C.BECHSTEIN

昔から物欲はあまりありません。

高級ブランドの時計やバッグ、高級車などもお金があれば欲しいと思うのかもしれませんが、全くと言っていいほど興味がなかったりします。

もっぱらお金の使い方はおいしいものを食べたり、お酒を飲みに行くことにくらいでしょうか。

「物」よりも「事」にお金や時間を消費するタイプです。

 

そんな私にも欲しいものが一つだけあります。

「C.BECHSTEIN」のグランドピアノです。

 

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「C.BECHSTEIN」のピアノを初めて触ったのは19歳の時でした。

当時弾きたい曲があって、楽譜を買うために都内の楽器店に行きました。

そこに置いてあったのが「C.BECHSTEIN」のグランドピアノでした。

おそらく期間限定のフェアか何かで置かれていたと思うのですが、一人の女性がそのピアノを優雅に弾いていたんです。

その音色を聴いた時、すごく興奮しました。

今まで聞いたどんなピアノの音色よりも素晴らしい音だったからです。

楽器店のスタッフさんにお願いして3分ほど試弾させてもらいましたが、この時の鍵盤のタッチ、耳に飛び込んできた素晴らしい音色は一生忘れることはないでしょう。

 

幼少期から様々な有名なピアノを弾かせてもらいました。

ピアノの発表会では「スタインウェイ」を毎年のように弾かせてもらっていましたし、「ベーゼンドルファー」も楽器店で触ったことがあります。

他にもカワイやヤマハの高級ピアノはもちろん、大好きなX-JAPANYOSHIKIの象徴ともいえるクリスタルのグランドピアノも弾かせてもらいました。

 

はっきり言ってピアノは下手くそです。

人に聴かせるような腕前ではありません。

あくまで自分が楽しめて気分転換になるから弾いているだけです。

だからこそ聴いてくれる人が気持ちよく聞こえる音ではなく、弾いている自分が気持ちよく感じるピアノが欲しいのです。

そんな私にとっては「C.BECHSTEIN」のピアノが唯一無二の存在ですね。

 

以前も書きましたが、19歳で憧れを抱いてから「いつか必ず買う!」と心に決めてアルバイトに励みました。

昔から物欲の全くない自分にとって、欲しいものを買うために働いてお金を稼ぐというモチベーションは特別なものだったと思います。

途中で遊びやギャンブルに消えていったお金もありましたが、22歳までの3年間で150万円ほど貯めました。

もちろん150万円では到底買えません。

それでも少しづつ目標に近づいている気がして嬉しくなったものです。

 

当時から私が欲しいのは一貫してコンパクトなグランドピアノです。

現在販売されているものだと「アカデミーA.160」「コンサートL-167」などですかね。

ちなみにお値段は・・・

「アカデミーA.160」 ¥5,830,000- 税込

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「コンサートL-167」 ¥10,890,000- 税込

 

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高級外車がど~んと買える価格です。

 

結婚と同時に大切に貯めた150万円は無くなりました。

新しい生活を始めるためにお金がかかったからです。

子供が生まれるとあっという間に無くなりました。

貯金額は20万円まで減りましたね。

それでも私の唯一の物欲は心の奥底で生き続けているものです。

数年前から再びピアノに向かう生活を始めて以降、「ピアノを買う!」という20年以上前の目標が再設定されました。

もう一度お金を貯めてチャレンジするつもりです。

目標金額はズバリ1000万円!

50歳になるまでに達成したいと思っています。

 

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昨日、先日ブログにも書きました調律師をされているお客様が「C.BECHSTEIN」のカタログを持ってきてくれました。

見るからに高級そうな立派なカタログです。

「社長これどうぞ!注文はいつでもお待ちしてますね!」なんて冗談を言われましたが、そのカタログを見つめれば見つめるほどモチベーションが上がるものです。

家に帰りカタログをながめながら飲むお酒も格別でしたね。

 

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夢や理想を安易に語るのはあまり好きではありません。

だって口では何とでも言えますから。

でもこの目標だけは常に口に出して自分を奮い立たせるようにしています。

憧れを手に入れるその日まで!

 

靖国神社

先日の武道館ライブの前に寄り道しました。

靖国神社です。

 

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靖国神社に行くなんてちょっと変わっている!

こんな場所に行く人はかなりの右利きだ!

なんて変わった人間なんだ!

な~んて思う方も残念ながらいるのが今の日本でしょうか?

もちろんそんな方々の考え方も価値観も否定しませんし、論破するつもりもありません。

ただ、私にとって日本で最も特別で個人的に好きな神社であることはまちがいありません。

そんな靖国神社を最初に訪れたのは20歳の時でした。

 

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両親はともに高校教師(養護教諭)でしたので、どちらかというとこのような場所に興味を持ったり率先して子供を連れて行くようなタイプではありませんでした。

実家も長いこと朝日新聞を購読していましたし、幼少期から「昔の日本は悪い国!」「日本人はひどいことをたくさんしてきた!」「だから戦争に負けたし今後も戦後補償をし続けなければいけない!」と教わった気がします。

もちろん小学校から中学校まで歴史はきちんと習いました。

教科書に書いてあることは頭には入っていましたし、それが全て正しいことだとも思ってもいました。

 

しかし!

中学2年生の時、両親と私の考えが大きく変わる出来事が起こります。

その年の夏休みの宿題では「太平洋戦争について」という課題が出されました。

内容は「祖父母や親せきに戦争体験を聞いてまとめる」という今では考えられないような課題でした。

私は母の実家(青森)に住んでいる祖父に電話をして宿題の事を説明しました。

電話口で祖父は黙って私の話を聞いてくれていたのが印象的でしたね。

 

その1週間後、祖父から便箋10枚ほどの手紙が送られてきました。

その手紙を読んだ瞬間から、私も両親もそれまでの考え方がガラッと変わったのだと思います。

 

祖父は戦時中、北方領土でもある択捉島に出兵していたそうです。

そこで朝鮮人の労働者を管理、監視する役割を与えらました。

いわゆる「強制労働」というものがそこでは行われていたんです。

そこでの朝鮮人に対する扱いはとても酷いものでした。

寒い地域なのに十分な食事や衣服も渡されず、凍え死ぬ人間も目の当たりにしたそうです。

そんな労働者を祖父や同僚の人たちは不憫に思い、食べ物や衣服をバレないようにこっそり与えたというエピソードが書いてありました。

一番インパクトがあったのが労働者が海に転落した時のエピソードです。

作業中に不注意で海に落下した労働者。

『トワジュセヨ』(助けてくれ!)と大声で叫んでいたようです。

それを見ていた周りの労働者達は『アイゴー』(大変だ・なんてことだ!)と救助に向かうとします。

しかし上官がそれを制止させるよう祖父に命令します。

寒い海に落ち、必死に助けを求める労働者とそれを見つめることしかできない周りの人間。

結局その労働者は溺死してしまいました。

祖父はその光景を目の当たりにし何もできなかった自分を心の底から憎んだそうです。

人が目の前で簡単に死んでいく姿を毎日のように見せられる日々。

結局数年間の兵役の間に何百人という遺体を処理するのも祖父の仕事でした。

祖父の手紙の最後にはこう書いてありました。

「あの時代は誰も悪くない。正しい事と間違っていることの区別など存在しない時代だった。今だからわかることがたくさんあるが、その当時正しい倫理観で物事を考えられる人間、口にできる人間はほとんどいなかった。だからこそ今はしっかりと物事を考えて欲しい!本当に正しいことは何なのか?私はこれからの若い人たちに期待します!」と・・・

 

その手紙を読んだ時、母は号泣していました。

祖父が今まで戦争について語ったことなどなかったからです。

幼いころから母はものすごく勤勉でしたので何度も戦争体験を聞いたそうです。

そのたびに祖父は「誰かに話すようなことじゃない」と口にすることはなかったと聞きました。

母も私も初めて聞いた祖父の戦争体験に衝撃を受けたことは間違いありません。

 

その手紙をもとに私は夏休みの宿題を完成させました。

この時からでしょうか?

近代史に興味を持ち始めたんだと思います。

 

高校生になるとそれなりに難しい本を読むようにもなりました。

太平洋戦争時代の本はもちろん、幕末から明治維新歴史小説なども読みました。

大学生になると必ず買っていた雑誌がありました。

SAPIO」と「正論」です。

愛国心歴史認識などを強調する内容が書いてありましてすごく刺激を受けたのを覚えています。

その雑誌を家に持ち帰ると今度は父が読むようにもなりました。

その頃から父や母と難しい話をする機会も増えていきます。

そんな矢先、我が実家の新聞は朝日新聞から読売新聞に変わりました。

父は私の影響を強く受けたと後で聞きました。

 

そんな時に好奇心から初めて靖国神社を訪れました。

終戦記念日の前日に行ったこともあり、怖い人たちと警察官がたくさんいてなんだかすごく緊張したのを覚えています。

結局すごく場違いな場所に来てしまったと感じ、ササっと参拝を済ませ逃げるようにあとにしたものです。

ちょっとした恐怖すら感じました。

靖国神社を再び訪れたのはそれから17年後の35歳の夏でした。

 

長男が中学3年生になり歴史について勉強したいというので連れて行きました。

小学4年生だった末っ子も一緒に3人で夏休みの思い出作りに行ったんです。

まずは靖国神社の近くにある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」に行きました。

夏の暑い日、しかも平日ということで誰もいませんでしたね。

その後すぐに靖国神社へ行き、参拝と「遊就館」という資料館を訪れました。

17年前には無かった立派な施設です。

そこで子供と一緒に色々な展示物を見て非常に刺激を受けたものです。

近代史の勉強を一日で済ませるならこの施設が最も最適だとさえ思えました。

 

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それから数年に一度のペースで訪れている靖国神社

目的は「遊就館」に行って歴史を勉強することですかね?

今回で5回目の訪問になりましたが、何度来ても勉強になる施設であることは間違いありません。

日本武道館に行く際はぜひ立ち寄りたい場所でもあります。

 

現在の日本は本当に平和な国です。

しかし、日本も諸外国同様に紛争や戦争が絶えず起きていた長い歴史があります。

特に幕末から昭和20年までの約90年間は壮絶な戦争の歴史だらけです。

日本という国を守り、自分たちの生活を保つために多くの尊い犠牲がそこにはありました。

その歴史一つ一つを丁寧にひも解くと、現代の私たちの豊かで平和な暮らしがどのようにして作られたのかがよくわかるものです。

靖国神社はそんな場所だと私は思っています。

 

日本の長い戦争の歴史が終わって77年が経ちました。

海外ではいまだに戦争が行われています。

完全に対岸の火事のように感じますが、かつては日本も同じ状態であったということだけは忘れてはいけませんね。

今の平和な暮らしに感謝しつつ、先人達に恥じないよう生きていきたいと思います。

 

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ひな祭り

昨日はひな祭りでした。

我が家には20歳になった娘がおりますが、さすがにひな祭りのお祝いなどはもうありませんね。

昨夜も11時過ぎまで帰ってきませんでした。

そんな我が家のひな祭りですが、私は毎年きちんとひな人形を飾っております。

 

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カミさんは「もう出さなくていいでしょう!部屋が狭くなるし結局だらだら飾りっぱなしでなかなか片づけないんだから!」と毎年同じセリフを口にします。

それでも私は毎年きちんと飾ります。

ひな人形にはそれなりの思い入れがあるからです。

 

今から35年ほど前、若くして亡くなった妹が1歳の頃、両親は妹の為にひな人形を買うことを決意しました。

我が家にとって待望の女の子!

貧しい家庭で育った母にとって、立派なひな人形を家に飾ることが憧れだったと後で聞きました。

家族全員で電車に乗り東京の「浅草橋」へ行ったのを覚えています。

冬の寒い日でした。

両親は私と弟のことなど全く構う様子もなく、黙々とひな人形を選んでいました。

何件ものお店を回り最終的に決めるまでに3時間ほどかかったんです。

その間、小学生の私は妹と弟の面倒を一生懸命みていましたね。

両親は結局、狭い我が家には明らかに似合わない7段飾りのひな人形を購入しました。

 

数日後自宅にトラックで運ばれた大きな箱!

父と母と私で7段のひな人形を組み立てたものです。

お店で見るよりもそれははるかに大きく感じました。

まだ小さかったのでお内裏様とお雛様が鎮座する最上段には手が届かなかったものです。

それとは別に両親は「木目込み」の雛人形まで購入しました。

後で聞いたのですがそちらの方が高かったようです。

 

それ以降、毎年我が家ではきちんとひな人形を飾り、盛大にお祝いをするようになりました。

妹も毎年それを楽しみにしていて家族そろって楽しい時間を過ごしたものです。

妹が難病にかかり入院生活を始めてからも雛人形は毎年きちんと飾られました。

妹が亡くなってからも母は形見と言わんばかりに毎年飾り続けていましたね。

今でもその雛人形は大切に保管されています。

 

そんな家で育った私ですから、雛人形をきちんと飾ることは私にとって当たり前の事なんです。

我が家の雛人形も娘が生まれた翌年にカミさんと買いに行きました。

安月給の我が家にはとても高級なものは買えませんでしたが、私の母が「きちんとしたものを買いなさい!」と少しだけ援助をしてくれたので、それなりに立派なものを購入したんです。

カミさんは幼いころからガラスケースに入ったコンパクトなひな人形しか飾ったことがないらしく、立派なひな人形が家に飾られることに当時は喜びを感じていたみたいです。

 

その雛人形を購入した時に私はある誓いをたてました。

「娘が20歳になるまでは毎年必ず飾り続ける!」と・・・

 

月日が流れ2022年の3月3日。

娘は1月で20歳になりました。

そして今年も雛人形を私はきちんと飾りました。

カミさんからは「飾るの今年で最後だね!見納めだ~」なんて言われました。

 

20年飾り続けた我が家の雛人形

今年もその美しい人形を見ながらおいしいお酒を飲んでいました。

この雛人形を買った時の事、これまでの娘の成長を思い出して少しだけおセンチな気持ちになるものです。

 

来年以降も結局私は飾るのかもしれません。

娘が結婚して家を出て行く時に初めて供養するか、一緒に持っていくかになるでしょう。

思い出がたくさん詰まった我が家の雛人形です。

 

神保町

SHE'Sの武道館ライブの前に少しだけ寄り道して隣駅の神保町へ行きました。

武道館から徒歩で6~7分ですね。

目的は「古書店街」です。

 

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大学4年生の時によく通った街でもあります。

当時私は卒業論文を書くためにありとあらゆる文献に目を通しました。

ちなみに論文のテーマは「ビートルズの英国性」

かなりマニアックなテーマでしたね。

親父の影響でビートルズが大好きで小学生からこの歳になる今でも聴き続けています。

特に私は初期の作品が好きでして『Revolver』くらいまでの作品がお気に入りです。

そんなビートルズの歴史も徹底的に調べました。

メンバーのそれぞれの生い立ちはもちろん、デビュー前にいた幻のメンバー「スチュワート・サトクリフ」「ピート・ベスト」なんかもたくさんの本を読んで知りました。

プロデューサーのジョージ・マーティンビートルズを作った男と言われるマネージャーのブライアン・エプスタインなんかの人物伝も読んだものです。

だから卒業論文ビートルズに関することをまとめたら楽勝でしょう!と安易に考えていたんです。

 

私の学部は外国語学科英語コース!

ほとんどの授業が英語で行われ教科書も英字でした。

3年生になり楽だろうと安易な気持ちで選択したゼミの先生は「イギリス史とイギリス文化」の専門家でした。

ビートルズについて卒論を書きたい!と相談したら「ビートルズの英国性」というテーマで書いてみなさいと言われ書き始めたんです。

ビートルズについて書けと言われれば、参考文献などなくてもスラスラと書けるだけの知識はありました。

しかし、ビートルズの音楽やその生き様に英国性を見い出せと言われてもちょっと困ります。

だってそんなこと考えながら聴いたこともなかったですし、そんなの今まで読んだ本には書いていないからです。

 

ビートルズの音楽のルーツはアメリカからリバプールの船乗りによって伝えられた「スキッフル」という音楽です。

スキッフルは、ジャズ、ブルース、フォーク、ルーツ・ミュージック、カントリー・ミュージックなどの影響を受けた音楽で、手作りの楽器や、即席の楽器で思い思いの演奏をする庶民の音楽でした。

そのスキッフルに影響を受けたジョン・レノンビートルズサウンドを作り出します。

これ以上長く書くときりがないのでこの辺にしますが、このスキッフルを糸口にビートルズの音楽に英国性を探す作業が始まりました。

 

大学4年生の当時は1999年!

その当時、インターネットはそれなりに普及してましたが、まだまだ検索しても必要な情報が簡単には手に入りません。

情報量は現在の100分の1以下だったと思います。ほんとに!

大学の図書館にも必要と思われる本はあまりありませんでした。

そこで私が通ったのが神保町でした。

ここには一般的な本屋さんではなかなか目にすることのない希少かつ、マニアックな本がたくさん売られています。

特に古書には私の求めている情報が多く書かれているものがたくさんありました。

もちろん英国性を調べるにはイギリスの歴史や文化も同時に調べなければいけません。

50冊くらいの古書を片っ端から読んでは写し、論文は半年をかけて完成しました。

論文はA4の紙にギッシリ書いて40枚ほどになりました。

それとは別に20枚ほどの要約を英文で書かなければいけません。

この時は本当に毎日部屋に籠って一生懸命書いたものです。

 

論文の最終発表は学部長と教授3名による面談形式でした。

私の書いた渾身の論文を読んだ教授たちが次々と質問をしてきます。

きちんと読んでくれたようで具体的かつマニアックな質問が次々に出てきます。

厄介だったのはAというおばちゃん教授です。

実はこの教授!かなりのビートルズマニア!!

何度か授業や学食で個別にビートルズ話のすることがあったのですが、私のマニアックな知識に感心してくれたことがありました。

そのAというおばちゃん教授はここぞとばかりにグイグイ質問してきます。

私も負けじと応戦!

結果的におばちゃん教授を論破してやりました!

その時のおばちゃん教授の悔しそうな表情に妙な優越感を覚えましたね。

若い頃は本当に性格悪かったんですよね!

 

気になる論文の評価ですが・・・

「Bマイナス」でした。

論文の評価は一番上が「AA」「Aプラス」「A」「Aマイナス」「Bプラス」「B」「Bマイナス」「Cプラス」「C」と細かく分かれていました。

ちなみに「Cプラス」は再提出で「C」は留年確定!

私はギリギリのところで卒業できたと言うわけです。

ちなみに同じ学部に通っていたカミさんの卒論は「A」だったとか・・・

 

久しぶりに神保町に降り立ちとても懐かしい気持ちになりましたね。

本屋さんで色々な本を物色したのですが、今回は欲しいものが見つかりませんでしたので結局手ぶらで帰りました。

また時間があれば行きたい場所でもあります。

 

さて、そんな神保町で美味しそうなお店を発見しました。

「肉の罠」

ハンバーグが自慢の居酒屋です。

 

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ソースなどは付けずに塩味だけで十分満足できるジューシーさでしたよ。

この店自慢のハンバーグをおいしくいただいて私は武道館に向かったというわけです。

以上神保町の思い出でした。

 

日本武道館ライブ SHE'S in BUDOKAN

SHE'Sの武道館ライブに行ってきました。

 

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3年ほど前に聴いてからすっかりファンになってしまったピアノロックバンドです。

今年はデビュー10周年ということでアニバーサリーイヤーを飾る最後のイベントが武道館でのライブでした。

SHE'Sにとっても、ファンにとっても初めての武道館ライブ!

私のようなにわかファンが参加していいものか?少し躊躇いはありましたが一度生で聴いてみたかったので参戦してみました。

一応責任のある立場なのでこのご時世に大勢が集まる会場に行くことは非常に悩みましたが、好奇心が勝りましたね。

 

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武道館に到着すると大勢のファンが集結していました。

そしてそのほとんどが若い人たちです。

とくに女性が多かった印象ですかね。

そこに40を超えたオッサンが1人乗り込むわけですから、別の意味で緊張してしまいました。

 

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席は東側の2階席の後方。

私はこれまで数々のライブに足を運んでいますが、大声を出したり体を大きく揺らしたりするような聴き方はあまりしません。

若い頃は隣の人に迷惑になるくらい騒いだりはしゃいだりして楽しんでいましたが、30歳を過ぎた頃からは一人静かにその音に耳を傾けて楽しむのが今の私流です。

この日も一人静かに着席したままじっくりと堪能していました。

2階席の後方だった為、他にも座って楽しんでいる人が多かったので少しホッとしたりもしましたね。

(この歳で2~3時間立ちっぱなしは正直辛い!)

 

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武道館はほぼ満席でした。

色々な事情やコロナを考慮して遠慮した人もいるのでしょうが、目立つような空席はほとんどありませんでしたね。

 

開演時間の7時ピッタリにライブは始まりました。

大音量で生演奏を聴くのは本当に久しぶりでしたね。

楽器の音はもちろん、演奏者の息づかいまでハッキリと聴こえてきました。

思わず「お~」と歓声を上げたくなるくらいワクワクする瞬間でしょう。

 

今回のライブではファンの方々のお行儀の良さが好印象でした。

誰一人大きな声を出すこともなく、皆自分の思い思いの形でライブを楽しんでしましたし、前列や後列の人に気を使い声を掛け合う場面も見られました。

若い子達の「みんなで楽しもう!」という意識が強かったライブだったと思います。

ちなみに自分が20代の頃はライブに行ったらとにかく「自分が楽しんだもん勝ち!」みたいなところがあって、後ろや前の人の事など全く気にしていなかったと思います。

みんな偉い!

 

私のもう一つのライブの楽しみ方は観客観察です。

ライブ前には多くの若い方が目を輝かせて開演を待っていました。

その表情はクリスマスの朝にサンタさんからのプレゼントを開ける子供の様です。

皆笑顔で本当に楽しそうにしている姿にこちらも幸せな気分になりました。

そして若いカップルが多くて、仲良さそうに笑顔で会話する姿にもほっこりもしました。

ライブが始まってからはさらに皆目を輝かせて本当に楽しんでいるのが分かります。

同じ時間に大好きなアーティストの曲を同じ思いで聴く!

この一体感というか同調性がライブの醍醐味なのでしょう。

こんなところにオッサンが1人ポツンと座って聴いているのが少し申し訳なくも感じました。

 

終演後も分散退場にみんな協力していましたし、きちんと整列して九段下の駅へ向かう姿も好印象でした。

アーティストもファンも純粋に音楽を楽しめたいいライブだったと思います。

 

セットリストは以下のとおり

 

①追い風

②Maspuerade

③Un-science

④Over You

⑤Do  You Want?

⑥In Your Room

⑦If

⑧Ugly

⑨Delete/Enter

⑩ミッドナイトワゴン

⑪White

⑫Letter

⑬Chained

⑬Clock

⑭Ghost

⑮Blue Thermal

⑯Imperfect

⑰Dance With Me

⑱The Everglow

⑮Stand By Me

アンコール

⑯Voice

⑰Curtain Call

 

ピアノロックバンドらしい激しさも、しっとりさもあるライブでした。

これからも応援していきます。

お疲れさまでした。

 

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余談ですが、武道館に来ると毎回この曲が頭の中に無意識に流れ始めます。

この日この曲を口ずさみながら九段下の駅に向かった人間は間違いなく私だけでしょうね。

 

youtu.be

 

 

こんなに違うもの?

今月だけで3回もゴルフに行きました。

 

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10年ほど前にお付き合いの為に始めたゴルフ!

止まっているボールをただ打つだけでしょう?簡単じゃん!と安易に思っていた自分。

実際にやってみると本当に難しくて、まともに打てるようになるまでにとてつもなく練習を重ねました。

多分「センス」ってものがあるのだと思いますが、私にはそれが全く無いようでして、人一倍練習をすることで何とかコースを回れるようになった印象があります。

(ごくまれにすぐに上達する人がいるのでつくづくそう思います)

なかなか上手くならないので何度も「もう辞めようかな?」と思いましたが、それでもあきらめずにコツコツと練習を重ねて今日に至ります。

数年前までは自分がゴルフをやることを公言していなかったので、お誘いを受けることはあまりなかったのですが、何でしょうか?

口コミや人の噂話って本当に広まるのが早い!

「あの社長ゴルフやるらしいよ!」という話を聞きつけた取引先からのお誘いがここ2~3年で急に増えてしまいました。

しかも「あの人上手いらしいよ!」「プロ並みって話だぜ!」なんて尾びれ背びれがついてしまったから余計に大変ですね。

 

正直ゴルフが好きか嫌いか?と言われれば「好きではない!」と言えます。

なかなか上達しないこともありますが、一番の理由は「時間とお金を丸1日奪われるから」でしょう。

朝早くから準備をして遠方まで数時間をかけて移動!

その後6~7時間ほどかけてラウンドし、疲れた身体で帰ってくるのは夕方!

毎回1~2万円ほどのお金が消えていきます。

 

月に休みが2~3日しかない私にとっては、あまり好きでもないゴルフで貴重な休みが無くなることは非常に非効率です。

休みの日はご飯の支度もありますし、趣味である運動やピアノ、料理や読書に時間を使いたいのが本音です。

ゴルフという道楽は私のその時間そのものを奪うものに他ならなかったりもします。

そして相変わらず上達をしないので、なかなか「今日は楽しいゴルフだった!」と言えるようなこともないのです。

 

そんなゴルフが今月は3回もありました。

先週と先々週の2回はお世話になっている取引先様とのゴルフです。

当然皆さん私よりも年上だったり、立場もそれなりに偉い方々ばかりです。

しかも皆ゴルフがとても上手!

移動中の車内でも、ラウンド中でもそれなりに気を使います。

正直普段の業務のほうが気楽ですかね。

そんな2回のお付き合いゴルフはそれなりに疲れました。

(皆さんいい方ですので嫌な思いをすることはないのですが・・・)

 

そして本日もゴルフです。

しかし、今日のメンバーはいつもとは違い全く気を使わない人達とのラウンドでした。

いつもお世話になっている当店の現担当セールスと前担当セールス、そして弊社の若手社員とのゴルフです。

日頃から一緒に仕事をしていますし、プライベートでもよくご飯を食べに行ったりお酒を飲みに行くような仲です。

当然立場は私が一番上になります。

普段は気を使いながらのゴルフですが、今日は気を使われながらのゴルフでした。

 

千葉県のとてもきれいなゴルフ場!

天気も良くていつもよりもリラックスしてプレー出来ました。

相変わらずのスコアではありましたが珍しく楽しめたんです。

運転をしなくて良かったので程よくお酒も飲めましたしね。

一緒に行ったメンバーも私を含めあまり上手ではなかったので、終始笑いが絶えないラウンドでした。

本当に楽しかった~!

 

そこで気が付きました。

私にとってゴルフは「いつやるのか?」「どこのコースでやるのか?」ではなく「誰とやるのか?」が一番重要だと・・・

もちろんゴルフだけではないですが、やはり1人ではできないスポーツですから一緒に周る相手が重要になってきます。

今回くらい気を使わずに楽しく周れるなら、お金や時間が奪われという感覚はあまりなくなりますね。

非常にいい経験になりましたし、ゴルフに対するイメージが大きく変わる一日でした。

 

コロナ禍でもゴルフの人気は衰えることはないそうです。

ゴルフ場には若い人たちの姿も多くみられるようになりました。

私ももう少し上達してますます楽しめるようにならないとですね。

 

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来月も2回ほどのお誘いを受けています。

こちらも頑張ります!

 

離婚問題

結婚は「判断力の欠如」

離婚は「忍耐力の欠如」

再婚は「記憶力の欠如」

この言葉すごくしっくりくるな~と常々思っております。

 

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さて、「離婚問題」でございます。

急に重いテーマになりましたが、私の夫婦間の話ではありませんのでご安心を!

 

40歳も過ぎると何でしょうか?おめでたい話題がどんどんなくなりますね。

20代後半~30代までは友人や知り合いの結婚や出産、新居を構えたとか仕事で出世したとか、何かとおめでたい話題が多かった気がしますが、ここ数年は残念な話題ばかりになってきました。

誰かが亡くなった、仕事を失った、体をこわした、怪我をした、誰にも気づかれずに失踪した、などなど・・・

ある程度年齢を重ねれば当然そうなるのでしょうが、暗くネガティブな話題が多くなってくるとそれはそれは残念に思えてきます。

そんななかで、ここ数年私のところに飛び込んでくる暗い話題第1位が「離婚問題」です。

 

ここ2~3年の間で4~5件ほどの離婚相談が舞い込んできました。

もちろん私はカウンセラーでも弁護士でもありません。

それなのにたくさんの相談を受ける羽目になるから不思議です。

そのあたりの問題に精通しているわけではないですし、こう言っては何ですが他人の家庭事情なんかにできれば首を突っ込みたくはないんです。

それでも相談されてしまった以上、真剣に考えてあげなければ失礼だと思い相談に毎回のっております。

 

1年ほど前、私が代表を務めている少年野球チームのコーチ(友人)が離婚の危機を迎えました。

原因は明らかに本人にありました。

転職し新しい環境になった途端、人が変わったように態度がデカくなったり、お酒を飲ませると人格が変わってしまうようなところも多々ありまして・・・

同い年だった為、そのたびに私はきつく言い聞かせていたのですが、とうとう奥さんが子供を連れて家を出てしまいます。

もちろん奥様も子供もよく知っているので、そうなった経緯も互いの主張も理解しているつもりでした。

お互いに少し距離を置くことで夫婦間の問題を解決しようと思っていたみたいですが、私から言わせれば夫側の生活や態度を改めなければ何も解決しないのは明白でしたね。

最初の相談を受けてから数か月後、友人の家に行きました。

奥さんと子供が出て行ったあと友人は一人で暮らしていたのですが・・・

部屋に入るなり私は目を疑いました!

足の踏み場もない散らかり方!

何ヶ月も掃除していない埃だらけの床!

食べ残しが腐って悪臭を放つ台所!

洗濯したのかどうか全く分からない衣服の山!

その光景を見て私は友人を怒鳴りつけましたね。

いくら気を使わない関係とは言え、人を家に呼ぶにはそれなりの礼儀があってしかるべきです。

私は持参した手土産をそいつに投げつけたくなりました。

そんな私の気持ちなどお構いなしに友人はお酒を煽るように飲み始めたんです。

一応話だけは聞いてあげようと思い1時間ほど相談にのりましたが、相変わらずのダメ人間ぶりです。

挙句の果てに自分だけ飲み過ぎたのか、寝始めます。

私は怒りを通り越して呆れるばかり!

友人が深い眠りについている間、私は仕方なく部屋の片づけを1人で始めました。

深夜の1時から3時まで!

俺は家政婦か!と思いながらも綺麗にして家をあとにしました。

 

その数日後、奥さんから連絡をいただきました。

部屋を片付けてくれたお礼と、夫の心配をしてくれたことに対する感謝の言葉がLINEのメッセージにはギッシリと書かれていました。

その日の夜、私は友人を再び訪ねそのLINEを本人に見せこう言いました!

「自分に甘い!人に甘えすぎ!我慢が足りないんだよ!」と・・・

その時友人は目を真っ赤にしながら自分の置かれている状況を必死に理解しようとしているようでした。

そして「お酒はしばらく飲まないこと!奥さんに毎日きちんと謝罪と日々の報告のLINEをすること」を約束させました。

 

結果的に8ヶ月間の別居生活を終え夫婦は元の生活に戻りました。

今では驚くくらい仲良く過ごしていて、毎週二人でどこかに出かけているようです。

その姿を見て非常に嬉しく思ったのは言うまでもありません。

 

5か月前には女友達から離婚の相談を受けました。

原因は本人の浮気が発覚したからだそうです。

すごく優しくて人当たりも良く、仕事もきちんとしている子なのですがなぜか男にはだらしないから不思議です。

旦那さんとは結婚して今年で8年目。

子供はお互いに作らないと決めているようで、夫婦共働きでお金の心配は無いほどリッチな生活をしていました。

旦那さんとも私は顔馴染みなので3人でご飯を食べるような間柄です。

しかしこの女友達!

こともあろうに職場や取引先で知り合った男性とすぐに仲良くなり、そういった関係になってしまうという悪い癖があります。

私が把握しているだけで4~5人はいるでしょうか?

もちろんそんな話を聞くたびに「いい加減にしなよ!こっちが旦那さんに会いにくくなるでしょう!」と説教をするのですが、全く懲りずに同じことを繰り返すばかり!

案の定、旦那さんに今までの不貞行為がバレて離婚届けを突き付けられました。

こうなると私はどうすることも出来ません。

旦那さんからは「知っていたの?まさかあなたもそのうち一人?」なんてあらぬ疑いをかけられる始末・・・

最終的には双方が納得する形で慰謝料もなく離婚が成立しましたが私にとっては本当に迷惑な話でした。

(ちなみに旦那さんはすぐに再婚したので双方それなりの事をしていたのかもしれませんね?)

 

そんな感じでここ最近は離婚問題が私の周りをうろちょろしているわけです。

色々なケースや状況を見てきていますが、赤の他人には正直どうすることもできない事ばかりです。

そして私はやはり思うんです。

「こいつら忍耐力が足りん!」と・・・

 

結婚は判断力の欠如によって行われます。

お互いを好きになり、気持ちが浮ついた状況で冷静な判断が出来ないまま結婚することが多いからです。

なんとなく結婚した私でさえもあの時の判断力は確かに鈍っていたかも?と思います。

(ちなみにカミさんは判断力が完全になかった!と言い切りました)

そして判断力の欠如で結婚した後に必要なのは「忍耐力」です。

結婚すればほとんどの時間を一緒に過ごすようになります。

財産も基本的には共有します。

育ちも価値観も違う赤の他人が、波長を合わせて常に仲良く過ごすなんて基本的には不可能な話です。

もちろん何年たっても仲の良い夫婦もいるかもしれませんが、ほんの一握りでしょう。

夫婦生活なんてお互いに我慢をしなければ絶対に成り立ちません。

職場だって近所のコミュニティーだって多少の我慢が必要なわけですから、人と人とが深く関わり合う以上我慢は必要不可欠な要素なはずです。

そして夫婦生活において大切なのは我慢のバランスです。

どちらも50%づつ我慢をしている状態であれば問題は起きません。多分。

しかし我慢のバランスが極端に狂うとお互いにギクシャクするものです。

離婚は「忍耐力の欠如」という言葉が本当に最近身に染みて分かりますね。

 

私もカミさんもお互いが相当な我慢をしながら生活をしています。

もちろん嫌な事ばかりではありませんが楽しい事なんてほとんどありません。

今年で結婚して22年になりますがよく一緒にやってきたもんだと感心すらします。

最近は我慢を通り越して「考えない!気にしない!」という領域にお互いが入ってきたので喧嘩をするようなこともなくなりましたが、小言はお互いの口からまだまだ出るものです。

忍耐力は夫婦生活を通じて強くなるものなのかもしれませんね?

 

再婚は「記憶力の欠如」という言葉もしかりです。

離婚は本当に大変だそうです。

結婚する時の10倍の労力を使うとも言われています。

その苦労を忘れてさらに次の結婚が出来る方!

ある意味気持ちの切り替えが上手でポジティブな人間なのかもしれませんね。

もちろん再婚で理想の相手に巡り合うこともありますので否定するわけではありません。

ただ、過去の反省をしないまま再婚をして失敗した人を何人か見ているので「記憶力の欠如」だと強く思えたりもするのです。

 

人間なんて誰もがいい加減な一面を持っています。

職場の人間や友人なら多少は目をつぶることができるでしょうが、夫婦、家族ともなると話は別です。

あ互いにたくさんの我慢をして、グッとこらえて、唇を噛みしめて、その繰り返しが最終的に愛情に満ちた豊かな夫婦関係を育ててくれるのでしょうね。

 

今日カミさんは私の食べた食器を黙ってさげていました。

私の洗濯物を黙って畳んでいました。

そして私がお酒を飲んでいる間に子供のスケジュールを予定表に書き込んでいました。

 

私はトイレットペーパーを誰も補充しないので補充しました。

ついでにカミさんと娘が使っているシャンプーとリンスを私が詰め替えました。

お風呂の排水溝に髪の毛が溜まっていたので掃除しました。

 

この時お互いに「このくらいやれよ!」と心の中で思っているんです。

でもそれを口に出したところで何の解決にもならないことをお互いが知っています。

今日も私たち夫婦は我慢をしながらそれぞれの寝床に着くのです。

我慢をしながら!

おやすみなさい。