カミさんとの出会い

いい夫婦とは?

なんて考えていたら昔のことを思い出したので書いておこうと思います。

こういうタイミングでもないと忘れそうなので・・・

備忘録です。

 

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カミさんと出会ったのは今から24年前、19歳の時。

私は付属高校から大学へエスカレーターで進学しました。

大学に入学すると付属高校から進学したいわゆる「内部生」と一般受験や推薦で入学した「外部生」が交わります。

カミさんは受験で入学してきた外部生でした。

大学1年の時はクラスというものが存在していてカミさんとは同じクラスになりました。

入学後すぐに自由な大学生活を手に入れた私は、バイトと遊びに夢中でほとんど学校へ行かない生活でしたのでカミさんと話をしたり行動をともにするようなことは全くありませんでしたね。

むしろかなり派手に遊びまわっていたので、カミさんはもちろん同級生からも白い目で見られていました。

しばらくすると学校から呼び出されます。

気が向いた時にしか学校へ行っていなかった私は大学側から退学勧告を受けたんです。

このまま退学になってもいいかな?と思っていたのですが、霊長類最強の厳しい母親がそれを許すわけありません。

仕方なく教授と学部長と面談をしました。

そこで単位が足りない私に2つの条件が出されました。

1つは授業をきちんと受けること!

2つ目は足りない単位を補うために多量のレポートを提出すること! です。

仕方がなく翌日から学校へきちんと通いましたが課題のレポートが全く手につきません。

今みたいにインターネットで調べて適当に提出することなんて当時は出来なかったんです。

毎日学校に残り、学食や自由室で頭を抱えながら一人悩んでいました。

そんなある日、授業でカミさんが後ろの席に座りました。

その時になんとなく閃いたんです。

「こいつに頼めばやってくれるかも?」

私は軽いノリで「学食奢るからこの課題やってくんない?」と言いました。

するとカミさんは「少しくらいなら」とその申し出を受けてくれたんです。

その後、カミさんとカミさんの友人を交えて学食でレポートを書きました。

それでも期日に間に合わないので、翌日には二人でファミレスに行き手伝ってもらいました。

何とか期日にレポートが間に合った私は首の皮1枚のところで救われたわけです。

その時思ったんです。「こいつは使える」と・・・

 

その後は心をれ替え真面目に大学へ通うようになりました。

これ以上単位を落とせない私は授業もきちんとサボらず受けました。

しかし、一年間全く勉強していなかった私にとって各授業で出される課題はとても難しいものばかりです。

でも私には課題を書いてくれるゴーストライターがいます。

事あるごとに課題は丸投げし、その代わりにご飯をごちそうする日々が続きました。

そんなある日、友人と学食で食事をしていると「横浜で行われる花火大会に彼女といくんだ」なんてのろけ話を聞かされました。

当時付き合っていた彼女と別れたばかりの私でしたが、全くそんな話には興味がなく聞き流すだけでしたね。

人の恋愛事情なんかに興味など持たないタイプなんで。

 

しかし、あるイベントが事態を大きく変えます。

翌日、私はいつものように電車に乗り通学をしていました。

そこである中刷り広告が目に留まりました。

人体の不思議展

1996年から98年にかけてこの展示会が全国で開催されていていました。

昔からこの手の展覧会が大好きな私は一度は行ってみたいと思っていたんです。

中刷り広告をよく見ると、横浜のみなとみらいで開催されているではありませんか!

行かない理由はありません。

その日の昼食時、学食でカミさんにレポートを書いてもらいながら私はその展示会の話をしてみました。

するとカミさんが「行ってみようかな?」なんて言うんです。

いつものお礼もかねて結局2人で行くことになりました。

初めての2人での外出が「人体の不思議展」だなんて・・・

今思えば変な話です。

 

当日待ち合わせをして早速会場に入りました。

そこには、グロテスクな標本がずらりと展示されています。

死体を輪切りにしたもの、ホルマリン漬けになっている内臓、筋肉の標本、血管だけを丁寧に張り付付けたもの、奇形児の死体、胎児の死体、陰部の標本などなど・・・

私は興味津々で隣にいるカミさんのことなどお構いなしに夢中で見学をしていました。

カミさんは気分が悪くなったのか?終始無言でした。

その後夕食を食べに行ったのですが、グロテスクな展示を見たカミさんは食欲がなかったようで私だけバクバク食べていた気がします。

夕食を取っているとなんだか大勢の人が続々と集まってきました。

そうなんです。この日は友人が話をしていた花火大会当日だったんです。

人ごみや屋外でのアクティビティーが嫌いな私はそのまま帰ろうと思ったのですが、なんだかこのままだと申し訳ない気がして結局花火大会を一緒に観ることになりました。

凄い大勢の人が密集していて今度は私の機嫌が悪くなったもんです。

花火大会が終わると人が一斉に帰り始めます。

その人ごみを避けたくて、私とカミさんはしばらくその場に留まりました。

1時間もすると人はすっかりいなくなります。

目の前には横浜の夜景が広がっています。

ついついロマンチックな雰囲気になってしまったのは言うまでもありませんね。

こうしてカミさんとの付き合いが始まりました。

今でも後悔しているのは「付き合おう」とか「好き」だとかいうセリフを一切口にしなかったことです。

そういうのがホント苦手なので・・・

 

そのまま付き合うことにはなりましたが、手をつないで歩いたことも腕を組んで歩いたこともありません。

2人で若い人が行きそうなデートスポットに行ったこともほとんどありません。

周りからは「お前ら本当に付き合っているのか?」とよく言われるほどサバサバした関係でした。

お互いなんとなくそういうのが苦手だったんです。

 

翌年カミさんはイギリスへ語学留学をしました。

留学が決まってもなかなか言い出さないカミさんもまた頑固者です。

結局「行きたきゃ行けばいいじゃん」と言って送り出しました。

友人達からは遠距離恋愛じゃん!なんて心配されましたが、もともと二人で出かけたり、いつも一緒にいるわけではありませんでしたので全く心配はしませんでした。

むしろ「この間に自分のやりたいことがいろいろできるかも」とか「カミさんのところに遊びに行けば宿泊費がかからずイギリスへ滞在できる!ラッキー!」なんて考えていたくらいです。

おかげでカミさんが1年間留学している間に、夏と冬それぞれ2週間もイギリスを満喫することもできました。

カミさんの寮にいる外国人とも英語で会話をしたりできたので、私にとっては短期留学みたいな感じでしたね。

1年後に無事に帰って来てからもそのまま別れることなくカミさんとの関係は続きました。

 

大学卒業間際にカミさんの妊娠が発覚しました。

その頃からお酒をよく飲むようになっていた私は、お酒にまつわるあらゆる失敗をしていました。

飲み過ぎて暴れたり、飲み過ぎて所かまわず寝てしまったり、飲み過ぎて後先考えずに行動したり・・・

今でこそそんなことは全くありませんが、若い時の過ちは数知れません。

カミさんの妊娠もその一つでしょう。

まず最初に霊長類最強の母に相談しました。

絶対に殴られる!と思ったのですが、「あら!そのまま一緒になるならいいんじゃない?」とあっさり言われました。

以前から私の実家によく出入りしていたカミさんを母は非常に気に入っていたからですかね?

翌日にカミさんの両親にも挨拶をしてめでたく結婚をすることになりました。

この時も「結婚しよう!」とか「俺が一生大事にするから!」なんてセリフを言うことなく区役所へ婚姻届けを出したわけです。

 

そんな感じで一緒になって20年。

バタバタしていて婚姻届けを出した日付も覚えていません。

こじんまりとした結婚式を挙げた日が一応結婚記念日になっています。

未だに「プロポーズなんて全くなかった!」と娘に愚痴っているそうですが・・・

 

ま~昔のことをこうして綴ってるとあらためて思うんですよね。

自分は出会うべき人にきちんと出会っているんだなと・・・

死ぬ前に一度くらいは愛の告白的な言葉を言った方がいいのかな?とも思いますが、一度も口にしたことがないのであの世で言う事にしましょう。

以上、のろけ話でした。