パチンコ依存症

16歳から22歳くらいまで明らかにパチンコ依存症でした。

 

 

きっかけは16歳の時に初めて入ったパチンコ屋さん。

当時、駅のホーム内にあるドムドムバーガーでアルバイトを始めていた私は、初めて自由に使えるお金が自分の労働により手に入ることを知り遊び始めました。

当時、バイトの休憩中に隣にあるキオスクの売店のおばちゃんと話すのが日課でしたね。

そのおばちゃんの趣味がパチンコ!

しばらくするとお互いの仕事終わりにパチンコ屋さんに連れて行ってもらいました。

初めてみるパチンコ台!

おばちゃんは初心者の私に「ハネモノ」の台を打つように言いました。

今でも覚えています!「フライングカーペット」という台です。

 

 

コミカルな見た目にアラビア感満載な効果音とメロディーで、当時のハネモノ好きを熱狂させた名機中の名機です。

大当り中に継続ピンチになるとVゾーンが左右に動くのも特徴的だったと思います。

訳もわからず両替した500円玉を入れて、打ち始めました。

おばちゃんも横の台に座り色々とアドバイスをしてくれました。

すると、1500円ほどであたりが出来ました。

受け皿には大量のパチンコ玉が出てきます。

脳を刺激する音楽とパチンコ玉が大量に出てくる音に興奮したものです。

結局その日は5000円ほどプラスになりました。

その後もおばちゃんとパチンコに行くようになり、どんどんハマっていきます。

慣れてくると一人で通うようにもなりました。

当時は年齢確認もされず、たばこを吸っていても怒られることはありませんでしたね。

 

パチンコを覚えてから数か月で完全に依存症になりました。

高校の友達とも学校帰りに毎日のように通うほどに!

結局バイト代の多くはパチンコにつぎ込まれました。

それでも当時は非常に運が良かったのか?

収支は毎月黒字でした。

多い時は月に20万以上勝つときもありましたね。

 

「フライングカーペット」を卒業してからは「ゴールデンバレリーナ」「フィーバークイーン」「黄門ちゃま」「モンスターハウス」「花満開」「ルパン三世」などにどっぷりハマります。

新装開店のお店があれば多少遠くても通い朝から並びました。

特に気に入っていたのは「フィーバークイーン」でしょう。

たぶん100万円以上使ったと思います。

 

 

一番印象に残っているのはJR登戸駅前のパチンコ屋さんで大勝ちした日のことです。

当時は大学2年生。

授業が午後からだったので開店と同時にお店の入り口にある台をねらい、打ち始めました。

この時の台は「黄門ちゃま」です。

1000円でいきなり大当たりしました。

確変をひき、次々と当たっていきます。

お昼くらいまで大当たりが止まらず、ドル箱が8箱ほど積み上げられました。

授業に行かなければいけないのですが、この状況で手を引くのはもったいない話です。

その日の授業は最終テストで受けなければ単位を落とします。

何度も天秤にかけましたが、パチンコを選びました。

当時付き合ったばかりのカミさんからテストに来ないので何度も電話が入ります。

私は無視して打ち続けました。

ご飯も食べずタバコとコーヒーだけで打ち続けること7時間!

私の椅子の周りには24箱ものドル箱が積まれていました。

しばらくすると店内アナウンスで「1番台!今年一番の出玉記録更新中!」と言われ、ますますヒートアップしてきます。

夕方になると友人達が集まりだしました。

授業を終えた後、パチンコ屋に毎日通ういつものメンバーです。

私の大当たりぶりを見て皆興奮しています。

友人は他の友人にも電話をして呼びつけます。

結局8人ほどの友人が集まりパチンコ屋はお祭り騒ぎでした。

結局夜の7時まで打ち続けてさすがに疲れてやめることに!

この日の出玉は79200発!

30万以上の大勝でした!

その後は友人と焼肉へ行き大盤振る舞い!

あの日のことは一生忘れないと思います。

結局単位は落としたのですが、そんなことを気にするような私ではありません。

翌日も授業をサボり同じお店、同じ台で勝負!

結局5万負けました・・・

 

 

パチンコに少しづづ飽きてくると今度はスロットにハマりました。

クランキーコンドル」「サンダーV」「花火」にどハマりします。

スロットはパチンコと違い運もありますが、当時の台は目押しの技術、リーチ目の見極めが大事でした。

毎週のようにパチンコ・パチスロの雑誌を買って研究し続けます。

スロットも2年ほど打ちまくりました。

 

 

 

当時の私のクズっぷりは半端ではなかったと思います。

カミさんとのデートをパチンコでドタキャン(そもそも待ち合わせの場所にもいかない)することも多かったですし、授業もサボれるだけサボりました。

今でも思い出しただけで恥ずかしくなるのは、神奈川の鷺沼に遠征した時の事でしょうか?

「フィーバークイーン」がものすごく出る!という友人の情報をもとに3人で朝から乗り込みました。

軍資金は3万円!

しかし、その日は全員が調子が悪くあっという間に所持金が底をつきました。

この時点ですでに、ご飯を食べるお金も電車賃も残っていません。

バイトの給料日前でしたので銀行にもほとんどお金は入っていませんでした。

そこで私達3人はある作戦を思いつきます。

「物乞い」です。

景品交換所で換金する人たちに片っ端から「お金を恵んでください!」と声を掛けたんです。

もちろんほとんど方から、無視か嫌味を言われてしまいます。

しかし、その日大勝ちしたであろうマダムと中年のおじさんは違いました。

自分たちの愚かさを包み隠さず話したらなんと1万円を恵んでくれたんです。

この時は全員で頭を深々と下げましたね。

これでご飯を食べたうえに家に帰れる!

ふつうはそう思うはずでしょう。

しかし、当時の私は違います。

その1万円でもう一度勝負に行きました。

友人も「おまえマジか?」と呆れております。

しかし、この時の執念というか気合というか?すさまじかったのでしょう。

まるでアニメのカイジのように私は頭に詰め込んである情報、これまでの経験値を最大限使い慎重に台を選びました。

選んだ台は「大工の源さん

今でも忘れない314番台です。

打ち始めてあっという間に7000円ほどがのまれて行きました。

残るは3000円!

一人1000円づつあれば電車で帰れます。

友人は「もうやめよ!」と言っていましたが、ここで引き下がるほど悔しいことはありません。

私はもう1000円入れました。

この時の私を軽蔑した目で見ていた友人の顔も一生忘れないでしょう。

その時です!

きました~ 大当たり!

しかも確変!

その後はジャンジャン大当たりが続きまして、結局19000発ほど出ました。

7万円以上のプラスです。

友人達と分けてその日は無事家に帰れました。

 

 

今思えば完全にパチンコ依存症だったのでしょう。

寝ても覚めてもパチンコの事ばかりの毎日!

カミさんにお金を借りたこともありました。

それでも収支は通算でパチンコに関してはちょっとマイナスくらいだったと思います。

(スロットは完全に赤字でしたが・・・)

 

結婚して子供が生まれるとパチンコなど行っている暇が無くなりました。

自由に使えるお金も、月のお小遣いの5000円だけ!

あれだけ夢中になったパチンコをすることは全くなくなったんです。

仕事や子育てに追われ興味も次第になくなっていきます。

結局再びパチンコ屋に行くのは12年後の事でした。

 

12年後に再び訪れたパチンコ屋さん。

仕事の関係で都内に行った際、2時間だけ時間があったので入ってみたんです。

しかし、私が知っている台はもうそこにはありません。

液晶も大きく綺麗になり、演出も派手になっていました。

ハンドルを10円玉で固定することも出来ないではありませんか?

まるで未来にタイムスリップしたような感覚に襲われたものです。

とりあえず「海物語」を打ちました。

すると大当たりがいきなり出たんです。

しかし!昔のような高揚感は全く感じませんでした。

むしろ、カミさんに内緒で(別に禁止されているわけではありませんが・・・)行ったことに罪悪感すら感じました。

なんだかこのまま昔の自分に戻ってしまうような気もして、結局1時間ほどでドル箱を4箱積んで帰りました。

 

久しぶりパチンコをしみてあらためて思ったことは「そこまで面白くない!」ということでした。

おそらく空白の12年の間にパチンコ以上の有意義な遊びを覚えたからでしょう。

また、お金に困って一世一代の大勝負をすることもなくなったからでしょう。

12年前に夢中になっていたそれとは全く違うものに思えましたね。

大人になったということなんでしょうか?

 

パチンコやスロットは本当に時間のある時、気が向いた時だけ今でもやります。

でも、打てる台が本当に少なくなったので、お店に入ってお目当ての台が無かったりするとすぐに帰ります。

あくまで時間つぶしでしかありませんね。

 

パチンコスロット以外にも私は数々のギャンブルにのめりこみました。

このお話はまたあらためて!