欠勤

2回目のワクチン後、副反応がとにかくひどくて何年かぶりに会社を休みました。

 

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寒気と痙攣、全身のしびれと共に体が全く動かないという生まれて初めての経験をしました。

首から下が言うことを全く効かないんです。

体の不自由な人ってこんな感じなんですかね?

あとでカミさんに聞いたら、心配で何度も様子を見に来たそうですが問いかけに全く反応しなかった時間帯もあったんだとか・・・

おそらく意識が飛んでいたのでしょう。

そんなひどい状態だったら救急車呼べよ!とツッコミましたが「あんたなら平気でしょう!丈夫なんだから!」と軽く言われました。

今ではすっかり回復しましたのでとりあえず一安心です。

 

昨日は症状があまりにも酷かったので会社を休みました。

私が会社を体調不良で休んだのはおそらく5~6年ぶりだと思います。

社長になってからは初めてではないかと・・・

冠婚葬祭や家族の所用で休むことはもちろんありますが、体調不良で休むことなんて私には全く考えられない事なんです。

従業員6名の小さな零細企業です。

私は社長という肩書ではありますが、常に現場の最前線で働いております。

多くのお客様の対応、従業員への細かな支持、クレーム処理、伝票の処理、提出物の管理、勤怠の管理、お店で使うPOP類の作成、経理処理などなど・・・

私にしかできない仕事が山ほどあります。

何度かスタッフにやらせようと根気よく教えましたが、残念ながらどのスタッフもそれらをできるだけの知識も能力もありませんでした。

誰でもできるようにシステム化、マニュアル化したくてもなかなか簡単にできる業種でもありません。

膨大な経験と知識、技術と工夫、そして何よりも情報処理能力が必要とされる面倒な仕事です。

だから自分がいない場合、店頭はどうしても円滑に回らなかったりもします。

もちろん私の指導力不足というのが一番の問題なんですが・・・

 

そのような事情があるので会社を休むことは基本ありません。

多少具合が悪くても、熱があっても仕事に穴をあけるようなことは私はしません。

私の中の基準で発熱時でも38度台までは仕事ができる!と思っていますし、実際に高熱でも仕事をバリバリこなした経験もあります。

ただ、新型コロナの影響からそんなことも今は言っていられません。

少しでも熱があったら出勤すらままならないご時世です。

だからこそ、日々の体調管理にはここ数年で一番気を付けていたんです。

 

また、仕事をスムーズに行うため私は準備を欠かしません。

翌日の仕事のスケジュールはほぼすべて把握していますし、何をどうするかのイメージトレーニングも欠かしません。

だから昨日は本当に対応に困りました。

朝目覚めると体が全く言うことをききません。

動きたくても動けない状態です。

でも頭は冴えているのでやるべきことは明確になっています。

しかし、現場に立てない以上それを体現するのは非常に難しいです。

案の定、多くのお客様にご迷惑をかけてしまいました。

私でないとできない仕事、対応できないお客様が昨日は数名いたからです。

どのお客様も馴染みの方で皆理解があったため、後日出直してくれるとのことでしたが申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

常にいいコンディションで仕事に臨むことだけは今まで欠かさずにしていたのに・・・

ワクチンの副反応という完全な不可抗力でこんなことになるなんて・・・

悔しさしかありませんね?

 

例えば前の日に飲み過ぎた!とか

遊びに行って大けがをした!とか

薄着で寝て風をひいた!とか

自分で交通事故にあった!とか

そのような原因ならば完全に自分の不注意です。

しかし、良かれと思って打ったワクチンは完全な不可抗力でした。

 

ワクチンの副反応についてメディアだけでなく身内や様々な方から話は聞いていましたので、ある程度事前に予測しそれに対して備えをしていなかった自分にも非はありますが、今は何とも言えない気持ちです。

 

本日午後から出社し滞りなく業務をこなしました。

まだ若干の痺れはありますが、仕事に支障があるほどではありません。

明日からはまた元気よくバリバリ仕事が出来そうです。

 

しかし最近、ワクチンの3回目接種なんて話も出ていますね。

もし3回目を打つ場合は接種後2日間は休むつもりで準備したいとおもいます。

本日これからワクチン2回目を接種する従業員に対して翌日は休んでもいいと伝えました。

何事も準備と想定が必要です。

その昔「想定内」なんて言葉が流行語になりましたが、ここ1ヶ月は「想定外」のことが続いているような気もします。

ネガティブになりすぎるのも良くありませんが、様々な想定をしながら日々起こることに対処することがやはり大切ですね?

今日も家に帰ったら頭をフル回転させて色々考えようと思いました。

 

副反応

コロナワクチンの2回目を打ちました。

ワクチンを打ったからと言って感染しない訳ではありませんが、これで少しは安心感が増すかな?と言うのが正直な感想です。

 

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1回目の摂取は8月の12日でした。

会社のすぐ近くにある病院の院長先生が近所のよしみで声をかけてくれたんです。

なかなかワクチンの予約が取れないなか、非常にありがたい申し出でした。

すぐに予約をお願いし1回目を摂取しました。

ファイザー製です。

副反応があるかも?と多少心配はしていましたが摂取はスムーズに終了しました。

そして翌日以降も腕が痛いだけで副反応と思われるものは一切ありませんでした。

自分には副反応なんてものは無縁なんだ!とその時は思いましたね!

 

3週間後の9月2日、同じ病院で2回目の摂取をしました。

2回目の方が副反応が強い!なんて言われていますが1回目で何も無かった私に不安など一切無かったんです。

夜はいつものように食事を取り、大好きなお酒を飲んで寝ました。

異変に気が付いたのは午前4時頃です。

私はお酒を飲んでそのままほろ酔い気分で寝るのが好きなので、明け方になるとトイレに行きたくて目が覚める事が多いです。

なんだか年寄りみたいですが、もう何年も同じ生活が続いています。

いつものようにトイレに行こうとしたらなんだか身体が重かったんです。

激しい運動をした次の日のようなダルさ・・・

それでもこれくらいなら日常生活に問題はありません。

その後身体のダルさはありましたがいつものように出勤しました。

午前中は何とか仕事が出来たのですが体調はどんどん悪くなる一方です。

ある程度仕事を片付けたので少し早めに家に帰る事にしました。

遅めの昼食を自宅で取った後はベッドに横になって身体を休めるだけです。

すぐに眠くなってきたのでそのまま深い眠りにつきました。

数時間、何だか違和感を感じ目を覚ました時にはとんでもない状態になっていました。

 

まず強烈な頭痛、身体中の痛みにビックリです。

さらに悪寒と身体の痙攣が止まりません。

数秒に一度、無条件に身体が大きく勝手に動きます。

まるでAEDを当てられた人みたいにです。

さらに身体に全く力が入りません。

ベッドから起き上がる事はおろか、寝返りを打つことすら出来ない状況にただただ驚くばかりです。

幸い熱はほとんど出なかったのと、息苦しさはなかったのでベッドに横になって時間が過ぎるのを待つだけでした。

症状が時間と共に酷くなってきたので、流石にヤバイと思い救急車を呼ぶ事も考えましたが、身体が動かないのでそれすらままなりません。

普段は無関心なカミさんもあまりの事態に心配して何度も様子を見にきたくらいです。

結局明け方までただただ死にそうな思いで症状が改善するのを待ちました。

 

目を覚ますと9時でした。

毎朝6時には起きて、7時過ぎには会社に行っているのでいつもと違う感じに戸惑いました。

出勤しなきゃ!と身体を起こそうとしても相変わらず動きません。

でも数時間前よりは明らかに症状は改善しています。

何とかスマホを取り出して欠勤連絡と仕事の段取りだけ指示を出しました。

しかし、月初の土曜日だけあって携帯電話は鳴りっぱなしです。

頭は冴えていますからベッドの上でひたすら打ち合わせや商談をし、従業員に指示を出してました。

まさに今流行りのテレワークってやつですね。

普段はお店を運営しているのでテレワークなんてものには全く無縁です。

お店があって、お客さんがそこに来て初めて仕事が発生する業態だからです。

何だか少しだけ新鮮に感じました。

 

身体もだいぶ良くなってきました。

先程は自らトイレにも行けましたし、食事も取れました。

明日は仕事に行けそうです。

このまま何事もなく元気な身体に戻ってくれればいいです。本当に!

副反応のお話でした。

健康診断

年に一度の健康診断の結果が届きました。

 

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今現在健康には自信があります。

ですが、幼いころは重度のアトピーに悩まされ、特に食べるものが極端に制限されていたので虚弱体質でした。

乳製品、肉、卵などの高たんぱくなものには全て反応してしまっていたようで、母が口にしたものが母乳にも影響し、症状は日々悪化していたそうです。

0歳児の時の写真を見ると体中が発疹だらけで包帯がグルグル巻かれている写真が多いです。

アトピーは結局10歳ごろまで私を悩ませていました。

それでも母は私の将来を心配し「脱感作」を日々行っていたようです。

脱感作とはアレルギー反応を軽減するために、日々少量のアレルギー反応が起こる食品を少しづつ与えて体を慣らしていく作業です。

毎日かゆくなり、そこを搔きむしっては薬を塗るという日々の繰り返しでした。

しかし母の執念はすごかったですね。

徐々に色々なものを食べられるようになりアトピーの症状はどんどん改善されていきました。

今では全くと言っていいほどアトピーはありません。

肌もその辺の40代のオッサンよりもきれいだと思います。

ただ、いまだに「そば」だけは食べられません。

そばアレルギーは一生直らないようです。

 

アトピーを克服した後は健康そのものでした。

中学・高校・大学と全く大きな病気にはかからず健康体そのものでした。

インフルエンザには時々かかりましたが、風邪なんてひいても全然気にしないタイプです。

 

そんな健康そのものだった私が35歳を過ぎた頃から健康診断で引っかかるようになりました。

毎回肝臓と腎臓の数値が悪く出始めたのです。

間違いなくお酒が原因でしょう。

 

30歳を過ぎた頃から本当にバリバリ働き始めました。

仕事がどんどんできるようになったこともありますが、バリバリ働けていることで心身ともに健康だと思っていたんです。

毎日12時間以上飲まず食わずで働き、その後は飲みに行く生活。

休みもほとんど取らずに365日働きました。

それでも体が丈夫だったこともあり日々の生活に支障をきたすようなことはありませんでした。

一回だけ健康診断でひどく先生に怒られたことがあります。

健康診断の前日、私は友人と呑みに行きました。

前日から食事をとってはいけないことは承知していましたが、誘惑に負けて午前3時までたらふく飲んでしまいました。

9時に健康診断に行って、お医者さんにその場で血液検査の結果を知らされました。

ガンマGPの数値が振り切っていたんです。

「この数値異常すぎるぞ!昨晩何を食べた?」

私は正直に数時間前まで飲んでいたことを話しました。

先生にはこの時こっぴどく怒られました。

健康状態を正確に把握したい先生からすればとんでもない患者だったと今でも猛省しております。

その後も健康診断のたびにいい数値は出ないまま40歳を超えました。

この頃から少し太り気味になってきたので体を絞る作業を始めました。

筋トレはもちろん、食事にもかなり気を遣うようになったと思います。

そして2年ほど前から数値が少しづつ良くなってきました。

お酒の量はあまり変わっていませんでしたが、日々の心掛けが数値に現われたということでしょう。

 

そして今回の結果・・・

なんとすべての数値が正常でした。

評価もオールAです。

毎回引っかかっていた肝臓の数値も問題なし!

健康そのものでした。

おそらく外に飲み歩くことが無くなった影響でしょう。

実際今年に入ってから飲み屋さんには全く行っていません。

6月頃に食事と一緒にビールを飲んだのが唯一です。

家では毎晩飲んでいますがやはり外で飲む量とは比べ物にならないのでしょう。

 

たしかに外で誰かと呑む場合、その方のペースに合わせて呑んだり、ダラダラと長時間呑むことが多いです。

周りにすごく気を使う人間なので飲むお酒は相手に合わせています。

凄い強いお酒を飲む方もいればゆっくり飲む方もいて毎回様々です。

だから自分のペースで飲めないときは少し無理しているのかもしれませんね?

 

いづれにしても今の健康状態を維持する努力を続けたいと思います。

 

一人暮らしがしたい

ここ数年一人暮らしがしたくて毎日のようにワンルームの賃貸をポチポチ検索しています。

一人暮らしに強烈な憧れがあるんです。

 

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私は22歳まで実家暮らしでした。

付属高校へ進学したため、大学へは大した勉強もせずにエスカレーターで。

家から学校までは非常に遠くて、電車で1時間半はかかりました。

実家から最寄り駅まで15分、駅から校舎まで10分以上かかっていたので、ドアtoドアで2時間くらいかけて7年間通っていました。

(正確には7年半ですが・・・ この話はそのうちに)

自ら行きたい学校へ猛勉強して入学したので、通学時間が長い事は決して苦ではありませんでした。

通学時間は好きな音楽をたくさん聴けましたし、新聞や雑誌をじっくり読むことができたからです。

また、テスト勉強も電車の中である程度できたので(家に帰るとやらないじゃないですか)その時間は自分にとってはいい時間でした。

高校生の時は毎日真面目に自宅から通っていたのですが、大学生になると日々遊びに夢中になり家に帰るのが面倒になってきます。

そんな時に役に立ったのが地方から上京して通っていた同級生です。

皆当然一人暮らしをしているわけです。

そんな友人を多く見つけては居候のように泊まり歩くようになりました。

当時は女友達の家に泊まりに行くことも良くありました。

一人暮らしで不安な女子は私を平気で泊めてくれたんです。

もちろん女友達でしかないので体の関係を持ったり、そのような雰囲気になることは全くありませんでした。

ある女友達に至っては部屋の合鍵を渡してくれて、いつでも部屋に上がり込んでもいいとさえ言われました。

友人たちからは「お前絶対やっただろ!この女ったらしが!」とからかわれることもありましたが、天地天命に誓って言えることは本当に何の関係も持っていないということだけです。

むしろ、泊まらせてくれたお礼とばかりに掃除や洗濯(下着はさすがになし)料理などは率先してやってあげていました。

また、1週間ほど連泊した際には家賃の一部を渡したこともあります。

その女の子にとっては家政婦みたいな存在だったのかもしれませんね。

ただ、そんな便利な生活は長くは続きません。

ある日、いつも仲良くしていた女友達が留守の間に合鍵で勝手に入り料理をしていました。

するとピンンポーンとチャイムが鳴りました。

宅配便かと思い扉を開けると、そこには50代のご夫婦が立っていました。

その子のご両親がまさに上京してきたタイミングだったのです。

さすがになんと挨拶をしていいのかわからず挙動不審になるだけでした。

もちろんその後両親からは「非常識だ!」と怒られ、ただただ平謝りをするしかありませんでしたね。

それ以降その子の家に泊まることはありませんでした。

 

それでも家に帰るのが面倒なため、今度はカプセルホテルなんかに泊まるようにもなりました。

新宿で夜のお店のバイトしていたこともあり、サウナとカプセルホテルにはよくお世話になっていたものです。

家に1か月以上帰らないこともざらでした。

 

でも自分の部屋なんてものは当然ありません。

自分の部屋があったらどんだけ便利か?どんだけ楽か?どんだけ自由か?

日に日に一人暮らしへの憧れが強くなっていくわけです。

 

そんないい加減な大学生活2年目にカミさんと出会いました。

カミさんは実家から通っていたのでもちろん毎日きちんと家に帰ります。

また、家が厳しかったのか?泊まり歩くなんて行為はそう許されたものではありませんでした。

その頃から私も自然と実家へ毎日きちんと帰るようになります。

 

結局大学を卒業するまで一人暮らしの夢は叶いませんでした。

さらに、大学卒業直前にカミさんとおめでた婚することになりまして・・・

すぐに二人での生活が始まってしまったのです。

そして、二人きりの生活も長くは続きませんでした。

半年後には長男が誕生したのですぐに3人の生活です。

その翌年には長女が生まれ4人暮らし。

さらに4年後には次男が生まれあっという間に5人暮らしになりました。

マイホームも買いました。

5人での生活はまもなく17年になります。

 

一人暮らしの経験が全くないまま40歳を超えてしまいました。

年に数回、出張先で泊まるビジネスホテルが唯一の一人時間かもしれません。

そして最近一人暮らしへの憧れがより一層強くなっています。

新型コロナウィルスの影響です。

昨年から夜の街で一人静かに飲み歩くことが出来なくなりました。

家で気持よく飲んでいても、TVや家族の話声が聞こえてくれば一気に現実に引き戻されます。

趣味の読書も音楽鑑賞も、ピアノを弾くことも家族の目を気にしないとできません。

自分の部屋を持ちたくても5人家族で4LDKですから到底無理な話です。

家にいる限り一人の時間など全く無いわけです。

そんなある日、カミさんに一人暮らしがしてみたい!と言いました。

カミさんは真顔でこう言いました。

「お金さえ自分で何とかすればいいんじゃない!好きにすれば!」と・・・

でもいくら安いアパートでも月に3~4万円はかかります。

別に出せないお金ではありませんが、そのお金は子供の為に使いたくなる親心もあります。

将来の為の貯蓄にまわしたくもなります。

自分の自由な時間と引き換えにそんな無駄なお金を使うようなダメな父親にもなりたくありません。

で、結局今日もポチポチ検索するだけの夜です。

でも一度数か月でいいから一人暮らしが経験できればいいのかもしれません。

家族が恋しくなってすぐに諦めるかもしれません。

はたまた魔が差して悪いことを企むかもしれません。

そう考えると憧れだけにとどめておいた方が自分にはいい気がします。

自分が一人暮らしができるようになるのは、カミさんに捨てられた時か、先立たれた時だけかもしれませんね。

今日も家に帰ります。

 

知恵

本をたくさん読むと知識が無条件で増えていきます。

ノンフィクションの小説でも今まで全く知らなかった知識や言葉、表現などが頭の中にどんどんインプットされていくんです。

特に面白かった本の内容はず~っと記憶に残るものです。

 

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だれでも知識がどんどん増えていくのが本を読む最大の効果です。

本を読む人は頭がいい!

本を読む人は人間的に優れている!

本を読む人はビジネスにおいても成功する!

なんてよく言われる所以でしょう。

幼いころから「本を読め!」と両親や学校の先生がよく言っていた理由が読書を始めてよくわかりました。

年間200冊ほどの本を読み漁っていると本当にそう思います。

そして勘違いします。

自分の頭がすごくよくなったと・・・

 

確かに本を読む前と読む後では圧倒的に違います。

知識量が増えるといろいろな事に興味が湧くようになります。

日々の生活でも色々な情報が頭にす~っと入ってくるようになります。

一言でいえば、情報処理能力が上がったということだと思います。

仕事のスピードも上がりました。

複数の事案を同時にこなせるようになりました。

様々な情報をきちんと整理整頓できるようになりました。

間違いなく読書による効果だと思います。

新聞の記事やネットニュースの読み方も今までとは大きく変わりました。

情報に敏感になりすぐさま反応できるようにもなりました。

本の効果って本当にすごいです。

 

でも、知識が増えても頭が良くなったことにはなりません。

なぜなら本当に頭のいい人間は知識ではなく知恵を持っているからです。

 

本を読むようになってから頭が良いと勘違いした自分がこのことに気が付くまでには時間を要しました。

知識が増えてからというもの、何かにつけてそれをひけらかすようになりました。

話し方も少し鼻につく感じです。

昔から弁はたつ方だったので、さらにエスカレートし始めます。

最近「人を論破する」なんてのが話題になっていますが、そのころの私は自分の知識量を武器に様々な人の意見に反論していたような気がします。

今思うとその様子は反抗期の中学生と同じでしょう。

いつの間にか屁理屈ばかり口にする人間になっていました。

 

そんなある日、私に読書を勧めた父から言われた強烈な一言!

それが「人間にとって一番大切なのは知識じゃない!知恵だぞ!」

このセリフを言われていなかったら今でも完全な「勘違い論破野郎」になっていたでしょう。

 

知識と知恵は似たような言葉ですが全く別物です。

知識は誰でも簡単に手に入るものだともいます。

本を読んだりネットで検索すればだれでも簡単に知識が手に入る時代です。

一度覚えた知識をきちんと記憶できるかどうかは人によって違うと思いますが、簡単に手に入ることには変わりまりません。

しかし知恵は違います。

様々な出来事や多くの人や物事と関わり合うことで得られるのが知恵だと思っています。

成功や失敗から学んだことの多くは人間の知恵となります。

人との関わりの中で得るものも知恵となります。

大きなトラブルに巻き込まれたり巻き込まれそうになった経験も知恵になります。

病気やけがをした時の体験も知恵となります。

ですので知恵は自身の努力だけで短時間に身につくものではないと思うんです。

 

我々は日々生活していく中で様々な知恵を駆使しています。

健康に生きるための知恵

人間関係を良好に保つための知恵

仕事をするための知恵

お金を得るための知恵

もちろん知識が無いと知恵も身につきにくいのかもしれませんが、やはり大切なのは知恵です。

 

このことを意識するようになってからは日々の生活でも非常に頭を使うようになりました。

知識は所詮マニュアルでしかないです。

全てマニュアル通りにこなすだけでは物事は上手くいきません。

そこに様々な工夫や変化を加えることでより良いものになっていきます。

これはやはり経験していくことでしか得られないものです。

そこで身につくのは知識ではなくやはり知恵です。

 

数年前に知り合った方で私が最も尊敬している人がいます。

同じ経営者ですが私とは全く別のタイプの人間です。

非常に楽観的で感情の起伏も穏やかです。

話し方も話の聞き方もとても上手です。

そしていつも子供のように楽しそうに生活しています。

子供がそのまま大人になったような純粋な人間です。

 

その方は勉強はあまり得意ではないそうです。

いい大学を出たわけでも特別な勉強をしたわけでもありません。

でもものすごく人望が厚いんです。

その方は私がしたことが無いような経験をたくさんしてきています。

話を聞けば聞くほど壮絶です。

でも一緒にいると本当に色々なことを教えてくれます。

自らの経験で得た知恵がたくさんあるのだと思います。

だから何か悩みがあるとその方にすぐに相談します。

そしてその方はいつもこう言います。

「なんだ~そんなことで悩んでるの?ま~俺にも経験があるからわかるけども・・・」

そして的確なアドバイスを必ずくれます。

本当にたくさんの知恵を持っている方だとつくづく思うのです。

 

そういえば昔母にこんなことも言われました。

「人間の出来不出来は何か起きた時にどう考えられるか?どう行動するか?どう自分を表現できるかだよ!」

 

今その意味がはっきりと分かる年齢になったんでしょう。

もちろん知識も大事ですがより多くの知恵を身につけるべく残りの人生を一生懸命送りたいと思います。

 

読書

父が本の虫でした。

父の部屋にはとにかくたくさんの本がありましたし、毎日仕事帰りには本屋さんに寄り道して新しい本を買って帰るのが父のルーティーンだった気がします。

そんな父とは対照的に私は本を読むのが嫌いでした。

 

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活字を読むことは嫌いではないのですが、物語を活字で最初から最後まで読むなんて行為は非常に退屈だったんです。

そんなの映画やドラマで映像としてみた方がはるかに効率的ですし、記憶にも残ると今でも思うことがあります。

子供の時必ず出される宿題「読書感想文」!

毎回嫌でしたね。

本を読むことを強制され、さらにその本について感想を述べなければいけないなんて・・・

小学生の頃から「教育の一環としては間違っている!」と真剣に思っていたくらいです。

ですので、私は読書感想文を書く時には映画を観て書いていました。

文章を書くことに全く抵抗はなかったので、いちいち時間をかけて本を読むなんて無駄なことは一切せずにスラスラ書いていました。

 

両親からは「本を読め!」と口うるさく言われました。

本を読んでいれば国語の勉強なんて一切しなくていい!とまで言われましたね。

その言葉を信じ、何度も読書に挑戦しましたが毎回すぐに挫折しました。

 

中学生になると新聞は読むようになりました。

目に留まった記事はパパっと読むのが自分のスタイルです。

高校生になると「週刊誌」を買って読むようにもなりました。

芸能人のプライベートやどうでもいいライフハック、そして少しエッチな記事・・・

下世話な話題ばかりの記事に真剣に目を通していましたかね?

大学生になるとさらに興味の幅が広がり、経済紙や歴史コラムなどの雑誌を夢中で読むようになりました。

自分に必要な情報がそこにはたくさん溢れていたからです。

おかげで大学のレポートはその雑誌の言葉を多数引用することでスラスラ書けたものです。

それでも「読書」という行為には全く興味は湧きませんでした。

 

昔から「フィクション」が苦手でした。

作られた空想の話を読んでも役には立たないと思っていたからです。

気が付けば雑誌や新聞は読んでも、本を読むようなことはほとんどないまま大人になってしまいました。

 

結婚して義理父と出会いました。

義理父もまた本の虫でした。

しかも驚いたのは私の父よりもはるかに読書量が多いことです。

父の読書量なんて比べ物にならないくらいの本好きでした。

今でも印象に残っているのは義理父、義理母、カミさん、私の4人で食事に出かけた時のことです。

テーブルに着くなり義理父は本を読み始めました。

家族でご飯に来ているのにこの人は会話も楽しまず一人本を読むのか?

その行為を義理母もカミさんもまったく気にしていません。

どうやらカミさんの家庭ではこの光景が普通だったようです。

さすがに私の育った環境、価値観とは違いすぎるために驚きました。

そしてすぐに私は義理父にこう言いました。

「家族で食事に来ている時はみんなで会話を楽しみましょうよ!本はいつでも読めるでしょう。今この時間をみんなで共有したらどうですか?」

義理父は驚いた顔をして私を見ていました。

もっと驚いていたのは義理母とカミさんです。

いままで誰も義理父に注意しなかったことを私が口にしたからです。

義理父はすぐに本を閉じ一言「そうだな。君の言うとおりだ!」と言って苦笑いしていました。

その日以降、義理父が食事の席で本を読むことは無くなりました。

義理母とカミさんも「この人凄いこと言っちゃったよ~」という目で見ていましたが、きっかけなんてそんなものかもしれませんね?

 

そんな義理父と仕事を一緒にするようになってからは何だが本に興味を持ち始めました。

義理父の仕事場にはいつも大量の本がありました。

堅苦しいものから若い人が読みそうな恋愛小説まで、バリエーションも豊富でした。

そしてある日、一冊の本が目に留まりました。

「永遠のゼロ」という本です。

 

よく読んでいた雑誌のコラムで取り上げられていたのでその本の存在は知っていました。

非常に分厚い本でして、読むのは大変そうだな~といった印象です。

読むのは大変そうなので義理父に「どんな本?内容を要約して教えて」と言いました。

すると義理父は黙ってその本を私に差し出しました。

そして「人によって捉え方が全く違う内容だ!自分なりの解釈で読んでみろ!」

その日の晩、私はその本を開きました。

 

その本はあまりにも衝撃的でした。

気がついたら徹夜で本に夢中になっていましたね。

夜の9時過ぎに読み始め、気がついたら朝になっていました。

最後の一行を読み終えて初めて朝であることに気が付いたくらいです。

この時生まれて初めて本を読みながら鳥肌が立ちました。

そのくらい面白い本でした。

今まで読書を完全否定してきた人間が読書に目覚めた瞬間でもあります。

15年前の夏でした。

 

その日以来、私はすっかりほんの虫になりました。

義理父が持っている本を片っ端から借りては読む毎日です。

義理父もそんな息子を可愛く思ったのか?次々と本を貸してくれるようになりました。

そして毎回本を読み終わるたびに感想や考察を話し合うのが義理父とのコミュニケーション手段にもなったいましたね。

さらに、私の読書スピードは他の人よりも早いようで、気が付けば年間200冊以上の本を読むこともありました。

だんだんエスカレートしてくると義理父に読みたい本をリクエストして買わせていたくらいです。

毎回義理父はニコニコしながら本を買ってきてくれました。

 

本をたくさん読むと無条件に知識が増えてきます。

今まで全く興味がなかったことまで次々と頭の中に知識がインプットされていきます。

そしてどんどん頭が良くなったような錯覚に陥ります。

本を読み始めてから3年ほど経つと「自分は頭がいい人間だ!」と勘違いが始まりました。

この頃から少し鼻にかかるような言動が目立ち始めます。

完全に勘違い野郎です。

しばらくすると義理父にこう言われました。

「知識は大切だ!だけどもっと大切なのは知恵だ!」と・・・

この言葉をきっかけに本と向き合う姿勢も変わっていきましたね。

 

最近は忙しさのあまり本を読む時間がなかなか取れていません。

今年に入ってからまだ10冊程度しか読んでいないような気もします。

今はただただゆっくり本を読む時間が欲しいですね。

 

25年ぶりの訪問

高校生活の3年間、毎週のように通っていた喫茶店がありました。

 

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通学途中の駅近くにある喫茶店で、毎週土曜日はここでお昼ご飯を食べるのが友人達との暗黙のルールでした。

当時、私が通う高校は土曜日にも午前中だけ授業がありました。

基本的に土曜日は部活動が無かったので、友人たちと決まってこの店を訪れていましたね。

なぜこの店なのか?

実は今だから言えますが、当時はこの喫茶店では煙草を吸わせてくれました。

高校生が堂々と煙草を吸える喫茶店なんて当時でも非常に珍しかったですかね?

あの頃はとにかくヤンチャだったということでしょう。

本来であればサラリーマンや主婦の方々が午後の静かなひと時を楽しむような落ち着いた雰囲気のお店ですが、そんなことはお構いなしに毎週友人7~8名で押しかけワイワイガヤガヤ騒いでいました。

今考えれば「よく出禁にならなかったな~」と思うくらいお行儀が悪かったと思います。

それでも若い高校生に寛容なオーナーはいつもニコニコして私たちを受け入れてくれました。

煙草を吸っても特に注意されませんでしたし、他のお客さんから苦情を言われても「若いんだから~目をつぶってあげなさいよ!」なんてよく言ってくれていました。

 

一度だけ修羅場になったことがあります。

いつものように喫茶店で煙草を吸いながら友達とワイワイ騒ぎながら食事をしていたらなんとそこに学校の先生が登場したのです。

すぐに煙草を隠しましたがテーブルの上の灰皿には大量の吸い殻が・・・

当然先生はものすごい剣幕で怒り始めましたが、オーナーさんが「ま~ま~そうムキになりなさんな!この子達誰にも迷惑かけてないですよ~」なんて一生懸命フォローしてくれました。

もちろんそれなりのペナルティーを受けましたが、なぜか先生がそれ以降その店に来ることはありませんでした。

オーナーさんが何か言ってくれたのか?

大人の見えない力関係が働いたのか?

いまだに定かではありませんが、オーナーさんはいつも私たちの味方でいてくれていたことは事実です。

 

その喫茶店では毎週同じメニューを全員が頼んでいました。

ラッシュアワー

大皿にスパゲッティー・ハンバーグ・ウィンナー・サラダ・目玉焼きが乗っていて別にトーストもついてきます。

ドリンクとセットで1,000円だったと記憶しています。

お金のない高校生には少し贅沢なメニューでしたが、週に一度の贅沢だったと思います。

他のお客さんが同じ「ラッシュアワー」を注文しているのを何度も見ましたが、自分たちよりも量が控えめでした。

オーナーさんは腹をすかせた高校生にはサービスで大盛にしてくれていたんだと思います。

とにかくそのお店で過ごす数時間は青春そのものでした。

そしていつも行く仲間同士で自然と約束事も生まれました。

1・必ず行く時はいつもの仲間で

2・彼女が出来てもこの店には連れてこない

3・食べた後は必ず身の周りをキレイにして帰る

4・オーナーさんには絶対に迷惑をかけない

5・むやみやたらにこのお店の存在を教えない

仲間意識が強かったのか?中途半端に真面目なところがあったのか?わかりませんがこの約束は3年間きちんと?守られました。

 

高校を卒業するとそれぞれの進路がバラバラになりましたのでこの喫茶店に行くことは少なくなりました。

いつもたくさんの仲間で行っていたので、一人で行くことにも抵抗がありました。

大学の入学式の帰り道、友人と4人で来たのが最後だったと思います。

 

そんな思い出の喫茶店を25年ぶりに訪れてみました。

たまたま娘の用事に付き合わされ行った場所がこの喫茶店の近くだったんです。

懐かしい思いでお店の前まで来ました。

外観は何一つ当時と変わっていませんでした。

 

なんだかドキドキしながらお店の扉を開けるとコーヒーのいい香りが鼻を刺激します。

その匂いと同時に当時の記憶が鮮明に蘇りました。

お店の中も、カウンターやテーブル、椅子も当時のままでした。

一番驚いたのはテーブルに当時書いた落書きの傷が残っていたことです。

テーブルの隅に小さく「イエ~イ!」とフォークで傷を入れたのですが、いまだに薄っすらと残っていたのには大変驚きました。

 

あの時のオーナーさんの姿はなかったので、何も言わずに娘と席につきました。

もちろん注文したのは「ラッシュアワー」です。

まだメニューとして存在してくれていたことがうれしかったです。

 

その日店内には数名のお客さんがいました。

そのお客さんのほとんどが煙草を吸っています。

この喫茶店では今でもタバコが堂々と吸えるんです。

煙草の煙と入れたてのコーヒーの匂いは25年前に嗅いだ匂いそのものでした。

 

しばらくすると「ラッシュアワー」がテーブルに運ばれてきました。

昔とは少し違っていましたが娘と二人でおいしくいただきました。

食事の間、娘には学生時代に良く通った喫茶店であることと、ここで悪さをしていたことを話しました。

娘は興味のなさそうな相槌を打ちながらラッシュアワーを堪能していましたね。

 

他のお客さんが退店するのを見計らって店員さんに声をかけました。

「25年前に毎週来ていたクソガキのうちの一人です!オーナーさんは今どうしていますか?」

それを聞いた店員さんは驚いた顔をして「実は私が今オーナーなんです。以前は姉がオーナーをしていたのですが、体調を崩し私が引き継ぎました。」

さらに話を聞くとあの時のオーナーさんは今でも元気にお過ごしのようですが、現場にはもう立たれていないそうです。

そして「あの時の高校生ですよね!私なんとなく覚えていますよ。時々毎週土曜日はたくさんのお客さんが来ているから手伝ってと頼まれていたので当時いましたから!」と言われました。

私の中で記憶には無かったのですが、あの時お店を手伝われていたとは・・・

すぐさま当時の傍若無人な振る舞いを謝罪しました。

25年間、あの時のお詫びとお礼がどうしてもしたかったんです。

現オーナーさんはそんな私を見て大声で笑ってくれました。

その笑い声と全てを受け止めてくれる優しさは前オーナーさんと同じでした。

 

そんな昔話を真横で聞いていた娘はさすがに驚いた様子でした。

オヤジにもこんな時代があったんだな~と思ってくれたのかもしれません。

25年ぶりの訪問は懐かしい気持ちになったと同時に、心温まるいい時間でした。

帰りの車の中で「今日のことはママには内緒にしておいた方がいいの?」と娘に聞かれたので、正直に言いました。
実は仲間との約束を一度だけ破ってママとこっそり来たことがあるんだよと!

そして最後に娘は一言だけこう言いました。

「どうでもいい話だわ!」