代表

今年から少年野球チームの代表をしています。

末っ子が小学生の時にお世話になったチームです。

 

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末っ子には生まれた時から野球をやらせるつもりで育てました。

生まれてすぐ野球のボールを握らせましたし、ベビーベットの枕元には常に野球道具を置いていました。

だから赤ちゃんの時の写真にはほぼすべて野球の道具が写りこんでいます。

1歳の誕生日にはまだ使えるはずのない小学生用のグローブを買い、そのグローブを使う姿を想像しながらニヤニヤしたものです。

幼稚園に入ると毎週のようにプロ野球観戦に連れていきました。

最初の頃は9回まで見るだけの集中力がなく「もう帰る!」と何度も駄々をこねましたが、そのうち親子で夢中で観るようになりました。

そんな育て方をしていたら本人も野球に夢中になり、七五三の時にスタジオアリスへ写真を取りに行った時には、紋付き袴ではなく侍ジャパンのレプリカユニフォームを自ら選び撮影したくらいです。

しばらくすると近くに元プロ野球選手が指導するアカデミーが開校したので迷わず通わせました。

道具も買い与え、本人は毎日のように野球を楽しんでいいるようでした。

 

小学生になるとすぐに「少年野球チームに入りたい!」と言い出しました。

もちろん私も妻もそのつもりでいたのですが、当時長男が剣道を、娘が新体操を一生懸命やっていた関係で、とても末っ子の面倒まで手が回らない状態でして・・・

結局「そのうちね~」と言って入団を先延ばしにしておりました。

それでも末っ子の野球に対する興味は増すばかり!

同級生の多くが少年野球チームに入っていたりするものですから、毎晩のように「いつチームに入れるんだ!」と言われ続けておりました。

そして小学3年生の時、末っ子は自ら行動を起こします。

とある日曜日の朝、「今日出かけてくるから~」と言って自転車でどこかに向かいました。

向かった先は息子が入団した少年野球チーム。

その日の夕方、泥だらけになって帰ってきた息子はカミさんに一枚の紙を手渡します。

入団申込書でした。

 

息子が勝手に入団してきたチームは少し特殊なチームです。

この地域は野球が大変盛んで、少年野球チームは10チーム近くあります。

シニアやボーイズ、そして大人の草野球チームもたくさんある地域です。

当然息子は有名なチームに入れようと考えていましたが、強いチームはとにかく親の負担が半端ありません。

毎週のように練習や試合に立ち会わなければいけませんし、伝統的な「お茶当番」もやらなければいけません。

長男・長女にかかりっきりの状態を察したのか?末っ子は地域でもかなりマイナーなチームを自ら選んできました。

そのチームは地域の野球連盟には属さず、他の少年野球チームでなじめなかった子や、片親の子、障害がある子などを積極的に受け入れているチームでした。

当然人数も少なく、監督やコーチたちが数人で面倒を見ています。

練習の立ち合いや試合の応援、遠征など基本的に強制されません。

若干のお手伝いはありますが、親の負担が非常に少ないのが特徴のチームです。

翌週、カミさんがチームへ挨拶に行き正式に入団することになりました。

 

入団してからというもの、末っ子は目の色を変えてのびのびと野球を楽しんでいました。

時間を見つけてはその様子を見には行きましたが、どうしても長男、長女に手がかかっていたため末っ子のことは監督、コーチに全てお任せしていたものです。

活動日の土曜・日曜は私も仕事なもんですから・・・

 

しばらくすると監督・コーチから呼び出されました。

昼間はなかなか動けないので練習後のコーチ会(いわゆる飲み会)に顔を出すようになりました。

コーチ会では末っ子の様子を本当に詳しく話してもらいました。

完全ボランティアで末っ子の指導をしてくれている監督・コーチには本当に頭が下がります。

せめて私にできることはお酒を注いで色々な話を聞くことだけでした。

 

小学6年生になると主将に任命されました。

さすがに立場上なるべく顔を出さなければいけませんので、時間を見つけては試合をなるべく観に行くようにしました。

もちろんコーチ会は欠かさず参加していましたね。

こうして監督・コーチとはどんどん深い仲になっていくんです。

 

息子が中学生になり卒団してからもコーチ会にはお呼ばれされました。

もはや監督・コーチと保護者という関係は飛び越えて、飲み友達みたいになっていましたかね?

しかし、息子のいないチームの練習や試合に顔を出すことは3年間全くありませんでした。

 

そして今年、チーム内で若干のゴタゴタが発生してしまいます。

少年野球チームではよくあることではありますが、関係者ということで少しだけゴタゴタに巻き込まれました。

昨年までは私の一番仲の良かった人が代表を務めていたのですが、そのゴタゴタの責任を取って辞任することに!

そして急に言われた一言!

「あとは頼んだ」

 

結局そのまま代表に就任することになり現在に至ります。

子供たちからしたら「急に変なオッサンが登場した!」と思われたかもしれません。

それでも代表になった以上は最低限の仕事はさせていただいております。

先日も大きな大会にユニフォームを着て引率しました。

野球経験の乏しい指導力もない代表ですが、少しづつ子供たちも心を開いてくれたようで今では大きな声で挨拶してくれます。

息子が所属していた時には全くと言っていいほどチームの活動に参加できなかったので3年のブランクを経て恩返ししている状態です。

 

私の代表就任に一番驚いたのはカミさんと末っ子でしょう。

「何考えてるの?今更?」と毎日のように言われております。

そして末っ子から言われた強烈な一言!

「野球をなめんなよ!」

代表と言ってもやはり名前だけですかね?

 

子供たちの野球を手伝っていると末っ子が小さかった時のことを思い出します。

そしてあの時もう少し時間を作ってあげられたらな~という後悔の念に襲われます。

私の代表としての活動は末っ子への懺悔なのかもしれません。