先日、従業員のおばちゃんと話していたらこんなセリフが飛び出しました。
「あ~自由になりたい~!」
人により「自由」の意味は大きく変わります。
そのおばちゃんが言う「自由」とは・・・
『お金の心配をしなくて済み、仕事もしなくてよくて、好きな時に好きなところへ出かけられること』
だそうです。
それを聞いて私の考える「自由」とは大きく違うな~と思いました。
私が考える「自由」はこうです。
『時間を自分の思い通りに使えて、指示を出したら誰かがきちんとやってくれて、次の日の心配をしないでお酒が飲めて、とにかく自分の心配だけできる状態』
なんとなく根本的には似ているのかもしれませんが、この「自由」の違いは何だろうか?とふと思ったので忘れないように書いておきます。
まず私の場合「自由」を妨げているのは間違いなく「責任」です。
会社社長としての「責任」
従業員の生活を守る「責任」
お客様への「責任」
3人の父親としての「責任」
長男としての「責任」
地域のコミュニティーの一員としての「責任」
少年野球チームの代表としての「責任」・・・
とにかくたくさんの「責任」を背負っているわけです。
この「責任」が私の「自由」を大きく制限しているのは間違いがありません。
全ての「責任」を放棄したら間違いなく「自由」を手に入れられるような気がします。
誰にも迷惑をかけることなく、全て自分の意志で思うがままの生活が送れるはずです。
その状態はまさに「自由」そのものです。
しかし、それらの責任が全て無くなった時、私はこう考えると思います。
「俺何のために生きているんだろう」と・・・
今背負っている「責任」の数々は自らの意志で築き上げたものです。
多少の不可抗力はありましたが、すべて自分で決めて背負ったものです。
それらの「責任」があるからこそ日々緊張感を持って生活しているわけです。
そして誰かの役に立てているわけです。
もともといい加減な人間です。
過去には「人間のクズ」と言われてもおかしくないような行動も取りました。
やってはいけないとわかっているのに意志が弱くトラブルも多々起こしました。
今でも時々誘惑に負けて道を外れそうになることもあります。
偉そうに何かを人に言えるような人間ではありません。
きっとそんなダメな自分を変えたくて!
いい加減な部分が出てくるのを抑えたくて!
過去の様々な反省をするために!
自分をコントロールするために!
多くの「責任」を自分に課してきたのかもしれません。
そんな私がもし「自由」を手に入れたらどうなるのか?
きっと大変なことが起こるのは間違いありません。
いい歳の大人ですから犯罪を犯すようなことはさすがにないと思いますが、人として正しい行動を取り続けられるか?疑問が残ります。
基本的に自分という人間を信用していないんでしょうかね?
だから「自由」なんてものは私には不要なんです。
そのおばちゃんとの会話の最後はこうでした。
「きっと自由になれたら私はもっと素敵な女性になれると思うんです!女性としても人間としても・・・だから一生自由を追い続けますわ!」
私とは正反対の考え方に少し羨ましくなったと同時に「人それぞれだな」とあらためて考えさせられました。
やはり私は「自由」とは一生無縁の人間なのかもしれませんね。