てたのですがそうもいっていられなくなります。

すぐに新しいスタッフを探しました。

若い女性スタッフが入り仕事を任せようと思いましたが、なかなかすぐに出来るようにはなりません。

私が常にサポートする必要がありました。

その若いスタッフも1年あまりで退職します。

そうなると当然全ての事務処理を自分がやらなければいけません。

販売をし作業をし、電話対応もしながら書類仕事もしなければいけない日々・・・

全ての業務が出来る人間が私一人しかいないのも問題なのですが、これが中小企業の現実でしょう。

次のスタッフが見つかるまでの半年間、私は毎日16時間は会社にいたような気もします。

 

ある日仕事をしていると左手に違和感を感じました。

お店が終わった後、事務仕事を一人残ってやっていた時です。

突然左手全体がしびれ始めたんです。

最初は気にならないレベルだったのですが痺れは日を追うごとに強くなってきます。

しまいにはパソコンが打てなくなるくらいにまで悪化しました。

すぐに病院に行きました。

原因はストレスと慢性の血行不良とのことでした。

慣れないデスクワークに左の肩甲骨や肩がパンパンに張っていたんです。

 

昔から肩こりなどとは無縁の人間でした。

マッサージチェアに座っても「くすぐったい」と思うくらい健康そのものでした。

そんな私が初めて感じた身体のこり!

年齢と共に体も少しづつ衰えているのでしょう。

仕方がないので義理父に相談したところある整骨院を紹介されました。

義理父も現役時代に同じ症状を訴えていて、私がよく背中や肩をマッサージしてあげてたからです。

早速、紹介された整骨院を訪れました。

街中でよく目にする整骨院

私には無縁の場所だと思ってましたし「一体だれがこんなところを利用するのだろうか?」と不思議に思っていた場所でもあります。

診察台に寝ながら体を見てもらいました。

すると先生から一言「これかなりひどいですよ!もっと体を労わらないと・・・」

こうして私の整骨院通いは2年ほど前から始まりました。

 

今では週に1~2回マッサージと理学療法をきちんと行っています。

すぐに良くなるわけではありませんが、やらないよりはいいかな?という感じで真面目に通っているわけです。

私が通いだすと体育大学で新体操を続けている娘も興味を持ちだします。

日々のハードな練習で腰や背中のはりを訴えていたからです。

結局娘も今では週に1度のペースで通っていたりもします。

 

日々通い続けられているのは先生の存在が大きいかもしれません。

2年間私を担当してくださっているY先生はとても優しくて私の体の事を真剣に考えてくださいます。

私の仕事の事やプライベートの事もすべて把握してくれています。

ですので私の体を軽く触っただけでピンポイントの治療を毎回してくれるんです。

本当にいい先生と出会えたな!と思ってもいます。

 

8か月前、Y先生に野球をしている末っ子の事を話しました。

昨年希望の公立高校に進学し硬式野球を頑張っている末っ子です。

入学した高校の話をしたらとても驚いていました。

なんと!Y先生と同じ高校だったんです。

しかもY先生の弟さんも同じ高校の野球部出身!

こんな偶然ってあるんですね。

家に帰り末っ子にそのことを話しました。

すると・・・

「俺も体痛いから行ってみようかな?」なんて言い出したんです。

2週間後私は末っ子を連れてY先生を訪れました。

早速見てもらいましたが、末っ子の体も日々のハードな練習で体がボロボロになっていたんです。

本人には自覚症状はなかったのですが、今後も野球を続けるうえで日々のメンテナンスが必要と判断され末っ子も通い始めます。

最近ではY先生とよほど気が合うのか?末っ子のほうが通う回数が増えていたりもします。

 

今では義理父、私、娘、末っ子の4名が同じ整骨院を利用しています。

家族ぐるみでお世話になっているから面白いものです。

おかげでお金は凄くかかりますが、日々のパフォーマンスを考えれば必要経費なのかもしれません。

 

先日こんなことがありました。

仕事中に左手の痺れがまた始まったのでインターネットで整骨院の予約をしようとしました。

携帯を操作して予約ボタンを押そうとしたら来客があったので一度画面を閉じました。

30分後再び予約するために画面を開いたら予約したかった時間がすでに埋まっていたんです。

「あ~誰かに取られてしまった~ 残念!」とすごく思いましたね。

その日の夜、お店が閉店し私は事務仕事を会社でしていました。

するとカミさんから電話がかかってきます。

「末っ子を整骨院まで送って欲しい!」と・・・

そこで気が付きました!

私が行きたかった時間に予約を入れたのは末っ子だったんです。

仕方なく一度家に帰り末っ子を整骨院まで送り届けました。

同じY先生にお世話になっている関係で仕方がないことですが、予約を取られた上に送迎までさせられるなんて・・・

私は左手の痺れを感じながらも送り届けるしかありませんでしたね。

おかげで末っ子は凄く気持ちよさそうな顔で帰ってきましたが・・・

 

新しい女性スタッフが入ってくれたので事務仕事の量は以前よりも減りました。

しかし、草野球を始めたりソフトバレーをやったり山登りをしたり、そして昨年から始めたピアノが相変わらず私の左手にダメージを与えている気がします。

特にピアノは1時間ほど集中して弾いていると左手の感覚が無くなることもあります。

何もしないでゆっくり体を休めることも大切なのかもしれませんが、今はやりたいことの方が多くてそうも言っていられませんね。

これからも体のメンテナンスをしっかり行いながら仕事も趣味も全力で楽しみたいと思います。

 

バンドスコア

今から25年以上前、アルバイト代で毎日のようにCDを買っていました。

当時は90年代!

毎日のように新しいアーティスト、新しい曲が発売され、それらを購入するのがステータスでしたね。

私もありとあらゆるCDを購入しては通学中にCDウォークマンで聴いていました。

そんなCDと一緒に買い漁ったのが「バンドスコア」でした。

 

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当時友人とバンドを組んでいたこともありバンドスコアは必需品でした。

耳コピできる曲もたくさんありましたが、やはりバンドスコアを買った方がより正確に演奏できるものです。

CD同様こちらも月に2~3冊は買っていました。

そしてそのバンドスコアをめくりながらCDを聴くのが本当に楽しかったんです。

どの楽器がどんな旋律で音を奏でているのか?

バンドスコアを見ながら聴くことでより深くその曲と向き合えるような気がしました。

そして毎回思うのが「0からこんな曲を作り出すアーティストは本当に凄い!」ということです。

今でも思いますが、本当に楽しいい時間でした。

 

私が所有していたバンドスコアは約80冊ほど・・・

ピアノの楽譜と合わせると200冊くらいは実家のピアノの上に積まれていましたね。

大好きなアーティストのスコアはもちろんでしたが、すでに解散していたバンドのスコアなんかも購入しては一生懸命ピアノやギターで奏でていました。

 

しかし!!

私が実家を出ていく時にそれらの楽譜やバンドスコアはそのまま置いてきてしまったんです。

子育てに追われピアノなんか全く弾かなくなっていたこともあり、その存在自体を完全に忘れておりました。

そんな時、実家が売却されなくなりました。

それと同時に私の私物は容赦なく処分されました。

 

3年前からピアノに向かうようになりました。

今ではレッスンにも通う日々です。

そんな時、ふと思い出したんです。

「そういえばバンドスコア&楽譜はどうなったんだ?」と・・・

 

当然それらは全て処分されてしまいました。

すると人間ってものは不思議です。

「もう一度あのバンドスコアや楽譜と向き合いたい!」という思いが込み上げてくるのです。

失って初めてわかる大切さ! というやつでしょう。

 

私は数年前久しぶりに楽器店に行きました。

楽譜のコーナーで昔買ったバンドスコアを探したんです。

しかし、残念ながらそれはありませんでした。

あるのは最近の有名バンドのものばかり・・・

もちろんそれらも興味が無いわけではありませんが、昔夢中でめくった同じものがどうしても欲しくなるんです。

 

仕方がないので某フリマサイトで購入しました。

今は本当に便利な時代だな~とつくづく思ったりもします。

今では毎週何かしら購入しています。

1500円~2500円くらいはしますが、思い出の回収にはちょうど良い金額でしょうか?

 

手始めに高校1年生の時に最初に購入したバンドスコアを集めました。

X-JAPAN」の4枚のアルバムのスコアです。

私が持っていたものには落書きだらけでしたが、思いのほか綺麗なものが届いて驚いています。

懐かしい気持ちと共に夜な夜なピアノに向かう日々!

あの時の懐かしい記憶が蘇り少しだけ若くなった気持ちになるものです。

 

来週にはまた新しいバンドスコアが届きます。

このままだとあっという間に200冊は超えていきそうな勢いです。

お小遣いがどんどんなくなっていきそうですが・・・

 

ビヨンドマックス レガシー

今年も草野球が始まりました。

新型コロナウィスルが流行りだした2020年の6月から始めたので、まもなく2年になります。

ド素人なので相変わらずヘマばかりですが、それでも今は上手くなりたい一心で日々練習に励んでいるわけです。

そんなド素人の私が少しでも上級者、経験者に近づくためにはありとあらゆる方法を用いなければなりません。

日々の素振りやキャッチボール、野球が出来る環境にはなるべく顔を出して鍛えていますが、一番手っ取り早い方法は「いい道具を使うこと!」です。

 

ゴルフもそうですが、道具はとても大事です。

昔父親にボロボロのスキー板でスパルタ指導をされました。

中古のスキー板は10年は使い続けたと思います。

大人になって奮発してものすごく高いスキー板を買いました。

その時の衝撃は今でも忘れられません。

道具でこんなにも違うものなのか?と痛感した瞬間でした。

 

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野球も同じです。

それなりのスパイク、グローブを使ことで多少ごまかせていると思っています。

そして、一番道具の違いを感じるのはやはり「バッド」でしょう。

近年、野球の道具は本当に進化しました。

特にバッドは本当に様変わりしましたね。

その代名詞と呼ばれるのがミズノのバッド「ビヨンド」でしょう。

 

2002年に登場すると軟式野球の世界では「画期的なアイテム」としてその地位を築きました。

それまでの金属バットとは違い、打球部に高反発の柔らかい素材を使用することで飛距離が飛躍的に伸びたんです。

少し前までは「試合でビヨンドの使用禁止」なんて言われるほどでした。

末っ子が小学生で野球を始めた時にはもれなくおねだりされました。

しかし!!

そのお値段はビックリするほど高いのです。

少年野球用でも3~4万円!

大人用だと4~5万円はします。

当時は自分が野球をやっていなかったのでそんなものに大金を出すなんてバカバカしいとさえ思っていました。

結局末っ子には普通の金属バットだけしか買い与えませんでしたね。

 

そして月日が流れ自分が野球を始めた途端!やはり欲しくなるんです。

きっかけは「ビヨンド」を持っている人に借りて試合で打った時です。

カキ~ンという金属バットの気持ちよい音ではなく「ボフッ」という鈍い音がします。

高反発のポリウレタンに軟式のボールが当たるとそれはそれは信じられないくらい飛ぶんです。

手に感触はしっかりあるのですが、その打球の飛ぶ勢いに驚きました。

そして草野球を始めて数か月後に私は結局ビヨンドを買ってしまいました。

1年半前に買った「ビヨンドマックス ギガキング」です。

このバットを手に入れてからは打席に入るのが本当に楽しくなりました。

素人の私でも芯に当たりさえすればそれなりに飛ぶんですから・・・

しかし、商品というのは次々と新しくモデルチェンジします。

昨年でしょうか?新しいビヨンドが登場しました。

その名も「ビヨンドマックス レガシー」!!

 

喉から手が出るほど欲しくなるアイテムです。

私はこの時からお小遣いをコツコツ貯めてきました。

そして本日!!

見事購入したというわけです。

そのお値段49500円(税込)

こんなに高い買い物はなかなかしません。

ただでさえ物欲がない私には一世一代のお買い物と行っても過言ではないと思います。

 

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今週末からはいよいよ早朝野球のリーグ戦が始まります。

この新しい相棒でシーズンに臨めるワクワク感!

人生初のホームランも夢ではないかもしれませんね。

ただし!!

まずはバットにボールをきちんと当てなければ、いくらいい道具を使っても無意味です。

当たれば飛ぶ!

本当に単純な話ですがこれが一番の問題でしょうか?

あとは気持ちの持ちよう!ということでしょう。

今からバッティングセンターへ行って試打してきます。

 

春です

今年も綺麗な桜が咲いています。

毎年この時期は仕事が忙しくてゆっくり花見をする時間なんてなかなかありません。

仕事の移動中などに車の中から「きれいだな~」と眺めるのが精一杯ですかね?

本来であれば桜の木の下で友人達とお酒でも飲みたいところですが・・・

 

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それでも毎年必ず訪れる場所があります。

近所にあるお気に入りの桜の木です。

この土地に移り住んで22年になりますが、毎年早朝、仕事の前に写真を撮るのがこの時期の恒例行事です。

今年も綺麗な桜の前でパシャリ!

気持ちの良い朝となりました。

 

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毎年桜を見て思うことがあります。

それは「こんなにも人を喜ばせる花も珍しい!」ということです。

「桜の花は美しい!」

日本人としてこの世に生を受けた時からなんとなく刷り込まれた美意識なのかもしれませんが、誰が見ても素晴らしく綺麗です。

「桜なんて全然きれいじゃない!」と言っている人になんて会ったことないですよね?

毎年たった1~2週間という短い期間にしか花を咲かせないに、なぜこんなにも人々を魅了するのか?

本当に素晴らしい植物だとつくづく思います。

もっと凄いのが、毎年ほぼ同じ時期に同じ姿をきちんと見せてくれることろです。

しかも何十年、何百年と・・・

毎年決まった時期に同じことを同じクオリティーでやり続けるなんて、我々人間にはもちろん他の生物にはなかなかできないことでしょう。

植物は本当に凄いといつも思っています。

 

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誰でも平等に歳を取り、どんどん衰えていきます。

一年前に出来ていたことも気が付けば出来なくなっていたりするものです。

毎年同じ時期に同じことをやり続けることは本当に難しいんです。

実は桜の寿命は50~60年なんて言われています。

でも面白くて老木のほうが花の咲き方が綺麗なんですよね。

歳を重ねるごとにその美しさが増していく!

羨ましいかぎりでしょう。

桜の花を見ながら毎年こんなつまらないことを考えている人間であります。

 

実はもう一つ、私の春のルーティーンがあります。

それは「春ソング」のプレイリストを作成して車の中で聴くことです。

「春ソング」には名曲が多く存在します。

毎年同じような選曲にもなりますが、今年も作ってみました。

 

春ソング

①春~spring~    藍井エイル

②春よ、来い    松任谷由美

③春風       家入レオ

④SAKURA     いきものがかり

⑤桜          コブクロ

⑥3月9日      レミオロメン

⑦桜が降る夜は   あいみょん

⑧桜(独唱)    森山直太朗

⑨さくら      ケツメイシ

⑩春を告げる    yama

⑪桜坂       福山雅治

⑫桜の時      aiko

⑬春の歌      スピッツ

⑭桜色舞うころ   中島美嘉

⑮春を愛する人   GRAY

明日、春が来たら 松たか子

⑰青い春      back number

サクラ咲ケ    嵐

 

今年もこの曲達を聴きながら春を感じている自分です。

 

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令和のツイッターデビュー

SNSが大嫌いでした。

誰かと繋がることを昔から大切にしていますが、どうしても「めんどくせ~」という思いが先に来てしまう性分です。

元来人見知りな性格です。

周りからは「全然そんな風に見えない!」と常に言われていますが、初対面の人と話すときの緊張感と言葉選びには毎回疲れます。

仕事の関係でそうも言っていられなくなったので訓練で克服してきただけです。

 

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幼少期から大勢の仲間と群れるのが苦手でした。

いつも一人でいたわけではありませんが、特定の仲間と数人で遊んでいる方が気が楽だったんですね。

そんな私が最初に携帯端末を手に入れたのは高校生1年生の時です。

当時みんなが手にしていた「ポケベル」を親に買ってもらいました。

しかし!ポケベルで連絡を取るには公衆電話に行き、数字でメッセージを入力する必要がありました。

当時公衆電話はどこもたくさんの女子高生とサラリーマンで溢れかえっていて、ここでも「めんどくせ~」が勝り、あまり活用されることはなかったです。

高校3年生の夏にはPHSを手に入れました。

どこでも誰とでも気軽に連絡が取れる魔法のようなアイテムでした。

しかし、我が実家は当時まだPHSの電波が入らず、通話するには200メートルほど離れた中継機器のある電柱の下まで行かなければいけませんでしたね。

夏は良かったのですが真冬はとにかく寒くて、ここでも「あ~めんどくせ~」が勝りこちらもあまり使われないままその役目を終えました。

 

大学1年の時にはやっと携帯電話を手にしました。

通話はもちろんメッセージのやり取りもできるようになり、また電波もきちんと届くようになったことで使用頻度は必然と上がりました。

ただ、通話料が高かったんですね!

携帯電話の使用料を親に払ってもらっていたので毎月霊長類最強の母にこっぴどく怒られたものです。

大学2年になるとノートパソコンを買ってもらいました。

ISDN回線でしたが世の中のありとあらゆる情報が自宅にいながら手に入ることに興奮を覚えたものです。

時々海外のエッチな画像を覗いたせいで高額請求がきて、またまた母にこっぴどく叱られたのもいい思い出でしょう。

それでもそれらの最先端機器を利用して見知らぬ第三者と積極的に繋がろうなんて考えることはありませんでした。

 

ガラケーが進化しても私は相変わらず必要最低限の使い方しかしませんでした。

特にメールを打つのが苦手で、メールが届いたらすぐに電話で折り返しするようなタイプでした。

聞かれない限り携帯の番号を教えることはありませんでしたし、必要最低限の人間との連絡手段にしか用いなかったです。

 

そんな感じで20年ほど経ちました。

時代はどんどん進化しガラケーからスマートフォンになりました。

このスマートフォンにした時が一番大変でしたね!

今まで手の感触でボタンを操作していたのにそれが出来なくなったこと。

端末がどんどん小さくなり口元に受話器が届かない違和感。

アプリを使いこなせないもどかしさ。

そして今までに感じたことのないようなコミュニケーションのスピード感。

慣れるまでに2~3年はかかりましたかね。

 

スマートフォンになってからというものますます「めんどくせ~」が強くなり、全くその機能を使わないようにもなりました。

ネットでちょこっと検索したり写真を撮ったりするくらいでしたね。

 

そんな私の使い方とは裏腹に、スマートフォンはどんどん進化していきます。

そして登場したご存じSNS!!

誰もが簡単に繋がり、メッセージのやり取りはもちろん近況報告などもリアルタイムで出来るようになりました。

そのSNS文化についていくことが出来なかった自分はどんどん取り残されていきます。

 

そんな時、ある方にこう言われました。

「社長さんよ~、LINEくらいはやらないと仕事にならないでしょうよ!いちいち電話するのも面倒なんだよね!いい加減LINEくらい始めてよ!」

3年前の話です。

仕方がなくLINEを始めました。

すると電話帳に登録がある方々とあっという間に繋がりだします。

その数はなんと約300人!

そうするとますます厄介です。

早朝でも深夜でも、休みの日でも皆さんお構いなしに用件を伝えてくるではありませんか?

こう見えて真面目な私はきちんと返信をするのですが、相変わらず文字を打つのが苦手です。

いまだにフリック入力なんて全く出来ないんです。

だからすごく苦労したんです。

LINEの使用頻度に比例するように仕事は増えましたが、プライベートの時間はどんどん奪われていきました。

それでも時代の変化に対応するために一生懸命やりました。

3年ほど経ちやっと慣れてきた印象です。

すると今度はインスタグラムなるものも登場します。

こちらについては会社の若いスタッフが私の携帯を勝手に操作しID登録をしていました。

今では大好きな女優さんやアーティストの情報を見るのに活用しております。

それでも自分から何か発信しようなんて1ミリも思うことはなかったわけです。

 

そして今年の1月!

今まで一番苦手だと思っていたツイッターにいよいよ手を出しました。

令和のツイッターデビューです。

ツイッターには正直ネガティブなイメージしかありませんでした。

バイトテロ、いじめ、炎上商法など、そのほとんどがツイッターから端を発していたからです。

でも始めたんです。

きっかけはただ単純にツイッターを通じて繋がりたかった人がいたから!という不純な動機でした。

こちらも息子にお願いし登録してもらいました。

当然使い方などわかりません。

それでもなんとなく使っているうちに、「何かつぶやいてみよう」という気持ちが芽生え始めるではありませんか!

別に誰かに見て欲しいなんて思わないのですが、今の心境や状況をつぶやくことでなんだか少しだけスッキリするから不思議です。

そこに対して誰かが反応する新鮮さ!

今更ながら非常に驚いております。

最近はこのブログのように備忘録として一日1ツイートを心がけてつぶやいております。

承認欲求など全くありませんが、なんとなく毎日の習慣になってきているから不思議ですね。

 

それでもやはり直接電話をかけたり、パソコンの打ちなれたキーボードでメールをする方が相変わらず楽だと思ってもいます。

これからさらに時代は変化していくことでしょう。

取り残されないようになんでも使いこなせるよう日々勉強していこうと思います。

 

ちなみに記念すべき最初のつぶやきは

「just trying my twitter」という非常につまらないひねりのないつぶやきでした。

 

創立パーティー

先日、地元企業の創立記念パーティーに出席してきました。

いつもお世話になっている地元の建設会社です。

兄弟でそれぞれ建築業、塗装業を行っていて20周年と10周年を記念するパーティーでした。

実はこの兄弟とは非常に縁がありまして・・・

塗装業をしている兄はカミさんと同級生。

建築会社の弟は義理の妹と同級生なんです。

しかもこの2人!

私のお店とも縁が深いんです。

 

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私は4年前、義理の父から今のお店と会社を引き継ぎました。

しかし、今から25年以上前には義理の祖父の会社がこの場所にありました。

当時義理の祖父はガソリンスタンドを経営していたんです。

創業は今から50年ほど前ですかね?

高度経済成長期、モータリゼーションの流れに乗り経営は順調でした。

しかし、バブル崩壊から不景気が続き、ガソリン価格の高騰、多くのライバル店の出店ラッシュなどがあり経営状態は悪化します。

そこで義理の祖父は息子である義理の父を会社に招き入れました。

義理の父は当時、神戸で学研の営業マンをしていたそうでして相当優秀なセールスマンだったみたいです。

しかし義理の祖父に呼び戻され、経営が傾きかけていたガソリンスタンドの再建を託されます。

あとで義理父に聞いたのですが、当時それはそれは大変な借金があったようです。

義理父も懸命に会社を立て直そうと努力したみたいですが、残念ながら今から25年前に廃業してしまいます。

その跡地に今のお店を新しくオープンさせ、心機一転出直しを図ったという歴史があります。

15年かけて会社の借金は無くなりました。

今でもほぼ無借金で営業が出来ているのは義理父のマネジメントの賜物でしょうか?

綺麗な状態で私は譲り受けたわけですから非常に恵まれているわけです。

そんな歴史のある我が会社にゆかりのある2人の兄弟!

実はこの兄弟はガソリンスタンド時代にアルバイトとして働いてくれていた過去があります。

もちろん私がこの土地に来る前の話ですから全く知る由もありませんが、非常に縁のある2人なんです。

 

私が会社を引き継いでからというもの、歳が近いこともあり自分のところの車だけでなく色々なお客様を紹介してくれたりもします。

今では年に数回ゴルフに出かけたりお酒を飲みかわす間柄でもあります。

 

そんな2人のド派手なパーティー

横浜のベイシェラトンホテルでコロナ禍にも関わらず200名ほどの地元の人間を集めて盛大に行われました。

建設関係だけあって政治家の方々も7~8名出席していましたね。

現職の衆議院議員参議院議員、県会議員、市会議員そしてBOの方々・・・

その他にも有名なタレントさんやプロスポーツ選手なども来ていました。

そうそうたるメンバーが大集結している中に、私のような平民がポツンと座っていたわけであります。

 

正直こういった場が苦手です。

スーツを着る機会もほとんどありませんし、革靴だってほとんど履きません。

ネクタイなんて2~3年ぶりに身につけた印象です。

会場に入ってからのあいさつ回りも本当に苦手です。

会場にいる多くの方々が私のお店を利用してくださっているお客様ばかりですが、全員に挨拶なんて到底出来ません。

ですので今回はあえて席に座ってじっとしておりました。

すると!色々な方が私の席まで来てご丁寧にごあいさつとお酌をしに来てくれるんです。

本来であればこちらから席にお伺いしなければいけないのですが、この日ばかりは皆さんが来てくださるので甘えることにしました。

ひとりひとりと丁寧にごあいさつをさせていただきましたが、皆さん口々に「いつも車の事を面倒見ていただいてありがとうございます。今後ともよろしくお願いします!」なんておっしゃってくれるものですから、本当に恐縮するばかりです。

もちろん私も全力で日頃のお礼をするわけですが、この時ばかりはなんだか凄く偉そうな感じになってしまわないかと気を使い続けましたね。

せっかく出された高級なコース料理の味もほとんどわからないほど気を使いました。

お酒もどんどん注がれたのでジャンジャン飲みました。

こういう場面では「お酒が強くてよかった~」とつくづく思ったりもします。

 

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我が会社も今年で創立24年になります。

義理の祖父の会社から数えると50年以上になります。

派手なパーティーなどやるつもりは私にはありませんが、これからもこの会社と従業員を大切に、そして地元に必要とされる会社であり続けたいと思う一日でした。

私の代で潰すわけにはいきませんね!

頑張ります。

 

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