霊長類最強

レスリングの吉田沙保里選手の強さを一言で表した「霊長類最強」という言葉!

もともとは前人未到のオリンピック三連覇を成し遂げた「アレクサンドル・カレリン」というソビエトレスリング選手に用いられていた言葉だそうですが、日本人なら誰もが吉田沙保里選手を想像しちゃいますよね?

それだけ彼女が特別強かったということでしょう。

ただ、私と弟の中での「霊長類最強」は間違いなく母です。

 

f:id:BECHSTEIN:20210829202304j:plain

 

母の職業は養護教諭でした。

しかも知的障がいのある子達を専門としていたため、その業務は日々体力勝負だったようです。

母の学校は養護高等学校でしたので、生徒さんたちは皆それなりの体格をしています。

今はどうか知りませんが、障がいのある子供たちは自分の意志で体を鍛えたり体力を付けたりすることが困難なので、養護学校では日頃から体力づくりが盛んに行われていました。

社会に出た時に体力面で困ることが無いようにという配慮だったと思います。

(母の学校を基準に勝手にそう思っているだけかもしれませんが・・・)

その為、母は日々生徒と体を動かしていました。

毎日汗臭い体で帰ってくる母を観て「この人は肉体労働者か?」と本気で思っていたくらいです。

また、時々生徒さんが感情をコントロールできずに暴れたりするので制止するのも仕事のうちです。

一番印象に残っているのは母が手を生徒にかまれた時のことです。

ものすごい力でかまれたのでしょう。

歯が手を貫通したそうです。

歯の鋭い爬虫類にかまれたようなものですかね?

すぐさま病院に行きましたが数時間後包帯を巻いて現場に戻ったみたいです。

それ以外にも生徒に突き飛ばされて頭を強く打ったり、骨折なんかもしていました。

幼いころ母とお風呂に入ると背中に無数のあざがあり驚いたものです。

今でも母の腕には無数の傷が残っています。

その傷はまるで大仁田厚のようです。

 

そんなことが毎日のように起きても母は仕事を続けました。

母は50ccのスクーターで毎日通勤していました。

私と弟が保育園に同時に通っていた時は、運転する母の前に私が立って乗り、弟はおんぶ紐で固定され、3人乗りの状態で通勤していたのを覚えています。

時々その姿を見た警察官に止められていたのですが、「じゃーあんたが保育園に代わりに送ってくるの?こっちは日々の生活が懸かってるんじゃ!止められるもんなら止めてみな!」とすごい剣幕で怒鳴りつけて警察官を困らせていましたね。

その後警察官の方は「おはようございます!お気をつけて~」なんて見逃してくれるようになりました。

今では絶対にアウトな事案ですね。

そんな母は仕事から帰って家のことを黙々とやり、主婦としての仕事もほぼ手を抜くことはなかったと思います。

ただその日々のイライラが子供たちに向けられるのは必然でしょう。

毎日母は大声で怒鳴りながら子育てをしていました。

 

母の怒りが頂点に達すると手が付けられません。

真冬のある日、お風呂から上がった私は全裸でTVを観ていました。

早く着替えなさい!という母の言うことを聞かずにTVに夢中になっていたんです。

次の瞬間!母は私を抱きかかえ玄関の外へ放り投げました。

カギをかけられ追い出されたのです。

外の気温は氷点下。

泣きながら一生懸命玄関の扉を叩いても母は許してくれません。

30分ほどすると体が完全に冷え切り声も出なくなります。

その様子を偶然隣近所のおばさんが見つけ家にあげてくれました。

全裸で玄関前に放置された子供をあまりにもかわいそうだと思ったんでしょう。

お風呂に入れなおしてくれて事なきを得ました。

1時間後電話を受けた母が迎えに来ました。

近所のおばさんも母のキャラクターを知っていたので特別驚いてはいませんでしたし、最後は隣のおばさんにも怒られながら家に帰りました。

 

ゲーム機を買ってもらった時も大変でした。

小学生ですから当然ゲームに夢中になります。

母にゲームの時間を決められていましたが、いつも帰りが遅いのでゲームはやりたい放題でした。

ある日、ゲームに夢中になりすぎて母に頼まれていたお使いや晩御飯の支度をサボりました。

母は帰宅後私を怒鳴りつけ、私の目の前でゲーム機を破壊しました。

その後顔が腫れるまで殴られました。

 

兄弟げんかをした際には台所から包丁を2本持ってきて「そんなにお互いが憎いならこれで刺し合いな!」と言われたこともあります。

さすがにすぐに喧嘩は収まりましたが・・・

 

中学生でグレた時には地獄を見ました。

ある晩、私が寝ているベットにいきなり物を投げつけてきたんです。

次の瞬間!ものすごく痛くて悶絶している私の首をロープで縛り始めました。

そして小さな声で「あんたを殺して私も死ぬよ!」と・・・

本気で殺されるとその時は思いましたね。

パフォーマンスとはいえやりすぎです。

 

一番の恐怖は弟が襲われた時です。

弟は頭がよく有名私立中学へ入学しましたが、自由な校風に染まり髪を伸ばしたり煙草を吸い始めたりしていました。

そのことでさんざん母から痛い目にあっていた弟ですが、反抗期だったため言うことを聞くことはありませんでした。

ある日、母が私の部屋に来て「少し手伝って」と言いながら弟の部屋に向かいました。

弟は爆睡しています。

すかさず母が私に「あんた足を抑えなさい!」と命令しました。

言われるがまま足を抑えたその瞬間!

母は手にしたハサミで弟の長い髪を容赦なく切り始めました。

すぐに弟は目を覚ましましたが、時すでに遅しです。

弟はブチ切れて母に飛びかかりましたが数秒で返り討ちにあいました。

そしてさらに部屋にあった煙草をつかみ、弟の口の中に詰め込み始めました。

「そんなにタバコが吸いたいなら食べてごらんなさい!食べた方がよりおいしいでしょうよ!」

その光景はまるで独裁国家で行われる拷問そのものです。

弟は完全にノックアウトされ気を失いかけていましたね。

仕上げに「兄であるお前がどうしようもないからこうなるんじゃ!」と私までノックアウトされました。

 

そんな母とは対照的に父はおとなしい人でした。

あまり大きな声で怒鳴ることもなく、いつもビールを飲みながら野球中継を黙ってみているような人です。

そんなマイペースな父に母は毎日のようにキレていました。

お皿を投げつけて父が額を数針縫うけがをしたこともあります。

 

これ以外にも口にできないようなエピソードが多々あります。

まさに「霊長類最強」な人だったんです。

 

そんな母も孫が生まれた頃から急激におとなしくなりました。

あの厳しかった母の面影はもはやありません。

まもなく70歳になります。

少しづつではありますが歳をとったな~と感じる瞬間が多くみられるようになりました。

「霊長類最強」も歳には勝てないということでしょうか?

 

昨日電話で少し話しました。

そしたらいきなり「昨日家の前の植え込みの草刈りをしていたらスズメバチの巣があって頭を刺されてしまったよ!痛かったけど大丈夫!」なんて受話器越しに言われました。

どう考えてもこの人は普通じゃないですね?

やっぱり死ぬまで「霊長類最強」かも知れません。

 

パラリンピックを観て思うこと

東京パラリンピック2020が開催されています。

オリンピックの後に必ず行われている障がい者スポーツの祭典「パラリンピック」ですが、なかなかじっくり見る機会は今までありませんでした。

今回は東京で開催されていることもあり、連日TVでその様子を観ることができます。

パラリンピックでしか行われないような独自の競技に連日私は興味深々であります。

特に「車いすラグビー」「車いすバスケットボール」「ゴールボール」「ブラインドサッカー」などはその競技自体は知っていても普段からなかなか目にする機会が無いのでTVの前で連日興奮しながら楽しく観ています。

民放でもしっかり放送して欲しいくらいですね。

 

f:id:BECHSTEIN:20210829185230j:plain

 

私の両親は養護教諭でした。

父が肢体不自由の養護学校、母は知的障がいの養護学校に勤務していました。

しかも高等部!

共働きだったこともあり、今では絶対にNGなんでしょうが幼いころはよく学校へ連れて行ってもらいました。

夏休みには体育館で養護学校の生徒と一緒に遊んだり、プールに入ることもありました。

生徒たちと保護者の有志で行われるサマーキャンプやスポーツ大会などにもよく同行されたものです。

サマーキャンプでは丸一日障がいのある人たちと過ごしましたし、2泊3日の小旅行などにも行きました。

ラソン大会では生徒でもないのに学校名でエントリーされ生徒さん達と一緒に走らされ大変な思いをしたこともあります。

また、父も母も生徒の面倒見が良かったようで、休日にはプライベートで生徒を自宅に招いて食事なんかを良くしていました。

なかには重い障がいのある生徒さんもいて、突然暴れだしたり意識を失ってしまうようなトラブルを目の当たりにしてビックリした記憶があります。

私が小学5~6年生くらいになるといよいよ生徒さんたちの面倒を手伝わされるようにもなりました。

食事の介助やトイレのお手伝い、運動のサポートなんかも強制的にやらされたものです。

 

そんな経験をすればするほど両親の大変さが身に染みて分かるものです。

よく「学校の先生は大変だ!」なんて言われていますが、皆さんが思っている以上に大変だと思いますよ!

特に父と母は養護教諭でしたので普通学校の先生とは大変さの度合いが全く違っていたとも思います。

我が家で週に1度は起きていた出来事ですが、母の学校の生徒さんは知的障がいがある為、しょっちゅう誰かが行方不明になっていました。

下校途中にいなくなったり、夜間突然家から失踪したり・・・

そのたびに家に電話がかかってきます。

連絡を受けた母はエプロンを私に渡し「あとはよろしく!」と言って捜索に行っていました。

父も体が不自由な生徒さんの面倒を見ていたため、生命の危険があったり残念ながら命を落としてしまった生徒さんの対応に日々追われていましたね。

そんな両親の姿を見て心に誓ったことはだた一つ!!

「将来学校の先生には絶対にならない!」

私は親不孝者です。

 

そんな幼少期を過ごしたため、障がいのある方を特別な目で見ることはほとんどありません。

また特別な思いを抱くこともありません。

だから障がいのある方が近くにいてもむやみに手を貸したり、声をかけることはしないです。

明らかに困っているようであれば声をかけてお手伝いをしますが、それは健常者に対してする気持ちと同等です。

私にとって障がいのある方々は皆特別な存在ではないのです。

その代わり、幼いころから障がいのある子供を一生懸命育てている親をたくさん目の当たりにしてきました。

皆さんとても明るくて、悲壮感や劣等感などを感じることはありませんでしたがとても苦労なさっているのだけは子供心にわかりました。

だから障がいのある子供を連れた親を見ると少し複雑な気持ちになったりもします。

 

そんな私がパラリンピックを夢中で観ているのはごく自然のことなのかもしれません。

ただ、毎回やはりこう思わざるを得ません!

パラリンピックは特別すぎる!と・・・

 

オリンピックは本当に盛り上がります。

世界中から多くの方に注目されるイベントです。

しかしパラリンピックが始まるとその熱は急激に冷めてしまうような気がします。

日本中が熱狂したあの17日間は何だったのか?と思わざるを得ません。

TV中継もニュースで取り上げる時間もあまりにも少なすぎます。

なぜ同じ注目度で取り上げられないのか?

なぜ同じテンションで報道できないのか?

全ての人が平等に平和に暮らせる社会を目指す!と言いながらこのざまです。

残念でなりませんね?

 

オリンピックとパラリンピック

大会の組織委員会やそこに携わる組織が違うのはわかりますが、やはり世間の多くの方々が言っているように、オリンピックと同時開催にするべきだとあらためて思います。

1ヶ月ぶっ通しでオリンピックとパラリンピックをやっても誰も困らないんじゃないでしょうか?

3日おきに交互に競技を行うとか、パラリンピックを先に開催するとか、完全に分けることなく行うとか、色々な意見が出ているものの実現する気配はありませんね。

障がいのある方々を賞賛しろ!と言っている訳ではありません。

むしろ健常者と同じ環境、同じタイミング、同じフィールドで競技させてあげて欲しいと言っているのです。

それこそが真の平等であり、互いに理解をし合える機会でもあるからです。

 

今日はブラインドサッカーを夢中で観ていました。

あまりのスピード感とその集中力に大変驚きました。

今回のパラリンピックからブラインドサッカー日本代表もA代表と同じユニフォームを着用できるようになったとも聞きました。

プレーを観たらこちらも正真正銘の「日本代表だ!」と思うばかりです。

少しづつですが同じ扱いがなされるようになったことを嬉しく感じます。

 

実はこんな話を両親にすると非常に嫌がられます。

人生の多くを障がい者教育に捧げた人間からすれば、パラリンピックは非常に複雑な大会なようです。

障がい者でもここまでできるんだぞ!障がい者を差別するな!障がい者にもっと理解を!という世の中の同調圧力にはうんざりすることもあるようです。

リアルな現場に立ち続けた人間にしかわからないこともあるのでしょう。

近々実家に行くのであらためて両親と話をしてみたいと思います。

ま~せっかくですからパラリンピックを思う存分楽しみましょう。

 

想像力

想像力ってすごく大切だな~と日々思っています。

自分はそれほど想像力豊かな方ではありませんが、日々起こるであろう様々な出来事を事前に少しでも想像できていればありとあらゆる物事がうまく行くような気がしてなりません。

 

f:id:BECHSTEIN:20210828203202j:plain



 

先日お話したように近い人間にコロナ患者が出ました。

それなりの覚悟はしていたつもりですが、事態は日々深刻になり、ありとあらゆる人にご心配とご迷惑をお掛けしてしまいました。

幸い誰にもうつることなく感染拡大とまではならなかったのですが、これも自分の想像力の弱さによるものだと思っています。

 

数年前からSNSなどで炎上するニュースが後を絶ちません。

数年前だと飲食店のアルバイトが不衛生極まりない動画を上げたことで社会問題にもなりました。

つい先日には有名なタレントが「ホームレスに人権はない!」みたいなことを発言して大バッシングを受けました。

政治家も相変わらずわけのわからない失言を繰り返しています。

 

そのようなことをしたらどうなるのか?

頭のいい人ならわかりそうなものですが、やはり想像力が豊かではないのだな~と思わざるを得ません。

 

昨日、想像力があまりにも無さすぎるニュースを目にしました。

渋谷で行われた若者向けのワクチン接種です。

予約なしで誰もが受けられるということで非常に話題になりましたが、用意した数は200~300人分だったとか・・・

最近ではなくなりましたが、新しいアイフォンの発売日にはアップルストアの前に徹夜組の行列ができていました。

品薄になっている人気のゲーム機「任天堂スイッチ」の発売なんかも、数少ない在庫を求めて多くの人が行列を作りました。

世の中を騒がせた事件の裁判なんかでも傍聴券を求めて多くの人が列を作ります。

今回の渋谷のワクチン接種だって多くの人が殺到することは誰でも想像がついたはずです。

1キロ以上も列ができた!というニュースを見て少し悲しくなりました。

今やワクチン接種は誰もが望んでいます。

受けたいのに受けなれないという人がたくさんいることも皆分かっているはずです。

そのワクチンを予約なしでその場に行けば誰でも受けられる!となれば殺到するのは当たり前です。

しかも用意したワクチンはたったの数百人分・・・

結局多くの人が殺到したため事態が収拾できず抽選制に切り替えたんだとか・・・

この企画考えた人相当やばいと思います。

どんだけ想像力が乏しいのか?

はたまた何も考えていないのか?

もしくはそうアピールすることで注目を集めたかったのか?

この行列に炎天下の中並んだ人の苦労、そこに行くまでの時間と交通費。

想像力が乏しい人間のおかげでいい迷惑をした人もたくさんいると思います。

ま~こうなることが分かっていながら並んだのであれば仕方がないですが・・・

 

頭のいい人って想像力も優れているんだと思います。

自分がどのような行動を取ったら周りにどのような影響があるのか?

自分がどのような発言をすれば多くの人の理解を得られるのか?

自分がどのような努力をすれば結果が出るのか?

自分がどのような心配をすればリスクヘッジができるのか?

自分がどのようなお金の使い方をすればより効率的なのか?

頭のいい人は日々それらをきちんと想像できているんだと思います。

 

もちろん失敗をすることもあるでしょう。

しかし、本当に頭のいい人は失敗した時のイメージもしっかり想像できていると思うんです。

想定外のことが起きることももちろんありますが、しっかりと想像力を働かせて様々な出来事に対処しているような気がします。

 

ここで注意したいのは「想像力」と「妄想力」は全く別のものだということです。

「妄想力」が高い方ってたくさんいますよね?

自分の周りにもいるのでよくわかります。

でもその「妄想力」って基本的に自分に都合のいい事しか考えない力だと思います。

自分がこうだったらいいな! 自分がこんな場所に行けたらいいな! 自分にこんな力があったらいいな! 自分の取り巻く環境がこんなだったらいいな!

基準は全て自分中心です。

でも「想像力」は自分を取り巻く全ての物事、環境、人を中心に働くものではないでしょうか?

自分の与えたきっかけがその先でどのように変化するのか?

それこそが真の「想像力」だと思うのです。

そんなことを考えながら今日一日を過ごしていました。

 

「体は酷使すると壊れるけど、脳はいくら使っても壊れない!生きている以上永久に酷使できる人間の唯一の器官だ!」

中学生の時に通っていた進学塾のスパルタ先生が大きな声で言っていた言葉です。

明日から「想像力」全開で過ごしたいと思います。

 

自由ってなんでしょう

先日、従業員のおばちゃんと話していたらこんなセリフが飛び出しました。

「あ~自由になりたい~!」

 

f:id:BECHSTEIN:20210826200944j:plain

 

人により「自由」の意味は大きく変わります。

そのおばちゃんが言う「自由」とは・・・

『お金の心配をしなくて済み、仕事もしなくてよくて、好きな時に好きなところへ出かけられること』

だそうです。

それを聞いて私の考える「自由」とは大きく違うな~と思いました。

私が考える「自由」はこうです。

『時間を自分の思い通りに使えて、指示を出したら誰かがきちんとやってくれて、次の日の心配をしないでお酒が飲めて、とにかく自分の心配だけできる状態』

 

なんとなく根本的には似ているのかもしれませんが、この「自由」の違いは何だろうか?とふと思ったので忘れないように書いておきます。

 

まず私の場合「自由」を妨げているのは間違いなく「責任」です。

会社社長としての「責任」

従業員の生活を守る「責任」

お客様への「責任」

3人の父親としての「責任」

長男としての「責任」

地域のコミュニティーの一員としての「責任」

少年野球チームの代表としての「責任」・・・

とにかくたくさんの「責任」を背負っているわけです。

 

この「責任」が私の「自由」を大きく制限しているのは間違いがありません。

全ての「責任」を放棄したら間違いなく「自由」を手に入れられるような気がします。

誰にも迷惑をかけることなく、全て自分の意志で思うがままの生活が送れるはずです。

その状態はまさに「自由」そのものです。

 

しかし、それらの責任が全て無くなった時、私はこう考えると思います。

「俺何のために生きているんだろう」と・・・

 

今背負っている「責任」の数々は自らの意志で築き上げたものです。

多少の不可抗力はありましたが、すべて自分で決めて背負ったものです。

それらの「責任」があるからこそ日々緊張感を持って生活しているわけです。

そして誰かの役に立てているわけです。

 

もともといい加減な人間です。

過去には「人間のクズ」と言われてもおかしくないような行動も取りました。

やってはいけないとわかっているのに意志が弱くトラブルも多々起こしました。

今でも時々誘惑に負けて道を外れそうになることもあります。

偉そうに何かを人に言えるような人間ではありません。

きっとそんなダメな自分を変えたくて!

いい加減な部分が出てくるのを抑えたくて!

過去の様々な反省をするために!

自分をコントロールするために!

多くの「責任」を自分に課してきたのかもしれません。

 

そんな私がもし「自由」を手に入れたらどうなるのか?

きっと大変なことが起こるのは間違いありません。

いい歳の大人ですから犯罪を犯すようなことはさすがにないと思いますが、人として正しい行動を取り続けられるか?疑問が残ります。

基本的に自分という人間を信用していないんでしょうかね?

だから「自由」なんてものは私には不要なんです。

 

そのおばちゃんとの会話の最後はこうでした。

「きっと自由になれたら私はもっと素敵な女性になれると思うんです!女性としても人間としても・・・だから一生自由を追い続けますわ!」

私とは正反対の考え方に少し羨ましくなったと同時に「人それぞれだな」とあらためて考えさせられました。

やはり私は「自由」とは一生無縁の人間なのかもしれませんね。

 

代表

今年から少年野球チームの代表をしています。

末っ子が小学生の時にお世話になったチームです。

 

f:id:BECHSTEIN:20210826193620j:plain

 

末っ子には生まれた時から野球をやらせるつもりで育てました。

生まれてすぐ野球のボールを握らせましたし、ベビーベットの枕元には常に野球道具を置いていました。

だから赤ちゃんの時の写真にはほぼすべて野球の道具が写りこんでいます。

1歳の誕生日にはまだ使えるはずのない小学生用のグローブを買い、そのグローブを使う姿を想像しながらニヤニヤしたものです。

幼稚園に入ると毎週のようにプロ野球観戦に連れていきました。

最初の頃は9回まで見るだけの集中力がなく「もう帰る!」と何度も駄々をこねましたが、そのうち親子で夢中で観るようになりました。

そんな育て方をしていたら本人も野球に夢中になり、七五三の時にスタジオアリスへ写真を取りに行った時には、紋付き袴ではなく侍ジャパンのレプリカユニフォームを自ら選び撮影したくらいです。

しばらくすると近くに元プロ野球選手が指導するアカデミーが開校したので迷わず通わせました。

道具も買い与え、本人は毎日のように野球を楽しんでいいるようでした。

 

小学生になるとすぐに「少年野球チームに入りたい!」と言い出しました。

もちろん私も妻もそのつもりでいたのですが、当時長男が剣道を、娘が新体操を一生懸命やっていた関係で、とても末っ子の面倒まで手が回らない状態でして・・・

結局「そのうちね~」と言って入団を先延ばしにしておりました。

それでも末っ子の野球に対する興味は増すばかり!

同級生の多くが少年野球チームに入っていたりするものですから、毎晩のように「いつチームに入れるんだ!」と言われ続けておりました。

そして小学3年生の時、末っ子は自ら行動を起こします。

とある日曜日の朝、「今日出かけてくるから~」と言って自転車でどこかに向かいました。

向かった先は息子が入団した少年野球チーム。

その日の夕方、泥だらけになって帰ってきた息子はカミさんに一枚の紙を手渡します。

入団申込書でした。

 

息子が勝手に入団してきたチームは少し特殊なチームです。

この地域は野球が大変盛んで、少年野球チームは10チーム近くあります。

シニアやボーイズ、そして大人の草野球チームもたくさんある地域です。

当然息子は有名なチームに入れようと考えていましたが、強いチームはとにかく親の負担が半端ありません。

毎週のように練習や試合に立ち会わなければいけませんし、伝統的な「お茶当番」もやらなければいけません。

長男・長女にかかりっきりの状態を察したのか?末っ子は地域でもかなりマイナーなチームを自ら選んできました。

そのチームは地域の野球連盟には属さず、他の少年野球チームでなじめなかった子や、片親の子、障害がある子などを積極的に受け入れているチームでした。

当然人数も少なく、監督やコーチたちが数人で面倒を見ています。

練習の立ち合いや試合の応援、遠征など基本的に強制されません。

若干のお手伝いはありますが、親の負担が非常に少ないのが特徴のチームです。

翌週、カミさんがチームへ挨拶に行き正式に入団することになりました。

 

入団してからというもの、末っ子は目の色を変えてのびのびと野球を楽しんでいました。

時間を見つけてはその様子を見には行きましたが、どうしても長男、長女に手がかかっていたため末っ子のことは監督、コーチに全てお任せしていたものです。

活動日の土曜・日曜は私も仕事なもんですから・・・

 

しばらくすると監督・コーチから呼び出されました。

昼間はなかなか動けないので練習後のコーチ会(いわゆる飲み会)に顔を出すようになりました。

コーチ会では末っ子の様子を本当に詳しく話してもらいました。

完全ボランティアで末っ子の指導をしてくれている監督・コーチには本当に頭が下がります。

せめて私にできることはお酒を注いで色々な話を聞くことだけでした。

 

小学6年生になると主将に任命されました。

さすがに立場上なるべく顔を出さなければいけませんので、時間を見つけては試合をなるべく観に行くようにしました。

もちろんコーチ会は欠かさず参加していましたね。

こうして監督・コーチとはどんどん深い仲になっていくんです。

 

息子が中学生になり卒団してからもコーチ会にはお呼ばれされました。

もはや監督・コーチと保護者という関係は飛び越えて、飲み友達みたいになっていましたかね?

しかし、息子のいないチームの練習や試合に顔を出すことは3年間全くありませんでした。

 

そして今年、チーム内で若干のゴタゴタが発生してしまいます。

少年野球チームではよくあることではありますが、関係者ということで少しだけゴタゴタに巻き込まれました。

昨年までは私の一番仲の良かった人が代表を務めていたのですが、そのゴタゴタの責任を取って辞任することに!

そして急に言われた一言!

「あとは頼んだ」

 

結局そのまま代表に就任することになり現在に至ります。

子供たちからしたら「急に変なオッサンが登場した!」と思われたかもしれません。

それでも代表になった以上は最低限の仕事はさせていただいております。

先日も大きな大会にユニフォームを着て引率しました。

野球経験の乏しい指導力もない代表ですが、少しづつ子供たちも心を開いてくれたようで今では大きな声で挨拶してくれます。

息子が所属していた時には全くと言っていいほどチームの活動に参加できなかったので3年のブランクを経て恩返ししている状態です。

 

私の代表就任に一番驚いたのはカミさんと末っ子でしょう。

「何考えてるの?今更?」と毎日のように言われております。

そして末っ子から言われた強烈な一言!

「野球をなめんなよ!」

代表と言ってもやはり名前だけですかね?

 

子供たちの野球を手伝っていると末っ子が小さかった時のことを思い出します。

そしてあの時もう少し時間を作ってあげられたらな~という後悔の念に襲われます。

私の代表としての活動は末っ子への懺悔なのかもしれません。

 

隔離生活

従業員の感染が発覚したその日から私は会社に寝泊まりをしています。

家族に感染させてしまうと取り返しのつかないことになるからです。

ただいま長男は就職活動中。

長女は大きな大会の前でピリピリしている状態。

末っ子は秋の大会の真っ最中。

各自それぞれのフィールドで自分のやるべきことをやっているわけです。

特にスポーツをしている長女と末っ子には気を使います。

万が一私から感染した場合、本人はもちろん、チーム全体の活動が制限されてしまうからです。

そんなことになれば私は一生悔やみ続けるはずです。

子供を応援しなければいけない立場の人間が足を引っ張ることなんて絶対にしたくないんです。

濃厚接触者ではありませんが念には念を入れ会社で寝泊まりを続けております。

 

f:id:BECHSTEIN:20210825011756j:plain

 

ここ数日で事態はだいぶ収まってきました。

感染発覚後からすでに一週間が経ちましたが、今のところ体調不良者は一人もおりません。

感染した従業員も順調に回復したようです。

とりあえず最悪の状況は回避できたと思います。

私も明日の夜からは家の布団で寝ることにします。

ま~家族からは「家にいてもいなくてもあまり変わらないし!ていうかそもそも家にあんまりいないじゃん!」なんて言われておりますが・・・

 

今回の一件で本当に色々なことを学びました。

そして大切だと感じたことは2つ!

①コロナにかからない最大限の努力と、コロナをうつさない最大限の努力をすること!

➁コロナにかかった時にすぐに周囲に正しい情報をきちんと伝えること!

これが一番大切です。

 

従業員からの報告が遅れたせいで、接触してしまった人の数は劇的に増えてしまいました。

たった数日でいいから具合が悪いことをもっと早く報告してくれれば接触する人間の数は減らせたはずです。

接触した人たちの後ろにも多くの人がいます。

家族、親せき、友人、職場の人間などなど・・・

つまり、一人の人間が10人のお付き合いが日常的にあった場合、感染すると「10x10x10x10x10x10x10・・・」という途方もない数の人間に影響を与えるということです。

もちろんすべての人にうつるという意味ではなく、それだけの人間に不安を与えるということです。

だからこそ、感染しない為の努力、うつさない為の努力、すぐに正しい情報を伝えることが何よりも重要だとあらためて思いました。

 

この数日間、携帯の充電は毎日数時間でなくなりました。

電話はもちろん、メールやLINEで携帯は常にフル稼働していました。

感染していない私がこれだけのアクションを必要とするということは、感染していたらさらに大変なことになるということでしょう。

人付き合いの多さや立場もありますが、本当に疲れました。

今夜も会社のソファーで寝ますが、ここ数日で一番ゆっくり眠れそうな気もします。

皆様も十分お気を付けください。

おやすみなさいませ。

 

コロナがとうとうやってきた

今やこの話題を口にしない日はありませんね?

「新型コロナウィルス」

2019年も幕を閉じようとしていた12月!

未知のウィルスが中国を恐怖に陥れました。

その後瞬く間に世界に拡散!

日本にも容赦なく入り込みました。

そして我々の日常は一変します。

毎日マスクを着用し手洗い、アルコール消毒が日々のルーティーンになりました。

人との接触が「絶対悪」にもなり娯楽がどんどん奪われました。

誰も予想できなかった最悪の生活が始まったわけです。

 

それでも人間はすごいです!

その状況にある程度慣れてくると様々な工夫をし始めます。

仕事も遊びも、食事も人付き合いも・・・

今までとは全く違う楽しみ方を見出し始めるんだから本当に感心します。

 

そんなコロナとの付き合いも気が付けば1年半になります。

その間様々な人が感染し大変な思いをしてきました。

もちろん私の周りでもコロナにかかった人間は何人もいます。

でもそのどれもが直接会ったり、一緒に行動を共にしている人間ではなかったため、なんとなくですが「対岸の火事」と思っていた節はあります。

ただ、ここ数か月の感染拡大を見ていると「いよいよ次は自分の番かな?」と思ってもいました。

そこで「もしコロナになったら」というシュミレーションを始めるようにしました。

どこで感染したのか?

誰とどんな状況で会ったのか?

どんなものを食べたのか?

感染した場合どのタイミングで誰に連絡をするべきなのか?

そしてどう振舞うべきなのか?

毎日のように考えるようにもなりました。

せめてイメージトレーニングだけでもしておかないとです。

 

f:id:BECHSTEIN:20210825002753j:plain

 

そしてついにその時が来ました。

従業員の感染が発覚したのです。

「ついに来てしまったか?」という思いと「心の準備は出来ている!」という思いとがぶつかり合いました。

しかし、イメージトレーニングの成果はあまり発揮されませんでした。

なぜなら感染した従業員の報告があまりにも遅かったからです。

発熱があるのにそれを隠して出勤していたことが判明したのです。

あとでわかったことですが、コロナ禍でありながら我慢が出来ず夜中に出歩き羽目を外したようです。

そのことに後ろめたさを感じたんでしょう。

体調不良の報告が遅れ、陽性判定が出た時にはすでに多くの従業員と接触してしまっていました。

 

こうなるとさすがにパニック状態に陥ります。

家族や友人はもちろん、私の場合は取引先やお客様へ報告する義務があります。

間接的にでも接触した方々全員に電話をかける毎日です。

200件以上は連絡をしたでしょうか?

おかげさまで濃厚接触者はいなかったのですが、数日間は不安を抱えながら過ごすしかありませんでした。

あんなに準備していたのに・・・

想像していた世界と実際の世界はこうも違うのか?とただただ落ち込むだけです。

 

陽性発覚から数日後、従業員全員にPCR検査を実施しました。

結果は全員陰性でした。

今のところ家族や取引先にも陽性者は出ていないのでギリギリのところでセーフだったのかもしれません。

本当に寿命が短くなる思いをしました。

 

でもこんな気づきもありました。

今回の一件で私は多くの友人や親しいお客様に連絡を入れました。

従業員の感染発覚までの10日余りで私は40人ほどの人間と短い時間ではありますが接触をしています。

そのことを伝えた時、正直縁を切られるくらいの覚悟はありました。

しかし、全員が私のことを心配してくれ、気にするなと励ましてくれたんです。

ひょっとしたら迷惑をかけてしまったかもしれないのに・・・

そしてみんな口をそろえて同じことを言ってくれるんです!

「お互い様だよ!」

なかには「お前からもらったんなら安心だ!どうせもらうなら信用しているヤツからもらいたいじゃん!」とまで言ってくれる人もいました。

本当に涙が出るくらいうれしかったです。

日頃の行いや立ち振る舞いがいかに大切なのかを思い知らされた一件でした。

 

コロナは我々がいくら準備していても容赦なく襲ってきます。

戦場でマシンガンを乱射されている中を毎日歩いているようなものかもしれません。

この状況が続けば、いつかは必ず感染するのでしょう。

今回の経験でそのことを思い知らされました。

だからこそ普段から正しい振る舞いと責任ある行動が必要なんだと思います。

感染が広がらなくて本当に良かったです。