尾崎豊のファーストアルバム「十七歳の地図」の最後の曲として収録されている曲が「僕が僕であるために」です。
この曲を始めて聴いたのは小学6年生だったでしょうか?
父親が買ってきたレコードで初めて尾崎豊を聴き、特に最後のこの曲がとてもお気に入りでした。
当時は意味も分からず聴いていましたが、中学生くらいになるとなんとなく歌詞を理解できるようにもなりまして・・・
その頃になると歌詞よりも「尾崎豊の生きざま」「カリスマ性」「カッコよさ」に惹かれていたのかもしれませんが、とにかく自己啓発的な歌詞と社会や大人に対する反抗心を表現した歌は反抗期真っ盛りの私にはとても刺激的で、毎日爆音で聴いていましたね。
そのうち父親のギターを勝手に引っ張り出してコードをぽろぽろ弾きだすようになったのですが、初めてギターで弾いたのがこの曲でもありました。
今でもカラオケでよく歌うのですが、場の空気を読まないで歌うとシラケることもあるので要注意の曲でもあります。
そんなこの曲が私の人生において非常に重要な曲となったことは言うまでもありません。
非行に走った中学1年目、そして更生、高校受験での成功、青春ど真ん中の高校生活、どうしようもなくなってしまった大学1年目、その後更生し立ち直った20歳、氷河期の就職活動、結婚、就職、離職、再就職、増える家族、鬱の罹患、再び立ち直る30代半ば、社長就任、経営者としての苦悩の連続、そして努力し続けた40代前半・・・
様々な場面で色々な心の葛藤がありましたが、どこかで私が自分に言い聞かせていたのがこの「僕が僕であるために」という言葉だったと思います。
幼少期から気の弱い人間でした。
身体も小さかったですし病弱でもありました。
どこかで「自分はダメな人間だ!」と思い込み自己肯定感がゼロだったと思います。
それでも自分に対しては常に厳しく、「人に負けても自分には負けたくない!」というつまらないプライドだけは持ち続けていたようで、この性格がこれまでの人生をより複雑にしてきたのも事実でしょう。
これまで本当に自分自身を追い込んで生きてきました。
中途半端なことがどこか嫌いで
「とにかく手を抜きたくない!」
「常にダメな自分に勝ちたい!」
「人は人!自分は自分!」
「本当の敵は自分自身!」
と意地を張って今日まで来ました。
このくだらない性格のせいで多くの人を傷つけたり、迷惑をかけたこともきちんと理解しています。
同時にそんな自分を評価してくれる人がいたのも事実です。
僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで
この言葉をまさに鵜呑みにしていたのでしょうね!
しかし最近カラオケで歌っていたらある思いがふと芽生えてきました。
心すれちがう
悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る
この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に
目を伏せるけど
優しさを口にすれば
人は皆 傷ついてゆく
自分自身と闘っているのは実は人を思っているからこそなのではないのか?と・・・
私は人が大好きです。
自分に関わる全ての人へのリスペクトと感謝を持つようにしていますし、何よりこんな自分と向き合ってくれる人、時間を共有してくれる人、会って話をしてくれる人は本当にありがたい存在です。
だからこそ、そんな方々の為に「常に強く正しい自分でいたい!」
そんな思いが根底にあったのだと思います。
中途半端な言動、思い、優しさは時に相手を傷つけます。
結果心が弱い自分はそのことで傷つきます。
思い返せばそんなことの繰り返しでもありました。
だからこそ常に自分を追い込み強くあり続けたい!
人を傷つけることで自分を傷つけたくない!
そんな独りよがりが今の私になったのでしょうね。
僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて
少し 心許しながら
この冷たい街の風に
歌い続けてる
たった1曲がひとりの男の人生を大きく変えたのは事実でしょう。
今置かれている状況への正しい理解!
未だに終わらない自己分析と自己啓発!
不安と葛藤と歓喜が激しく交差する毎日!
考え続けても答えは出ないのかもしれませんが、私はこの曲をこれからの歌い続けると同時に、「僕が僕であるために、勝ち続けよう!」とあらためて思うのです。
繁忙期で気持ちが参っているのかな?
支離滅裂に書いてしまいました。
寝ます。