先日の武道館ライブの前に寄り道しました。
靖国神社です。
靖国神社に行くなんてちょっと変わっている!
こんな場所に行く人はかなりの右利きだ!
なんて変わった人間なんだ!
な~んて思う方も残念ながらいるのが今の日本でしょうか?
もちろんそんな方々の考え方も価値観も否定しませんし、論破するつもりもありません。
ただ、私にとって日本で最も特別で個人的に好きな神社であることはまちがいありません。
そんな靖国神社を最初に訪れたのは20歳の時でした。
両親はともに高校教師(養護教諭)でしたので、どちらかというとこのような場所に興味を持ったり率先して子供を連れて行くようなタイプではありませんでした。
実家も長いこと朝日新聞を購読していましたし、幼少期から「昔の日本は悪い国!」「日本人はひどいことをたくさんしてきた!」「だから戦争に負けたし今後も戦後補償をし続けなければいけない!」と教わった気がします。
もちろん小学校から中学校まで歴史はきちんと習いました。
教科書に書いてあることは頭には入っていましたし、それが全て正しいことだとも思ってもいました。
しかし!
中学2年生の時、両親と私の考えが大きく変わる出来事が起こります。
その年の夏休みの宿題では「太平洋戦争について」という課題が出されました。
内容は「祖父母や親せきに戦争体験を聞いてまとめる」という今では考えられないような課題でした。
私は母の実家(青森)に住んでいる祖父に電話をして宿題の事を説明しました。
電話口で祖父は黙って私の話を聞いてくれていたのが印象的でしたね。
その1週間後、祖父から便箋10枚ほどの手紙が送られてきました。
その手紙を読んだ瞬間から、私も両親もそれまでの考え方がガラッと変わったのだと思います。
祖父は戦時中、北方領土でもある択捉島に出兵していたそうです。
そこで朝鮮人の労働者を管理、監視する役割を与えらました。
いわゆる「強制労働」というものがそこでは行われていたんです。
そこでの朝鮮人に対する扱いはとても酷いものでした。
寒い地域なのに十分な食事や衣服も渡されず、凍え死ぬ人間も目の当たりにしたそうです。
そんな労働者を祖父や同僚の人たちは不憫に思い、食べ物や衣服をバレないようにこっそり与えたというエピソードが書いてありました。
一番インパクトがあったのが労働者が海に転落した時のエピソードです。
作業中に不注意で海に落下した労働者。
『トワジュセヨ』(助けてくれ!)と大声で叫んでいたようです。
それを見ていた周りの労働者達は『アイゴー』(大変だ・なんてことだ!)と救助に向かうとします。
しかし上官がそれを制止させるよう祖父に命令します。
寒い海に落ち、必死に助けを求める労働者とそれを見つめることしかできない周りの人間。
結局その労働者は溺死してしまいました。
祖父はその光景を目の当たりにし何もできなかった自分を心の底から憎んだそうです。
人が目の前で簡単に死んでいく姿を毎日のように見せられる日々。
結局数年間の兵役の間に何百人という遺体を処理するのも祖父の仕事でした。
祖父の手紙の最後にはこう書いてありました。
「あの時代は誰も悪くない。正しい事と間違っていることの区別など存在しない時代だった。今だからわかることがたくさんあるが、その当時正しい倫理観で物事を考えられる人間、口にできる人間はほとんどいなかった。だからこそ今はしっかりと物事を考えて欲しい!本当に正しいことは何なのか?私はこれからの若い人たちに期待します!」と・・・
その手紙を読んだ時、母は号泣していました。
祖父が今まで戦争について語ったことなどなかったからです。
幼いころから母はものすごく勤勉でしたので何度も戦争体験を聞いたそうです。
そのたびに祖父は「誰かに話すようなことじゃない」と口にすることはなかったと聞きました。
母も私も初めて聞いた祖父の戦争体験に衝撃を受けたことは間違いありません。
その手紙をもとに私は夏休みの宿題を完成させました。
この時からでしょうか?
近代史に興味を持ち始めたんだと思います。
高校生になるとそれなりに難しい本を読むようにもなりました。
太平洋戦争時代の本はもちろん、幕末から明治維新の歴史小説なども読みました。
大学生になると必ず買っていた雑誌がありました。
「SAPIO」と「正論」です。
愛国心や歴史認識などを強調する内容が書いてありましてすごく刺激を受けたのを覚えています。
その雑誌を家に持ち帰ると今度は父が読むようにもなりました。
その頃から父や母と難しい話をする機会も増えていきます。
そんな矢先、我が実家の新聞は朝日新聞から読売新聞に変わりました。
父は私の影響を強く受けたと後で聞きました。
そんな時に好奇心から初めて靖国神社を訪れました。
終戦記念日の前日に行ったこともあり、怖い人たちと警察官がたくさんいてなんだかすごく緊張したのを覚えています。
結局すごく場違いな場所に来てしまったと感じ、ササっと参拝を済ませ逃げるようにあとにしたものです。
ちょっとした恐怖すら感じました。
靖国神社を再び訪れたのはそれから17年後の35歳の夏でした。
長男が中学3年生になり歴史について勉強したいというので連れて行きました。
小学4年生だった末っ子も一緒に3人で夏休みの思い出作りに行ったんです。
まずは靖国神社の近くにある「千鳥ケ淵戦没者墓苑」に行きました。
夏の暑い日、しかも平日ということで誰もいませんでしたね。
その後すぐに靖国神社へ行き、参拝と「遊就館」という資料館を訪れました。
17年前には無かった立派な施設です。
そこで子供と一緒に色々な展示物を見て非常に刺激を受けたものです。
近代史の勉強を一日で済ませるならこの施設が最も最適だとさえ思えました。
それから数年に一度のペースで訪れている靖国神社。
目的は「遊就館」に行って歴史を勉強することですかね?
今回で5回目の訪問になりましたが、何度来ても勉強になる施設であることは間違いありません。
日本武道館に行く際はぜひ立ち寄りたい場所でもあります。
現在の日本は本当に平和な国です。
しかし、日本も諸外国同様に紛争や戦争が絶えず起きていた長い歴史があります。
特に幕末から昭和20年までの約90年間は壮絶な戦争の歴史だらけです。
日本という国を守り、自分たちの生活を保つために多くの尊い犠牲がそこにはありました。
その歴史一つ一つを丁寧にひも解くと、現代の私たちの豊かで平和な暮らしがどのようにして作られたのかがよくわかるものです。
靖国神社はそんな場所だと私は思っています。
日本の長い戦争の歴史が終わって77年が経ちました。
海外ではいまだに戦争が行われています。
完全に対岸の火事のように感じますが、かつては日本も同じ状態であったということだけは忘れてはいけませんね。
今の平和な暮らしに感謝しつつ、先人達に恥じないよう生きていきたいと思います。