下北の脇野沢へ

7月に祖母が亡くなりました。

今から8年前に祖父の病気により青森県の田舎から私の実家に引き取りることに!

9年前はまだまだ元気いっぱいだった二人ですが、年月の経過とともに介護が必要になってきまして、母が実家で面倒を見ていました。

妹が病に倒れてから10年間の看護生活!

その後は自分の両親の介護生活!

霊長類最強のパワフルな母も時々疲れた様子で私に愚痴をこぼしていましたね。

祖父が5年前に他界し祖母だけが残りましたが、そのタイミングで祖母は特別養護老人ホームで余生を過ごしていました。

そして先日その生涯を静かに終えたんです。

 

 

25年ぶりに母の実家のある青森県は下北の脇野沢に行きました。

祖母の納骨と残されたお墓や家を処分するためです。

 

 

母の実家は下北半島の突端、むつ湾に面した脇野沢という場所にあります。

その昔は下北郡脇野沢村でしたが、平成の大合併により今はむつ市脇野沢になっています。(村から市になりましたが人口はどんどん減少中です)

本当に何もない静かな田舎です。

幼少期は毎年夏休みになると必ず2週間ほど遊びに行っていました。

毎年親戚一同が集まり、お盆の行事や夏祭りを楽しんだものです。

しかし、中学生になると日々の生活が忙しくなり帰省することもどんどんなくなっていきました。

実はこの地を訪れたのは25年ぶりです。

最後に行ったのは19歳の大学生の時でした。

 

当時、バイトと遊びに夢中になっていた私は大学にも行かずに堕落した生活を送っていました。

いわゆる「大学デビュー」というやつでしょう。

たくさんの女の子と遊びすぎて、本命の彼女から別れを告げられ落ち込んでいた時期でもありました。

もちろん霊長類最強の母が黙っている訳はありません。

連日怒号が飛び交い、とうとう家にも帰らなくなっていました。

そんな時、母から告げられた一言「青森へ行っておいで!」

これが私の人生を大きく変えたんだと思います。

私はしぶしぶ母の言いつけに従い3週間脇野沢へ滞在することになりました。

電車とバスを乗り継ぎ14時間ほどかけて到着した時、祖父母や村にいた親戚の人達は私を歓迎してくれました。

それからというもの連日母の実家に親戚が集まり、私の歓迎会が繰り広げられたんです。

昼間には祖父母が中心となって活動してた老人会の会合やイベントに出席しお手伝いもさせられました。

携帯の電波はもちろん通じません。

TV番組も東京のように気軽に見られるものばかりではありません。

毎週月曜日に発売される少年ジャンプも水曜日にならないと村には届きませんでした。

そんな何もないところで自分と見つめ合った3週間は本当に貴重な時間でしたね。

祖父母や親戚に可愛がってもらいましたし、本当の自分を取り戻せたような時間でした。

 

 

そんな脇野沢へ25年ぶりに行くことになり、最初に迷ったのは交通手段です。

東北新幹線を使ってもその後、ローカル線&バスを乗り継いで4時間はかかる場所です。

飛行機で行っても一日数便しか出ていないフェリーに乗れるか?不安もあります。

そこで今回は車で向かうことにしました。

とは言え、マイカーを数日間も使うとカミさんが困りますのでレンタカーを借りてみました。

しかもBMWの5シリーズ! Mスポ!

 

 

この相棒と共に横浜を夜9時に出発したわけです。

途中で埼玉に住んでいる弟を拾いあとは北へ北へと車を走らせました。

 

 

深夜の東北自動車道をほとんど休憩することなく爆走すること数時間・・・

朝5時には青森県の七戸に到着!

どんだけ飛ばしたんだ?と自分でも思います(笑)

 

 

ナビを見るとあと2時間ほどで到着してしまいそうです。

しかし、そんなに早く到着してもやることはありません。

そこで弟と相談して寄り道をすることに・・・

 

つづく