3月11日

2011年3月11日金曜日 14時46分18秒

私はその日いつものように仕事をしていました。

午前中にお客様の車の足回り交換作業を終え、ちょうど試走も兼ねて納車に行く途中だったんです。

地震発生時は鉄道のガード下の短いトンネルで信号待ちをしていました。

突如車が揺れ始めます。

トンネル内だったこともあり状況がすぐにはわからなかったんです。

地震だ!と気が付いたのは目の前に停車していた3メートルほどのトラックが大きく揺れるのを見た時です。

ものすごい勢いで左右に揺れるトラック!

このまま横転するのではないかと本気で思いました。

すぐに後ろの車のドライバーさんが私の窓ガラスを叩き「地震だ!トンネルから急いで出た方がいい!」と大声で叫びました。

同時に大勢の人が車から飛び出し30メートルほど先のトンネルの出口へ走っていきましたね。

私も「ここにいたら危ない!」と思いトンネルの出口へ向かいました。

外に出ると建物や街路樹、電線が大きく揺れています。

立っていられないほどの揺れに恐怖しかなかったです。

 

揺れが収まってから車に戻りましたが、みんなどうしていいのかわからない状況で、車はしばらく動きませんでした。

余震も心配になりましたが、お客様の大切な車を放置するわけにもいきませんので車が動くのを車内でひたすら待つしかなかったんです。

15分ほどすると少しづつ車が動き出しました。

ひとまず会社に帰ろうとUターンしましたが、とにかく渋滞がすごくて結局会社に戻れたのは2時間後でした。

 

会社に戻ると従業員が全員TVをじっと見つめています。

そこには津波が町を襲う様子がリアルタイムで映し出されていました。

今まで映画でしか見たことのない光景に、心臓を鷲摑みされたような感覚を覚えましたね。

「悲しさ」とか「空しさ」とか「驚き」とか・・・

そんな感情は全くない「無」の状態でTVを見続けるしかありませんでした。

 

家族の安否が気になりカミさんの携帯電話に何度も電話をしましたが全く繋がりません。

家の電話にかけた時、当時小学5年生だった長男が電話口に出て「大丈夫だよ!みんな家にいるから。家の中もそんなに被害ないよ!」と教えてくれてホッとしましたね。

緊急事態ということもありその日は会社を早めに締めて一斉に帰宅しました。

家に帰り家族の顔を見た瞬間!何とも言えない安堵の感情が沸き起こったものです。

 

その夜のTVではいまだかつて見たことのないような災害の様子がCMを挟むことなく流れ続けていました。

そんな時、母から携帯にメールが届きました。

弟と連絡が取れないと!

 

弟は当時都内のトリトンスクエアという高層ビルで働いていました。

すぐに弟にメールをしましたが、返信がありません。

しかし1時間後に1枚の写真付きのメールが届きました。

メールには無事を知らせる内容と一緒に煙を上がている隣のビルの写真が添付されていました。

弟のビルやオフィスでは全くと言っていいほど被害がなかったみたいでしたが、隣のビルで火災が起こり周辺のサラリーマンは全員屋外に避難していたそうです。

電車も止まり、交通機関もマヒしたため弟はその日は会社に泊まったそうです。

 

この地震で家族や身内に被害を受けた人間はいませんでした。

会社も展示している商品がいくつか棚から落ちたくらいで被害は全くありませんでした。

しかし、その翌日に私は涙が出るような経験をします。

 

地震の翌日も仕事を通常通り行い帰宅しました。

すると当時幼稚園児だった末っ子が「パパ!甘いもの食べたい!」と言い出しました。

私は末っ子を自転車の後ろに乗せてコンビニに向かいます。

しかし!お店に入った時私は衝撃を受けました。

商品が棚に何一つ置かれていなかったんです。

唯一あったのはペットフードとお酒だけでしたかね。

 

震災直後、不安からか?スーパーなどで食料品や日用品の買い占めが起きていることはTVで知っていました。

しかしどこか「自分には関係ない」と思っていたんです。

コンビニで見たその光景は私に現実を一気に見せつけました。

同時になんだか涙があふれてきたんです。

店内で涙を浮かべている私を見て末っ子は「パパどうしたの?」と心配そうに話しかけてきました。

私は「ごめんね!何もないから家でホットケーキでも作ろうか?」と言ってコンビニをあとにしました。

 

この時なぜ涙が出たのか?

それは人間の身勝手さ、愚かさ、無力さを目の当たりにしたからです。

私は幼少期から霊長類最強の母に「人の為に尽くしなさい!自分の事は後回し!常に人の事を考えその人が喜ぶこと、その人に役に立つ行動を取りなさい!」と教わりました。

だから自分だけ良ければいい!って人を見ると残念な気持ちになるんです。

そのコンビニの風景も私には同じでした。

不安な気持ちはわかるけど、そんなに必要ないものを買い占める必要なんてあるの?なんでみんな身勝手なんだよ!と悔しい気持ちになったんです。

 

東日本大震災は未だかつて誰も経験したことのない大災害でした。

みんなが冷静さを失い、パニック状態になったのもよくわかります。

しかし、私の住んでいる地域では全くと言っていいほど被害はありませんでした。

翌日からは皆普通の生活が送れていたはずです。

それでも一週間程度は買い占めは続いたんです。

 

TVでは東北で被災した人たちの様子が日々報道されていました。

私はスーパーの全商品を、全財産をはたいてでも購入して被災した方々へ届けたくなりましたね。

しかし、相変わらず買い占めは収まりません。

お米やカップ麺、トイレットペーパーが当たり前に買えるようになるまで2週間程かかりました。

何とも言えない気持ちで過ごした2週間でした。

 

その後はガソリン不足も噂され、ガソリンスタンドには連日長蛇の列が出来ました。

我が会社の前にも連日長蛇の列ができた関係でちょっとした営業妨害でしたね。

トイレを借りに来る方も多くてみんなで驚いたものです。

 

その数か月後には計画停電もありました。

この時には乾電池や懐中電灯を探す人で町は溢れかえりました。

お店に置いてあったLEDのハンディーライトもあっという間に売り切れてしまい追加でオーダーした分もすぐに売り切れるほどでした。

 

不安な気持ちが広がると人はこんなにも自分を守るために必死になるんだな~と感心してしまいましたね。

こうしている間にも被災地では多くの人が生活に困り悲しみに暮れているというのに・・・

 

東日本大震災は本当に色々考えさせられた出来事でした。

被害がなかったからこうして冷静に色々と考えられますが、自分が被災者だったらそうは言ってられなかったかもしれません。

被災して全てのものを一瞬で失った時、自分は冷静でいられるのか?

その立場にならなければ絶対にわからないのかもしれません。

 

あれから11年が経ちました。

あの日のこと、被災地のこと、被災者のこと、絶対に忘れないようにこれからも生きていこうとあらためて思うのです。

 

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