2年越しの再会イベント

末っ子が中学生の時のお話は以前もしました。

少年野球でメキメキと実力を付け、野球一筋で生きてく決意をした末っ子は中学生では強豪のクラブチームへ入る予定でした。

体験会にも参加をし、私たち親も「いよいよ末っ子の野球人生が始まるのかな?」なんて漠然と考えていたんです。

長女は新体操をずっと続けていた影響で中学ではクラブチーム、高校へは新体操の強豪校へ特待生でサラッと入学しました。

学費が免除だったので非常に助かりましたが、親の負担は半端なかったですね。

特にカミさんは中学・高校の3年間は娘に付きっきりでした。

末っ子も同じような生活が始まるのか?と思っていた矢先の出来事です。

 

 

中学へ入り最初の2週間は本人に考える時間が与えられました。

「どうせクラブチームへ行くんだろ」と安易に考えていたのですが、末っ子が出した結論は「中学の野球部で野球を続ける」というものでした。

理由は「ガチは嫌だ!」「坊主は無理!」という単純なものでしたが、カミさんは妙にホッとしていたのを覚えていますね。

その末っ子が下した決断の裏には同級生の進路が大きく影響していました。

末っ子の同級生には野球が上手な子が多く、その多くがクラブチームへ進み本格的な野球を始める予定だったんです。

しかし、幼い彼らに自ら厳しい環境に身をおくという決断は難しかったのでしょう。

同級生の多くがクラブチームへは行かず、中学の野球部へ進んだわけです。

 

 

上手な子たちが一斉に入った中学の野球部はそれはそれは強いはずです。

経験者ばかりですし上級生よりも速い球を投げる子、すごいバッティングをする子がゴロゴロいたわけですから・・・

そんなタイミングでこれまた偶然に新任の先生が赴任してきました。

S先生です。

非常に若い先生でゴリゴリの野球人でした。

その先生との出会いがのちに大きな出来事へと発展していきます。

 

最初の野球部の保護者説明会でS先生がいきなり保護者にかまします!

「いいですか?野球部を私は強くしたいです!保護者の方々の協力は不可欠です!遠征が多くなるのでお金もたくさんかかります!子供達をとにかく厳しく指導しますので覚悟しておいてください!」

中学の野球部なんてゆる~いものだろうと思っていた保護者達は皆驚きました。

それでも子供達が決めたことです。

我々保護者の中にも多少の不安がありましたが、S先生に全てをお任せすることで入部をさせました。

 

S先生は教員になってまだ6~7年でした。

しかし、以前赴任していた学校で野球部を強化し非常にいい成績をおさめていたようです。ちなみに今でもその学校は公立中学では強豪校と呼ばれています。

そのS先生のもとで始動した中学野球部の生活。

毎日泥だらけで、そして疲れた様子で帰ってくるようになりました。

それでも野球に関しては実力のある子達ばかりです。

きつい練習にも耐え、数か月でみるみる上達していきました。

ここで焦ったのは2年生でしょう。

一個上の先輩方の中には中学から野球を始めた子もいましたし、もともと少年野球でも注目されるような子達ではありませんでした。

そんな先輩たちの下にバケモノのような後輩がぞろぞろ入ってきたわけです。

先輩たちは目の色を変え後輩に負けないよう必死に努力をしたそうです。

そんなチームは当然のことながらどんどん強くなります。

練習試合を行えば連戦連勝!

大会に出てもそこそこの順位までいくチームになりました。

市内からも「あの中学校ヤバくね?」なんて声が聞こえるほどに成長したんです。

 

末っ子が2年生になった時、私から見れば史上最強のチームが完成していました。

中学野球の最高峰「全国中学校軟式野球大会」も夢ではなかったんです。

もはや区内には敵なし、市内でも上位に必ず食い込めるチームだったんです。

 

生徒とS先生との師弟関係も完璧でした。

お互いの信頼関係がきちんとしていて、子供達もS先生に懐いています。

もっと凄かったのは月に1回は開催されていたS先生と保護者の飲み会でしょう。

先生は生徒の面倒だけでなく、保護者他のコミュニケーションも積極的に取ってくれまして、本当にありがたかったです。

個人的にS先生を私の行きつけのスナックへ連れて行って朝まで飲んだこともありました。

結局先輩の代は惜しいところで負けてしまい、夢の続きは末っ子の代に託されました。

来年こそは!絶対に全国へ行く!

そんな思いを胸に末っ子は3年生になったんです。

 

末っ子の代はさらに強かったですね。

向かうところ敵なし!

練習試合では毎回のコールド勝ちでした。

 

そんな素晴らしい野球部の活躍をあの忌々しいウィルスが襲います。

新型コロナウィルスです。

これから!ってタイミングで大きな大会は中止を余儀なくされました。

試合もなかなか組めず、選手たちの活躍の場はどんどん失われて行きます。

ローカルな大会は何とか行われましたが、大きな大会が開かれたのは春先だけでした。

S先生と選手たちの悔しい気持ちは計り知れなかったことでしょう。

結局最後の大会は区内の形だけのものとなりその活動を終えたんです。

 

卒業間近の2月、野球部の中だけで紅白戦が行われました。

保護者が審判を努めたり、S先生もプレーしたりの和気あいあいとした最後の活動でした。

その締めのあいさつでS先生はこう言いました。

「君たちと過ごした時間は本当に楽しかった!毎日がワクワクの連続だった!そしてこのチームなら全国を本当に狙えると思っていた!いまは本当に悔しいし言葉も出ない!もっと君たちと野球をしたい!高校生になっても野球を続けてください。そしてまた一緒にプレーしましょう!」

保護者も生徒も思わず目頭が熱くなる瞬間でした。

 

末っ子は高校へ進学しても野球を続ける選択をしました。

公立高校のけっして強くはない野球部ですが、日々汗を流しすっかり高校球児です。

しかし!あの時の最強チームのメンバーの多くは野球を続けませんでした。

希望の学校に入っれなかったり、野球への情熱が失われた子も多かったようです。

 

実はS先生とはLINEで繋がっていてたまに連絡を取り合っていました。

子供達の近況を報告したり、自分が草野球チームを作った話もしていたんです。

そこで私は考えたんです。

コロナが落ち着いたらもう一度、S先生と子供達をグラウンドへ集めて同窓会をやらせてあげようと・・・

 

 

その時がいよいよやってきました。

自分が野球を始めたことでグラウンドの確保や人数調整の経験やスキルは身に付きました。

いよいよ企画を実行に移す時です。

私は末っ子やカミさんの協力を得ながら、関係各所に連絡をお願いしました。

現在はみな高校生。

それぞれ別々の学生生活を送っていてそう簡単には連絡を取ることが難しかったです。

でも皆近所に住んでいるため保護者同士の連絡は容易に取ることが出来ました。

2年間ほとんど連絡を取っていなかった私からのイベントの提案に皆賛同してくれるのか?

「何をいまさら?」と思われてしまうではないか?

不安を抱えながら当日を迎えました。

 

この日S先生は中学校の先生方に声を掛けてくださり、先生だけでチームを編成してくれました。

一方子供達はと言いますと・・・

なんと先輩方も含め17名以上の野球部OBが集まってくれたんです。

保護者の方々もたくさん集まってくれて集合時間には40名以上の方々がグランドに集まりました。

今回の趣旨を説明しいざプレイボールです。

 

 

子供達の大半は中学校以来野球をしていない子ばかり!

しかし、当時主将だった先輩が「集合!」と言うと全員がきちんと纏まって行動します。

主将がメンバーを決め試合は思った以上にスムーズに始まりました。

 

 

みな久しぶりの野球でしたが、実力者ばかりの最強チームと呼ばれただけのことはあります。

2年のブランクを感じさせないほどレベルの高い試合が行われました。

バックネット裏からは保護者が声援や冗談交じりのヤジを飛ばします。

まるで2年前に戻ったかのような和気あいあいとした時間はあっという間に過ぎてしまいます。

結果、白熱した試合は先生チームの勝利で幕を閉じました。

 

 

試合後、球場のエントランスの前で最後のミーティングが行われました。

先生が子供たちにあの時と同じように声を掛けます。

S先生の熱いメッセージを子供達もあの頃と同じように真剣に聞いていました。

何年経っても師弟関係はきちんと成立しているものです。

それだけS先生を中心とした野球部がまとまっていた証拠なのでしょう。

子供達の表情もあの頃と全く同じで、保護者もみな嬉しそうにながめていました。

 

 

こうして私が企画した2年越しの同窓会イベントは大成功ののちに終了しました。

残念ながら高校になじめず、学校をやめてしまった子もいます。

親も子も悩みながら生活している家庭もあります。

でもこうしてきちんと参加してくれたことに本当に感謝しかありません。

保護者や先生方からもたくさんのお礼をいただきましたが、お礼を言いたいのは私の方です。

こんな楽しそうに野球をする末っ子はもちろん、懐かしそうに試合をながめる保護者の姿を見ることが出来たんですから・・・

 

 

自分で野球チームを作り多くの人達と関わりを積極的に持ってきたこの2年間。

こうした形で恩返しできたことは私の大きな自信にもなりました。

子供達からも「またぜひやりたいです!」とうれしい言葉をいただいたので、今後は年に1度は開催したいですね。

本当に素晴らしい一日でした。