23年ぶりの親族顔合わせ

先日私の両親とカミさんの両親を交えて食事をしました。

 

 

2000年の2月にカミさんのお腹に長男が宿っていることが判明!

まず霊長類最強の私の母に相談をしました。

「絶対にすごい剣幕で怒られる!」

3年近く付き合っていたカミさんも母とは何度か会っていましたし、そのキャラクターも知っていたので当然そう思っていたようです。

母に「話があるから部屋に来てくれ」と伝え正座をし子供が出来たことを伝えようとしたその時です!

「ひょっとしておめでたかい?」と母が全てを悟ったかのように言い放ちました。

「で?どうするの?もちろん産むんでしょう!」とこちらの言おうとしていることを全て理解してしまっていたので、余計な話はせず2~3分で大事な話は終わりました。

しかし!! その後が大変でした!

実は私はカミさんの両親にあったことがそれまでありませんでした。

しかも!

3年近く付き合っていたのに私の存在をカミさんは家族に伝えていなかったようです。

薄々感づいてはいたようですが、いきなり「子供ができました~」なんて伝えるのは大変なことです。

その晩、カミさんは義理の母にそのことを恐る恐る伝えたそうですが、義理に母は泣いてしまい言葉にならなかったようです。

それでもお互いに覚悟を決めて一緒になる決断をしたのですからきちんと挨拶をせねばなりません。

二日後、私は就職活動用に用意したスーツと手土産をもってカミさんの実家に挨拶に行きました。

この時私のことを温かく迎えてくれた義理父、義理母、そしてまだ当時は元気だった義理の祖父母に本当に救われました。

こんなしょうもない男を初対面なのに家族として認めてくれるなんて・・・

そんな素晴らしい待遇を受けたからこそ、今こうして義理の父が作った会社を引き継いだわけです。

苗字はそのままですが婿としての自覚と感謝は忘れたことはありません。

 

その一週間後、親族で顔合わせをすることになりました。

場所は「とうふ屋うかい 大和田店」

 

 

この時初めて私の両親とカミさんの両親が顔合わせをしました。

ハッキリ言って恥ずかしかった記憶しかありません。

私の両親はかなり個性的ですし職業も特殊です。

また、普段からしょーもない話ばかりする品のない家族ですから会わせるのがなんだか申し訳なくて・・・

それでもお互いに「孫が楽しみですね~」なんて終始和やかな雰囲気で顔合わせが行われたことだけは覚えています。

 

あれから家族も増え、孫も増え賑やかになりました。

孫を交えて家族全員で食事をすることも数回ありましたし、お互いに幸せに暮らせていると思います。

 

そして2023年11月!

この日は家族全員で横浜アリーナに行く用事があったのでお昼を一緒に食べることに!

折角なので23年ぶりの6名での会食です。

 

 

子供達や兄弟を交えて食事をすることはよくあるのですが、子供抜きで6人で会食なんてあの日以来となりました。

新横浜にある「ぎん」という日本料理屋を私は予約をしました。

 

 

懐石のコースを囲みながら家族みんなで楽しい時間を過ごせました。

 

 

結婚して23年!

私もカミさんも「おじさん・おばさん」になりましたし、それぞれの両親も「おじいちゃん・おばーちゃん」になりました。

時の過ぎゆく速さを実感した食事会でもありましたね。

 

 

それでも全員がまだまだ元気で日々健やかに過ごせていることが何よりでしょう!

素晴らしい両親に育てられ、見守られ本当に幸せです。

これからもお互いに元気で過ごしたいものですね。

 

会食の後は「横浜アリーナへ!」

 

 

日本体育大学に通う長女の発表会を親族全員で見に行ったわけです。

 

 

日本体育大学の発表会と言えばあの「集団行動」が有名ですが、それ以外にも様々な部活動に励む学生たちがそれぞれの競技を紹介したり、発表したりする場でもあります。

新体操部の長女は毎年この発表会に出ておりまして・・・

最終学年ですので今回が最後です。

長男と末っ子も合流しまして全員で娘の最後の晴れ舞台を鑑賞しました。

 

 

講演後は各々解散をしましたが、車で来ていた私は家族全員を乗せて変える必要があります。

この日の為に減量に励んでいた娘は公演終了後、少しやつれた顔で戻ってきました。

そんな長女にはしっかり食べさせよう!ということで家族全員で新横浜にある焼肉屋さんへ!!

 

 

とても美味しかったのですが、価格がビックリするくらい高くて・・・

お会計時にカミさんが少しイラッとしていましたね。

それでも久しぶりの家族団らんの時間は貴重でもありました。

 

23年ぶりの親族顔合わせ

数年ぶりの家族全員での外食

色々な偶然が重なった貴重な一日でもありました。