霊長類最強

レスリングの吉田沙保里選手の強さを一言で表した「霊長類最強」という言葉!

もともとは前人未到のオリンピック三連覇を成し遂げた「アレクサンドル・カレリン」というソビエトレスリング選手に用いられていた言葉だそうですが、日本人なら誰もが吉田沙保里選手を想像しちゃいますよね?

それだけ彼女が特別強かったということでしょう。

ただ、私と弟の中での「霊長類最強」は間違いなく母です。

 

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母の職業は養護教諭でした。

しかも知的障がいのある子達を専門としていたため、その業務は日々体力勝負だったようです。

母の学校は養護高等学校でしたので、生徒さんたちは皆それなりの体格をしています。

今はどうか知りませんが、障がいのある子供たちは自分の意志で体を鍛えたり体力を付けたりすることが困難なので、養護学校では日頃から体力づくりが盛んに行われていました。

社会に出た時に体力面で困ることが無いようにという配慮だったと思います。

(母の学校を基準に勝手にそう思っているだけかもしれませんが・・・)

その為、母は日々生徒と体を動かしていました。

毎日汗臭い体で帰ってくる母を観て「この人は肉体労働者か?」と本気で思っていたくらいです。

また、時々生徒さんが感情をコントロールできずに暴れたりするので制止するのも仕事のうちです。

一番印象に残っているのは母が手を生徒にかまれた時のことです。

ものすごい力でかまれたのでしょう。

歯が手を貫通したそうです。

歯の鋭い爬虫類にかまれたようなものですかね?

すぐさま病院に行きましたが数時間後包帯を巻いて現場に戻ったみたいです。

それ以外にも生徒に突き飛ばされて頭を強く打ったり、骨折なんかもしていました。

幼いころ母とお風呂に入ると背中に無数のあざがあり驚いたものです。

今でも母の腕には無数の傷が残っています。

その傷はまるで大仁田厚のようです。

 

そんなことが毎日のように起きても母は仕事を続けました。

母は50ccのスクーターで毎日通勤していました。

私と弟が保育園に同時に通っていた時は、運転する母の前に私が立って乗り、弟はおんぶ紐で固定され、3人乗りの状態で通勤していたのを覚えています。

時々その姿を見た警察官に止められていたのですが、「じゃーあんたが保育園に代わりに送ってくるの?こっちは日々の生活が懸かってるんじゃ!止められるもんなら止めてみな!」とすごい剣幕で怒鳴りつけて警察官を困らせていましたね。

その後警察官の方は「おはようございます!お気をつけて~」なんて見逃してくれるようになりました。

今では絶対にアウトな事案ですね。

そんな母は仕事から帰って家のことを黙々とやり、主婦としての仕事もほぼ手を抜くことはなかったと思います。

ただその日々のイライラが子供たちに向けられるのは必然でしょう。

毎日母は大声で怒鳴りながら子育てをしていました。

 

母の怒りが頂点に達すると手が付けられません。

真冬のある日、お風呂から上がった私は全裸でTVを観ていました。

早く着替えなさい!という母の言うことを聞かずにTVに夢中になっていたんです。

次の瞬間!母は私を抱きかかえ玄関の外へ放り投げました。

カギをかけられ追い出されたのです。

外の気温は氷点下。

泣きながら一生懸命玄関の扉を叩いても母は許してくれません。

30分ほどすると体が完全に冷え切り声も出なくなります。

その様子を偶然隣近所のおばさんが見つけ家にあげてくれました。

全裸で玄関前に放置された子供をあまりにもかわいそうだと思ったんでしょう。

お風呂に入れなおしてくれて事なきを得ました。

1時間後電話を受けた母が迎えに来ました。

近所のおばさんも母のキャラクターを知っていたので特別驚いてはいませんでしたし、最後は隣のおばさんにも怒られながら家に帰りました。

 

ゲーム機を買ってもらった時も大変でした。

小学生ですから当然ゲームに夢中になります。

母にゲームの時間を決められていましたが、いつも帰りが遅いのでゲームはやりたい放題でした。

ある日、ゲームに夢中になりすぎて母に頼まれていたお使いや晩御飯の支度をサボりました。

母は帰宅後私を怒鳴りつけ、私の目の前でゲーム機を破壊しました。

その後顔が腫れるまで殴られました。

 

兄弟げんかをした際には台所から包丁を2本持ってきて「そんなにお互いが憎いならこれで刺し合いな!」と言われたこともあります。

さすがにすぐに喧嘩は収まりましたが・・・

 

中学生でグレた時には地獄を見ました。

ある晩、私が寝ているベットにいきなり物を投げつけてきたんです。

次の瞬間!ものすごく痛くて悶絶している私の首をロープで縛り始めました。

そして小さな声で「あんたを殺して私も死ぬよ!」と・・・

本気で殺されるとその時は思いましたね。

パフォーマンスとはいえやりすぎです。

 

一番の恐怖は弟が襲われた時です。

弟は頭がよく有名私立中学へ入学しましたが、自由な校風に染まり髪を伸ばしたり煙草を吸い始めたりしていました。

そのことでさんざん母から痛い目にあっていた弟ですが、反抗期だったため言うことを聞くことはありませんでした。

ある日、母が私の部屋に来て「少し手伝って」と言いながら弟の部屋に向かいました。

弟は爆睡しています。

すかさず母が私に「あんた足を抑えなさい!」と命令しました。

言われるがまま足を抑えたその瞬間!

母は手にしたハサミで弟の長い髪を容赦なく切り始めました。

すぐに弟は目を覚ましましたが、時すでに遅しです。

弟はブチ切れて母に飛びかかりましたが数秒で返り討ちにあいました。

そしてさらに部屋にあった煙草をつかみ、弟の口の中に詰め込み始めました。

「そんなにタバコが吸いたいなら食べてごらんなさい!食べた方がよりおいしいでしょうよ!」

その光景はまるで独裁国家で行われる拷問そのものです。

弟は完全にノックアウトされ気を失いかけていましたね。

仕上げに「兄であるお前がどうしようもないからこうなるんじゃ!」と私までノックアウトされました。

 

そんな母とは対照的に父はおとなしい人でした。

あまり大きな声で怒鳴ることもなく、いつもビールを飲みながら野球中継を黙ってみているような人です。

そんなマイペースな父に母は毎日のようにキレていました。

お皿を投げつけて父が額を数針縫うけがをしたこともあります。

 

これ以外にも口にできないようなエピソードが多々あります。

まさに「霊長類最強」な人だったんです。

 

そんな母も孫が生まれた頃から急激におとなしくなりました。

あの厳しかった母の面影はもはやありません。

まもなく70歳になります。

少しづつではありますが歳をとったな~と感じる瞬間が多くみられるようになりました。

「霊長類最強」も歳には勝てないということでしょうか?

 

昨日電話で少し話しました。

そしたらいきなり「昨日家の前の植え込みの草刈りをしていたらスズメバチの巣があって頭を刺されてしまったよ!痛かったけど大丈夫!」なんて受話器越しに言われました。

どう考えてもこの人は普通じゃないですね?

やっぱり死ぬまで「霊長類最強」かも知れません。