東京パラリンピック2020が開催されています。
オリンピックの後に必ず行われている障がい者スポーツの祭典「パラリンピック」ですが、なかなかじっくり見る機会は今までありませんでした。
今回は東京で開催されていることもあり、連日TVでその様子を観ることができます。
パラリンピックでしか行われないような独自の競技に連日私は興味深々であります。
特に「車いすラグビー」「車いすバスケットボール」「ゴールボール」「ブラインドサッカー」などはその競技自体は知っていても普段からなかなか目にする機会が無いのでTVの前で連日興奮しながら楽しく観ています。
民放でもしっかり放送して欲しいくらいですね。
私の両親は養護教諭でした。
父が肢体不自由の養護学校、母は知的障がいの養護学校に勤務していました。
しかも高等部!
共働きだったこともあり、今では絶対にNGなんでしょうが幼いころはよく学校へ連れて行ってもらいました。
夏休みには体育館で養護学校の生徒と一緒に遊んだり、プールに入ることもありました。
生徒たちと保護者の有志で行われるサマーキャンプやスポーツ大会などにもよく同行されたものです。
サマーキャンプでは丸一日障がいのある人たちと過ごしましたし、2泊3日の小旅行などにも行きました。
マラソン大会では生徒でもないのに学校名でエントリーされ生徒さん達と一緒に走らされ大変な思いをしたこともあります。
また、父も母も生徒の面倒見が良かったようで、休日にはプライベートで生徒を自宅に招いて食事なんかを良くしていました。
なかには重い障がいのある生徒さんもいて、突然暴れだしたり意識を失ってしまうようなトラブルを目の当たりにしてビックリした記憶があります。
私が小学5~6年生くらいになるといよいよ生徒さんたちの面倒を手伝わされるようにもなりました。
食事の介助やトイレのお手伝い、運動のサポートなんかも強制的にやらされたものです。
そんな経験をすればするほど両親の大変さが身に染みて分かるものです。
よく「学校の先生は大変だ!」なんて言われていますが、皆さんが思っている以上に大変だと思いますよ!
特に父と母は養護教諭でしたので普通学校の先生とは大変さの度合いが全く違っていたとも思います。
我が家で週に1度は起きていた出来事ですが、母の学校の生徒さんは知的障がいがある為、しょっちゅう誰かが行方不明になっていました。
下校途中にいなくなったり、夜間突然家から失踪したり・・・
そのたびに家に電話がかかってきます。
連絡を受けた母はエプロンを私に渡し「あとはよろしく!」と言って捜索に行っていました。
父も体が不自由な生徒さんの面倒を見ていたため、生命の危険があったり残念ながら命を落としてしまった生徒さんの対応に日々追われていましたね。
そんな両親の姿を見て心に誓ったことはだた一つ!!
「将来学校の先生には絶対にならない!」
私は親不孝者です。
そんな幼少期を過ごしたため、障がいのある方を特別な目で見ることはほとんどありません。
また特別な思いを抱くこともありません。
だから障がいのある方が近くにいてもむやみに手を貸したり、声をかけることはしないです。
明らかに困っているようであれば声をかけてお手伝いをしますが、それは健常者に対してする気持ちと同等です。
私にとって障がいのある方々は皆特別な存在ではないのです。
その代わり、幼いころから障がいのある子供を一生懸命育てている親をたくさん目の当たりにしてきました。
皆さんとても明るくて、悲壮感や劣等感などを感じることはありませんでしたがとても苦労なさっているのだけは子供心にわかりました。
だから障がいのある子供を連れた親を見ると少し複雑な気持ちになったりもします。
そんな私がパラリンピックを夢中で観ているのはごく自然のことなのかもしれません。
ただ、毎回やはりこう思わざるを得ません!
パラリンピックは特別すぎる!と・・・
オリンピックは本当に盛り上がります。
世界中から多くの方に注目されるイベントです。
しかしパラリンピックが始まるとその熱は急激に冷めてしまうような気がします。
日本中が熱狂したあの17日間は何だったのか?と思わざるを得ません。
TV中継もニュースで取り上げる時間もあまりにも少なすぎます。
なぜ同じ注目度で取り上げられないのか?
なぜ同じテンションで報道できないのか?
全ての人が平等に平和に暮らせる社会を目指す!と言いながらこのざまです。
残念でなりませんね?
オリンピックとパラリンピック。
大会の組織委員会やそこに携わる組織が違うのはわかりますが、やはり世間の多くの方々が言っているように、オリンピックと同時開催にするべきだとあらためて思います。
1ヶ月ぶっ通しでオリンピックとパラリンピックをやっても誰も困らないんじゃないでしょうか?
3日おきに交互に競技を行うとか、パラリンピックを先に開催するとか、完全に分けることなく行うとか、色々な意見が出ているものの実現する気配はありませんね。
障がいのある方々を賞賛しろ!と言っている訳ではありません。
むしろ健常者と同じ環境、同じタイミング、同じフィールドで競技させてあげて欲しいと言っているのです。
それこそが真の平等であり、互いに理解をし合える機会でもあるからです。
今日はブラインドサッカーを夢中で観ていました。
あまりのスピード感とその集中力に大変驚きました。
今回のパラリンピックからブラインドサッカー日本代表もA代表と同じユニフォームを着用できるようになったとも聞きました。
プレーを観たらこちらも正真正銘の「日本代表だ!」と思うばかりです。
少しづつですが同じ扱いがなされるようになったことを嬉しく感じます。
実はこんな話を両親にすると非常に嫌がられます。
人生の多くを障がい者教育に捧げた人間からすれば、パラリンピックは非常に複雑な大会なようです。
障がい者でもここまでできるんだぞ!障がい者を差別するな!障がい者にもっと理解を!という世の中の同調圧力にはうんざりすることもあるようです。
リアルな現場に立ち続けた人間にしかわからないこともあるのでしょう。
近々実家に行くのであらためて両親と話をしてみたいと思います。
ま~せっかくですからパラリンピックを思う存分楽しみましょう。