正月2日目・3日目

元旦のスキーを楽しんだ翌日もお出掛けでした。

朝からカミさんはスキーウェアの洗濯と道具の整理。

私はこの日も会社に行き、年賀状の確認とデジタルデータの集計と送信作業などで午前中があっという間に終わりました。

 

1月2日は横浜のホテルを予約しました。

 

 

ハイアットリージェンシー

 

 

義理の父と母、私の家族5人、カミさんの妹夫婦2名の計9名でホテルに宿泊することを昨年から計画していたんです。

 

 

子供も大きくなり家族全員で出かける機会はほとんどなくなりました。

同時に、ジジババと孫が過ごすこともだんだんと少なくなります。

鶴見でイタリアンレストランを経営している義理の妹夫婦も、仕事が忙しくなかなか会う機会もありません。

それでも毎年正月は家族そろって食事をするように心がけています。

毎年カミさんの実家に集合し全員でご馳走を食べるのが慣わしでしたが、今年は義理の母からの要望で外で全員で過ごしたい!とのことでしたのでホテルに宿泊する計画を立てました。

 

15時にホテルに集合しチェックインを済ませます。

 

 

お正月ということもありロビーは大混雑です。

チェックインに20分もかかってしまいました。

 

 

19時にレストランを予約してあるのでそれまでは各々フリータイムです。

 

我が家5人はそのままみなとみらいへ買い物に行きました。

お正月のみなとみらいはそれはそれは凄い人でして・・・

「初売り」ということもあるのでしょうが、人とすれ違うのも大変で買い物どころではありませんね。

娘とカミさんはそれでもショッピングを楽しんでいましたが、私はこの人混みが耐えられず人気の少ないお店を探しました。

見つけたのは「しまむら楽器店」

ここでピアノをずっと見たり試弾させてもらってました。

昨年購入した私のピアノと同じ型が販売されていましたが、値上げされていて10万円以上も高くなっていまして・・・

いいタイミングで購入したものだ!と誇らしく思えました。

明らかに暇そうにしていた店員さんと、昨今の電子ピアノ事情を話していると気が付いたら30分ほど経っていましたね。

買う気もないのに本当に申し訳ないです。

それでも店員さんが「本当にお詳しいですね!私も勉強になります!」なんて言われると調子になりたくもなるものです。

 

娘とカミさんの買い物はまだ終わる気配がないので、私と長男と末っ子はひとまずホテルに戻ることにしました。

すると末っ子が「俺はジムに行ってくる!」と言い出します。

どうやらホテル内にあるジムで汗を流したかったようです。

前日にスノーボードであれだけ身体を動かしたのにまだ動き足りないのか?

気になってこっそり見に行きましたがかなりガチでウェイトトレーニングに励んでいました。

本当にストイックです。

 

 

夕飯までまだ1時間以上あるので私は1階にあるラウンジで過ごしました。

 

 

すると長男も合流です。

 

 

2人で6杯ほど飲んだら結構いい金額を取られましたね。

流石高級ホテルです。

 

夕食は中華街へ!

 

 

家族9名で中華街にある「大珍楼」さんで中華のコースをいただきました。

 

 

お正月の2日に9名が入れるレストランがなかなか無くて色々と探しました。

ホテル内にイタリアンのレストランがあったのですが、イタリアンレストランを経営している義理の妹夫婦には申し訳ない気もしまして・・・

お目当てのところはどこも正月早々空いていなくて、結局このお店となったわけです。

 

 

お正月の特別コースをいただきましたが・・・

 

 

ま~こんなもんでしょうね!

 

でも家族全員で沢山の写真を撮れました。

9名での記念撮影なんて冠婚葬祭でないとなかなかできないと思うので、写真館で撮影したと思えばコース料理も安いものでしょう。

 

21時を回ったところで全員でホテルに戻ります。

すると今度は娘と末っ子が「食後の運動」ということで再びジムへ向かいました。

 

 

「食べたら動く!動いたら食べる!」

アスリートの鉄則なのでしょうか?

2時間近く汗を流していました。

 

私は部屋でまったりです。

 

 

高級ホテルなのに結局コンビニの酒とつまみでダラダラと過ごします。

非日常を味わいに来ているのでしょうが、私にはそんなことは関係ありませんね。

 

翌朝はホテル内で朝食をいただきました。

すごくオシャレな朝食ビュッフェだったのですが、普段から朝ご飯を食べる習慣のない私はどれを見ても魅力的には感じられません。

結局納豆ごはんとソーセージくらいしか食べられませんでした。

私をよそに、他のメンバーは「元取らなければ!」というくらいの勢いでテーブル一杯に食材を広げていました。

 

こうして高級ホテルでのひと時はあっという間に終わりました。

それでも家族全員で過ごせた貴重な機会に義理の母も満足してくれたようです。

 

チェックアウト後は国道1号線へ向かいます。

 

 

箱根駅伝の「復路」を沿道で見るためです。

 

 

昨年も同じ場所で見ましたが、今年は昨年の倍以上の人出で驚きました。

アフターコロナとはまさにこのことでしょう。

 

 

長男の母校である「青山学院大学」、長女の通う「日本体育大学」、義理父の母校である「早稲田大学」・・・

それぞれが母校の誇りを胸に応援を楽しんだようです。

(ちなみに私とカミさんの母校は箱根駅伝とは無縁の学校です)

 

13時には家に帰ってきました。

連日出かけていたので家族全員3時間ほど爆睡です。

流石の私も横になってしまいました。

 

夕食は年末に従業員に配った高級肉を開封

私もちゃっかりいただいていまして・・・

 

 

美味しく食べられました。

 

 

これにて我が家のお正月は終了です。

長男も川崎の部屋へ帰りましたし、長女も翌日からはバイトがあります。

私も翌日からの自分のお店の「初売り」に備えて準備をしなければいけません。

各々がまた忙しい生活に戻ることになります。

それでも久しぶりの家族全員大集合は本当に貴重な時間でもありました。

来年もみんなが元気で楽しく過ごせるように色々と企画しようと思います。

 

大晦日と元日

2023年は12月30日まで仕事でした。

大きなトラブルもなく無事に年内の営業を終えられてホッとしています。

それでもやり残した仕事が山ほどあります。

毎年ですが、12月31日の大晦日は会社に籠ることが多いですね。

 

今年もまずはこちらの作業を9時から開始!

年賀状の作成です。

 

 

事前に印刷業者さんに頼んであった80枚ほどの年賀状に手書きで住所と一言コメントを書き添えていきます。

今年は女性スタッフに住所と宛名を事前に書いてもらっていたので楽ちんでした。

11時頃からは経理を!

12月決算の為色々な確認作業をしておかないと後で困ります。

経費もこの日までは使えるので、購入し忘れたものや計上していないものが無いかを細かくチェックして14時には今年の業務を終えました。

 

その後家に帰ると長男がいました。

正月の期間だけ家で過ごすことになり、本当に久しぶりの家族5人集合です。

そこで、全員でお風呂に行くとこにしたのですが・・・

末っ子は「俺はいかない!」と断固拒否です。

ある日を境に銭湯や大衆浴場に行くのを嫌がるようになりまして・・・

私がスーパー銭湯で深夜のバイトをしていた時は、もらったタダ券で毎週のように一緒にお風呂に入りに行っていたのに、一体何が嫌なのでしょうか?

理由は誰にもわかりませんね。

気を取り直して4人で「万葉の湯」へ!!

 

 

サウナ・露天風呂を満喫したらやっぱり「酒」でしょう!

 

 

帰りはカミさんの運転なので調子に乗って3杯もいただいちゃいました。

 

家に帰ってからは夕飯の準備です。

 

 

晦日ですから私は奮発して普段買えないような高級なお肉ですき焼きをしました。

 

 

高級な日本酒とお刺身も長男と堪能し大満足です。

 

 

紅白歌合戦を見て、日付が変わる頃に近くの神社に初詣に行きました。

昔は家族全員で行ったものですが、毎年「疲れたからもう寝る~」と脱落者が続出しておりまして・・・

今年は元気いっぱいの娘と2人で行ってきました。

 

 

1時頃、自宅に戻り就寝です。

家族全員が一つ屋根の下で寝ている当たり前の生活が、長男が家を出たことで当たり前ではなくなりました。

たった1年でこんなにも変わるなんて・・・

不思議ですね。

ちなみに長男は私の部屋で(もともとは長男の部屋でしたが・・・)私はこの日ばかりは寝床を失い、リビングで就寝です。

リビングで寝るのは本当に久しぶりでした。

 

翌日は5時起床!!

6時自宅を出発し長野県を目指します。

 

 

初日の出は中央高速道路で運転中に見ました。

我が家の毎年恒例行事「元旦初すべり」です。

 

 

子供が幼い頃は毎年必ず元旦はスキーに連れて行ってました。

年末まで仕事ですし、元旦くらいしか出かけられないのが商売人の辛い定め。

晦日や元旦に働いている人も多くいるので私はまだ恵まれている方でしょう。

 

末っ子が5歳くらいから10年以上元旦はスキーに行くのが我が家の恒例行事でした。

 

 

しかし、子供も大きくなりここ数年はその恒例行事も行えなくなりまして、自前のスキー道具は物置に入れっぱなしになっていましたね。

それでも2024年は全員が揃ってスキーに出掛けられます。

出不精な末っ子も「スノーボードをやってみたい!」とやる気満々でスキー場へ向かいました。

 

 

富士見パノラマリゾート

 

 

今年は雪が少なく完全に人工雪での営業でしたが文句は言いません。

幼少期からスキーをきちんと教えているので子供達もカミさんも問題なく滑ります。

しかし!今回末っ子は初めてのスノーボードです。

 



 

実は私も長野県出身の父にスキーを教わりました。

4歳くらいからかなりスパルタで教わりまして、スキー検定も取らされました。

そんな私はスキー以外のウィンタースポーツに全く興味がありません。

しかし、高校生になると友人達は皆スノーボードを始めます。

一緒にスキー場に出かけると少し気まずい感じになっていました。

なぜなら、当時スノーボードとスキーが一緒に楽しめるゲレンデが少なかったからです。

まだスノーボードが普及して久しい時期です。

安全面の観点からスノボ専用ゲレンデ・スキー専用ゲレンデと分けられるところが多かったと記憶しています。

そんな状況で20歳の時、1度だけスノーボードに挑戦をしました。

スキーが出来るんだからスノボも余裕でしょう!と完全になめていたんです。

ところが実際に滑ってみるとその難しさに驚きました。

転倒しまくりゲレンデを転げ落ちるように滑るしかありません。

しまいには顔面を強打して鼻血が出る始末・・・

スキーではどんなに転んでも顔面を強打することなんてまずありません。

基本的には後ろ方向に転ぶので首から上を怪我することなんてあまりないんです。

しかしスノーボードはお尻、背中、腕、顔面と全てが雪に叩きつけられます。

2時間ほど体験してすぐに嫌になりました。

これが最初で最後のスノーボード体験でもあります。

 

 

末っ子がレンタルのスノーボードを借りて滑り出した時、正直不安でした。

あの時の私のように怪我をするのではないかと・・・

教えることが出来ないのでとりあえず見よう見まねでやらせてみました。

すると!!

持ち前の運動神経でなんとなく滑りこなしているではありませんか!!

これには本当に驚きました。

同時に「俺は運動神経がたいしたことなかったんだな・・・」と実感して情けない気分にもなりましたね。

 

 

家族全員で午前中滑りましたが、ここでカミさんと長男がリタイアです。

日頃の運動不足とブランクが一気に体にダメージを与えたんでしょうね。

2人ともすっかり疲れ果ててしまい、食堂でまったりしてしまいました。

 

こうなると元気いっぱいの長女と末っ子に付き合わされるのは私です。

「もっと滑ろうよ!早く早く!」と何本も滑らされました。

 

 

体力には自信はありますが、私も久しぶりのスキーでしたので足がパンパンに張り始めます。

それでも長年のキャリアで何とか滑っていたのですが!!

途中でスノーボーダーに突っ込まれてしまいます。

後ろから「きゃ~危ない~」と声が聞こえたので振り向いた瞬間!

右後方からすごい勢いでスノーボーダーが突っ込んできました。

私は右足を持っていかれたので、左足だけで10メートルくらい態勢を立て直そうと滑りましたが、バランスを崩し右手をつきました。

その時変な態勢になったんでしょう。

右ひじと右の腰に猛烈な痛みを感じたんです。

転倒したスノーボーダーはものすごい勢いで下へ転がり落ちていきます。

急斜面だったこともありコントロールできなかったんでしょう。

心配になりスノーボーダーの近くまで行き、脱げた帽子を渡して起き上がらせてあげたんですが、「痛って~ マジかよ~」という言葉を聞いてちょっとイラっとしましたね。

謝る気配もなかったので「気を付けてね!」と嫌味を言って私は下りましたが、痛みはどんどん強くなります。

下で待っていた娘に「まだ行けるっしょ!行くよ!」と言われて頑張りましたが、あまりの痛さに15時半にリタイアしました。

幸い大きな怪我ではなかったのですが完全な「打撲」でしたね。

「もう帰るの~つまらない!」とわがままを言う娘を説得して元旦スキーは無事終了です。

 

 

レンタル道具の返却をしている時でした!

緊急地震速報が流れ、みんなの携帯電話が激しく音を出します!

すると数秒後に強い揺れが始まりました。

能登半島地震」です。

長野にいたので震度4くらいの揺れは感じました。

TVにはものすごい勢いで揺れる家、倒壊して煙を上げる建物、津波警報、大声で叫ぶアナウンサーが映し出されています。

3/11を思い出すようでもありました。

幸い何の影響もなかったのですが、帰りのことがどうしても心配になりまして・・・

高速道路が通行止めにでもなったら帰れません。

でもすぐに動くと余震も心配です。

そこでしばらくこの付近に留まって落ち着いてから帰ることにしました。

 

車を20分ほど走らせて諏訪湖に向かいました。

スキーで疲れた身体を温泉で癒そうと思ったんです。

その時ある記憶がふと蘇ってきました。

小学2年生の時、父親に連れて行ってもらった温泉のことを!!

 

 

片倉館という温泉で「千人風呂」が有名な老舗です。

湯舟が深くで立って入浴するスタイルの面白い温泉なのですが、当時足がつかなくて入るのに命がけだった記憶が残っています。

その場所に40年ぶりに行ってみたのですが・・・

 

 

元旦は営業時間が短かったようで終わっていました。

 

仕方がないのでそのまま家に帰ること。

地震が心配でラジオを聞きながら高速道路を走りました。

日が暮れて被害の全容が分からない分、心配と不安が募るドライブでもありました。

 

10時過ぎに地元に戻ってきたのですが晩御飯を食べ損ねています。

元旦に開いているお店がなかなか無く、困っていると見つけました。

味の民芸

年越しそばを食べていなかったのでちょうど良いお店です。

家族全員での外食も数年ぶりでしたね。

 

家についたのは11時30分!

本当に疲れました。

手と腰の痛みも残っています。

家族は皆無言での就寝となりました。

 

私は地震のニュースが気になって結局深夜までTVを見ていました。

元旦に地震なんて神様のいたずらにしては過ぎます。

被害に遭われた方々のことを考えるとなかなか寝付けなかったです。

さらに!

北陸方面には私の知り合いが何人か帰省していたんです。

安否を確認したくても遅い時間にLINEをするのも迷惑でしょうし、大変な時にいちいち返信するのも難しいでしょう。

その方々の安否を気にしながら眠りにつきました。

 

繁忙期を終えて

1年の中で最も稼ぎ時の12月。

この業界はとにかく12月が繁忙期です。

売上は通常月の3倍!

ひっきりなしにお客様が来店をし電話もなりっぱなしの状態が1ヶ月続きます。

そこに向けて準備はしっかりと行いますが、それでも想定外のことが起きたり予期せぬトラブルに見舞われることもあります。

 

繁忙期」の意味とは?時期と反対語「閑散期」についても解説 ...

 

昨年は従業員の退職もあり5名で繁忙期を迎えました。

私にのしかかる負担は過去例を見ないほどでして、実に540時間もの労働をこなさなければいけませんでした。

何とか乗り切りましたが、精神的な疲労とストレスが半端ではなかったですね。

努力と根性で何とかなるのは若い時だけなのかもしれません。

 

今年はスタッフが昨年よりも2名増えたことでだいぶ楽をさせてもらえました。

昨年は断っていた忘年会もフルで参加出来ましたし、家でゆっくり寝る時間も取れました。

昨年同棲を始めた部屋のピアノにも触れる時間がきちんと取れて「今は繁忙期なのか?」と思うほどリラックスして仕事が出来ました。

もう一つの要因は「暖冬」だったことでしょう。

正直主力商品の売り上げが15%近く落ちてしまい、冬に見込んでいた売り上げもだいぶ落としてしまいましたね。

結果的に12月1ヶ月の労働時間は426時間でした。

(それでも働き過ぎだよ~って言われますけど・・・)

 

それでも売り上げは目標に届かなかったものの、利益ベースでは前年比で10%以上確保できたので結果は出せました。

更に!!

同じチェーンでの年間売り上げは県内23店舗中1位!!

これで3年連続の首位を取れました。

ここまで来るのに本当に時間がかかりましたが、少しづつ成長できていることを実感できた1年でもありましたね。

 

人気NO.1」「売上1位」「満足度100%!」表記は許される ...

 

私の経営モットーとして「利益は従業員とお客様、そして株主にきちんと還元する!」というのがあります。

特に従業員には過去最高水準の「賞与」を出すことが出来ましたし、それとは別に年末に必ずご褒美をプレゼントしているのですが、今年は商品券10万円分と高級お肉3キロを7名の従業員全員に渡せました。(総額100万円)

皆が喜んでくれる姿を見るだけで自分も嬉しくなるものです。

 

 

お客様への還元は年明けからきちんと行います!

また、株主への配当も例年よりも多くするつもりです。

前社長である義理の父からは「気分良くなって大盤振る舞いしすぎではないか?」と嫌味を言われましたが、過去に従業員の退職により大変な思いをした経験からやはり1日でも長く気持ちよくこの会社で働いてもらいたい!という思いが強いんです。

また、風が吹けば飛ぶような零細企業です。

だからこそ「この会社で働いて良かった!大手にはない魅力がある!」そう思ってもらいたいんです。

従業員の家族にも安心してもらいたいですしね。

 

おかげで結構な額を散財したと思います。

年明けの「資金繰り」に不安は残りますが、みんなが来年も頑張ってくれればきっと乗り切れると思いますし、更なる高みを目指すための投資と思えば安いものです。

 

本当にみんな頑張ってくれましたが、誰よりも働き、誰よりも頭を使い、誰よりも愛想笑いを振りまき、誰よりも人付き合いを行ったのは私です。

1番頑張ったのは間違いなくこの私でしょう!

ということで・・・

 

 

自分へのご褒美として野球道具をさらに買い揃えました。

新品の高級バッドを4本と新品のボール80球!

 

 

来シーズンの草野球を楽しむために奮発しました。

これで従業員とチームのメンバー全員でまた楽しく野球が出来そうです。

 

2024年も私たちの挑戦は続きます。

 

僕が僕であるために

尾崎豊のファーストアルバム「十七歳の地図」の最後の曲として収録されている曲が「僕が僕であるために」です。

 

僕が僕であるために-歌詞-尾崎豊-KKBOX

 

この曲を始めて聴いたのは小学6年生だったでしょうか?

父親が買ってきたレコードで初めて尾崎豊を聴き、特に最後のこの曲がとてもお気に入りでした。

当時は意味も分からず聴いていましたが、中学生くらいになるとなんとなく歌詞を理解できるようにもなりまして・・・

その頃になると歌詞よりも「尾崎豊の生きざま」「カリスマ性」「カッコよさ」に惹かれていたのかもしれませんが、とにかく自己啓発的な歌詞と社会や大人に対する反抗心を表現した歌は反抗期真っ盛りの私にはとても刺激的で、毎日爆音で聴いていましたね。

そのうち父親のギターを勝手に引っ張り出してコードをぽろぽろ弾きだすようになったのですが、初めてギターで弾いたのがこの曲でもありました。

 

LP * シュリンク付! 尾崎豊「十七歳の地図」28AH1654 帯付 I ...

 

今でもカラオケでよく歌うのですが、場の空気を読まないで歌うとシラケることもあるので要注意の曲でもあります。

 

そんなこの曲が私の人生において非常に重要な曲となったことは言うまでもありません。

非行に走った中学1年目、そして更生、高校受験での成功、青春ど真ん中の高校生活、どうしようもなくなってしまった大学1年目、その後更生し立ち直った20歳、氷河期の就職活動、結婚、就職、離職、再就職、増える家族、鬱の罹患、再び立ち直る30代半ば、社長就任、経営者としての苦悩の連続、そして努力し続けた40代前半・・・

様々な場面で色々な心の葛藤がありましたが、どこかで私が自分に言い聞かせていたのがこの「僕が僕であるために」という言葉だったと思います。

 

幼少期から気の弱い人間でした。

身体も小さかったですし病弱でもありました。

どこかで「自分はダメな人間だ!」と思い込み自己肯定感がゼロだったと思います。

それでも自分に対しては常に厳しく、「人に負けても自分には負けたくない!」というつまらないプライドだけは持ち続けていたようで、この性格がこれまでの人生をより複雑にしてきたのも事実でしょう。

 

これまで本当に自分自身を追い込んで生きてきました。

中途半端なことがどこか嫌いで

「とにかく手を抜きたくない!」

「常にダメな自分に勝ちたい!」

「人は人!自分は自分!」

「本当の敵は自分自身!」

と意地を張って今日まで来ました。

 

このくだらない性格のせいで多くの人を傷つけたり、迷惑をかけたこともきちんと理解しています。

同時にそんな自分を評価してくれる人がいたのも事実です。

 

僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで

 

この言葉をまさに鵜呑みにしていたのでしょうね!

 

しかし最近カラオケで歌っていたらある思いがふと芽生えてきました。

 

心すれちがう
悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る
この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に
目を伏せるけど
優しさを口にすれば
人は皆 傷ついてゆく

 

自分自身と闘っているのは実は人を思っているからこそなのではないのか?と・・・

 

僕が僕であるために 歌詞 [31001465] | 完全無料画像検索のプリ画像

 

私は人が大好きです。

自分に関わる全ての人へのリスペクトと感謝を持つようにしていますし、何よりこんな自分と向き合ってくれる人、時間を共有してくれる人、会って話をしてくれる人は本当にありがたい存在です。

だからこそ、そんな方々の為に「常に強く正しい自分でいたい!」

そんな思いが根底にあったのだと思います。

 

中途半端な言動、思い、優しさは時に相手を傷つけます。

結果心が弱い自分はそのことで傷つきます。

思い返せばそんなことの繰り返しでもありました。

 

だからこそ常に自分を追い込み強くあり続けたい!

人を傷つけることで自分を傷つけたくない!

そんな独りよがりが今の私になったのでしょうね。

 

僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて
少し 心許しながら
この冷たい街の風に
歌い続けてる

 

たった1曲がひとりの男の人生を大きく変えたのは事実でしょう。

今置かれている状況への正しい理解!

未だに終わらない自己分析と自己啓発

不安と葛藤と歓喜が激しく交差する毎日!

考え続けても答えは出ないのかもしれませんが、私はこの曲をこれからの歌い続けると同時に、「僕が僕であるために、勝ち続けよう!」とあらためて思うのです。

 

繁忙期で気持ちが参っているのかな?

支離滅裂に書いてしまいました。

寝ます。

 

「BLUE HYDRANGEA」

私が数年前から推しているシンガー「Czuka」がCDをリリースしました。

 

 

アルバムタイトルは「BLUE HYDRANGEA」

 

 

アルバムをリリースする話は少し前から聞いていたのですが、実際に発売されると非常に感慨深いものがありました。

 

2023年は私の生活のどこかに必ず「Czuka」がいました。

1月の大阪でのライブに始まり2月は横須賀でのライブ、5月の馬車道でのライブ(2DAYS)、9月の馬車道でのライブ・・・

とにかく精力的に活動していたので、私も出来るだけ多くのライブに顔を出しました。

多少仕事をセーブした感じもありますが、とにかく必死に「推し活」をした印象です。

そんな2023年の活動を締めくくるのにふさわしいイベント!

Czuka初のCDリリースは12月18日でした。

 

 

リリースの日に合わせてレコ発ライブも行われ、もちろんですが足を運びました。

実はCDが発売される直前に私はCzukaにあるお願いをしていました。

「レコ発ライブの前にCDを聴いてからライブに望みたい!できれば一足先にCDを聴かせて欲しい!」と・・・

どこよりも!そして誰よりも先に聴いておきたい!という私の純粋なわがままだったのですが、Czukaは快く了解をしてくれました。

 

手元に届いたのは数日前です。

私は早速聴きました。

そして感動をしました。

涙しました。

応援してきたアーティストがこうしてCDをリリースして、いつでもどこでも聞けるようにしてくれた!

それだけでも大満足なんです。

私はすぐにお礼の連絡をしようと思いました。

その時!ちょっとだけ閃いたんです。

折角ならこの今の気持ちを文章にして送ろう!

 

CDを聞いた翌日、私は忘年会でした。

20時から11時30分まで忘年会で浴びるようにお酒を飲み、それでも何とかこの気持ちを文章にしたい!という気持ちが強すぎてタクシーで会社に戻りました。

そして一心腐乱にパソコンに向かったわけです。

 

「ライナーノーツ」というものを知っている方は今は少ないかもしれません。

今は見かけなくなりましたが、昔はCDを買うと必ずと言っていいほど歌詞カードと一緒に「ライナーノーツ」が同封されていました。

中学生の時からCDを買い漁るようになり、気が付けば2000枚ほどのCDが私の部屋には所狭しと並んだわけです。

友人からは「プチ蔦屋」と言われていましたね。

そんなCD購入の楽しみの一つに「ライナーノーツ」を読むというのがありました。

「ライナーノーツ」はレコード会社の人間や音楽評論家などがそのアルバムの解説、曲の解説、アーティストとの関係性や制作秘話みたいなものを小さな冊子に書き記したものです。

独特の言い回しであることないこと書いてあるのが妙に心をくすぐるんです。

当時、純粋だった私はその言葉を全て鵜呑みにしてCDを聞いていました。

大学生くらいになるとこの「ライナーノーツ」!!

実は適当でいい加減だということが理解できました。

なかには「おまえ絶対このCD聴きこんでないでしょう!」とツッコミを入れたくなるものもあったりして・・・

でもその文章を読むのが本当に好きだったんです。

そしていつしか「自分も書いてみたい!」なんて思っていましたが、いい歳の大人になりそんなこともすっかり忘れておりました。

CDが送られてきて感想を書こうと思った時、「これってライナーノーツ書いたら面白いかも?」と閃いてしまったんです。

そこで今回は感想というよりも「ライナーノーツ」を書いて送ることにしました。

正直それっぽく書いてみたので私が普段書く文章とは全く違います。

でもこのCDの中に同封されていたら面白いかも?という視点で私はとにかくキーボードを打ち込みました。

それがこちら!

 

「ライナーノーツ」

Czukaというシンガーに出会ったのは3年ほど前である。

シンガー/ボイストレーナーと二刀流で活躍している彼女との出会いは横浜のとあるビルであった。

彼女の話す声を聴いた瞬間、私は今まで感じたことのない高揚感に何故か襲われた。

ごく普通の女性らしい話し声、笑い声・・・ 他の女性と大きく違う特徴があったわけではなかったが、なぜか私の耳には強いインパクトを残したことが出会いのきっかけであったことは間違いがない。

シンガー「Czuka」としての活動を知るきっかけになったのはYouTubeにあげられていた数本のライブ動画だ。

大阪出身の彼女が地元で活動していた時の貴重な映像を今でも見ることができる。

録音状況がけっして良いとは言えない動画ではあるが、彼女の歌声とステージングに私は一瞬で魅了された。

彼女の得意なジャンルはジャズと理解をしているが、動画を観るかぎり、どのジャンルでも歌いこなすことが出来るシンガーの1人であると思っている。

歌の上手い歌手は枚挙にいとまがないが、バックの演奏に合わせた瞬間、その場の雰囲気を一瞬で変えることのできる数少ないシンガーであることは間違いないであろう。

声量が大きく変化するわけでなく、どちらかというと静かにささやきながら歌いあげるスタイルではあるが、圧倒的な安定感とリズム感、そして聴衆に無条件に訴えかける歌声の存在感は簡単な言葉では言い表すことが難しいのかもしれない。

何度かライブに足を運んだが、そのライブはどれも私の耳を納得させるものであった。

また、彼女のライブをサポートしているメンバーの高い演奏力にも脱帽だ。

彼女のキャラクターをいつも引き立ててくれる素晴らしいサポートメンバー。

その演奏に見事に調和したCzukaの歌声とステージングに何度心を動かされたことであろうか。

そんなCzukaがCDをリリースすると聞いたのは夏を過ぎた頃だ。

過去のライブ動画はもちろん、昨年から精力的に行っているライブ活動でのレポートは存在するものの、シンガーCzukaとして公式にCDをリリースするのは今回が初となる。

彼女は今回のリリースにあたりこう言っていた。

「デジタル音楽配信が主流の時代、それでも私はCDという形にこだわりたい!シンガーCzukaとして形あるものを残しておきたいんです」

そんな彼女の想いが詰まったアルバム「BLUE HYDRANGEA」が一足先に私のもとに届いた。

「春と嘘」「Skin」「BLUE HYDRANGEA」の3曲を収録したミニアルバムだ。

作曲は大阪時代から苦楽を共にしてきたシンガーソングライターの「柳野ダイスケ」が至極の3曲を書き下ろし提供している。

また、ピアノ演奏には親交の深い「杉浦潤」が参加。

Czukaを知り尽くした両氏がタッグを組み繊細に作りこまれたアルバムでもある・

曲の解説は後述するとして、シンガーCZUKAとしての今後の活動を下支えするアルバムとなることは間違いない。

ぜひ一人でも多くの人に手に取っていただきたいと心の底から思う素晴らしい作品となっている。

 

解説

 

「春と嘘」

カワイの特徴である乾いたシャープな旋律のイントロが印象的だ。

か弱くもどこか強い芯のある女心を歌った曲であるが、抽象的な歌詞は聞き手の心境や立場でその解釈は大きく変わるのかもしれない。

「月に隠した嘘」という独特な歌詞も聞き手に様々な想像を掻き立たせるのではないか?

多くを経験した大人の女性の心情を歌とピアノが絶妙なバランスで表現している曲となっている。

 

「Skin」

『F・D♯・G♯・F・D♯・C♯』から始まるイントロに一気に心奪われた。

頭では理解していても心がどうしても違う方へ動いてしまう、そんな女心を見事に表現した曲ではないだろうか?イントロから一人の女性が思いにふける情景が目に浮んでくるようである。

曲調は非常にシンプルではあるが実に歌い上げるのが難しい曲という印象だ。

Czukaの歌唱力を最大限に引き出してくれている曲でもあり、柳野ダイスケ氏らしい音と言葉の組み合わせ方にも注目してもらいたい。

 

「BLUE HYDRANGEA」

Czukaが最も得意とするJAZZ調の楽曲である。

杉浦氏の力強いタッチと巧みなペダリングに対して、Czukaの落ち着きのある歌声が絶妙なバランスでこの曲の世界観を作り上げている。

6月生まれのCzukaにとって「BLUE HYDRANGEA(青い紫陽花)」は馴染みのある花なのかもしれない。

今回のアルバムタイトルにふさわしい清涼感のある曲となっている。

「Yes, my life is mine! But right now you own my heart」という最後の歌詞がシンガーCzukaそのものを表現しているような気がした。

 

このアルバムはピアノとボーカルのみの非常にシンプルな録音である。

音を重ね厚みを出すことをあえてせず、鍵盤をはじく音、ペダルの音、ブレス、ビブラートの繊細な音まで聞き取ることが出来る。

まるでライブハウスで聴いているような臨場感も同時に味わうことが出来る作品だ。

リリースは12月であるが、紫陽花の咲く初夏にもう一度聞くとまた違った印象を受けるのかもしれない。

今後のCzukaの活躍を期待しながら何度も再生ボタンを押すことになりそうだ。

 

 

生まれて初めて書いたライナーノーツ!

正直上手く書けた自信はありません。

それでも学生時代から憧れていた作業を行うことが出来た!という満足感だけが残りました。

懐かしい気持ちになるとともに、歳を取ったんだな~と実感する瞬間でもありました。

 

 

翌日のレコ発ライブは想像以上によかったです。

一年の締めくくりにふさわしく、素晴らしい時間を過ごすこともできました。

まだまだ繁忙期は続きますが、もうひと踏ん張り出来そうです。

2024年も「推し活」を頑張ろうとおもいます。

 

忘年会ラッシュ!

2023年11月半ばから12月にかけて過去に例を見ないほどの「忘年会ラッシュ」です。

 

 

コロナが5類に移行したこともあり、今までのうっ憤を晴らすかのようにどなた様も忘年会を至る所で開催しているようです。

 

 

会社の社長・少年野球チームの代表・草野球チームの代表・ソフトバレーボールチームスタッフ・ブロック長・ショップ会役員・振興会メンバー・商工会メンバー・連絡協議会メンバー・政治団体メンバー(勝手に登録された) などなど・・・

とにかく色々なところで幅広く活動をさせていただいている関係でこの12月の忘年会ラッシュは半端ではありません。

1ヶ月ですでに13件の忘年会が行われました。

 

 

それと並行してプライベートで行われる馴染みの方との飲み会も6回!!

 

 

もはや毎日どこかで誰かとお会いしてお酒を飲んでいる感じです。

もちろん仕事は繁忙期の為休めません。

毎日の激務と夜の忘年会!

流石に体がおかしくなりそうですが、何とか頑張っています。

 

 

先日は体力の限界だったのか?

明け方まで飲まされ、何とかタクシー乗り場まで来たもののタクシーが全く来ず・・・

気が付いたら2時間タクシー乗り場のベンチで大の字で寝落ちしていました。

 

 

起きた時の自分への嫌悪感と飲み過ぎたことへの罪悪感!!

もちろんプロですので、仕事に影響が出ないようにしていますがさすがに無理がたたったみたいですね。

 

今年も残すところあと2週間!

忘年会もあと5回で終わりそうです。

最後までしっかりと務めを果たそうと思います。

 

川﨑で会食(ちょっと変わったメンツで)

今から5年前!

取引先にひとりの若手新入社員が配属となりました。

Mというめちゃくちゃ頭の悪そうな男です!!

取引先である弊社に挨拶に来たのですが、どうみても仕事が出来そうには見えません。

詳しく話を聞くと、出身は東北の岩手県

5人兄弟の3番目で、一番下の妹はまだ当時幼稚園児だったというから驚きです。

小学校はバレーボール・中学校はバレーボールとアイスホッケー・高校ではアイスホッケーに専念し、そのまま北陸の大学へ進学しアイスホッケーを続けたそうです。

運動神経がとにかく万能で、スポーツしかしてこなかったというからそりゃ頭が良さそうには見えなかったわけです。

ちなみに高校時代の同級生はスキージャンプでメダリストの小林陵侑だそうで、いまだに連絡を取り合える仲なんだとか・・・

そんな彼の歓迎会を入社して3か月後に行いました。

その際ちょっとした事件が起きまして・・・

その事件から私とMとの関係は大きく変わりました。

 

 

歓迎会の日、私は取引先の所長と一足先に二人で飲んでいました。

Mを含めた社員たちは残業を終えてから合流する段取りとなっていたわけです。

しかし!Mを含めた社員たちは残業もそこそこに近くの居酒屋で軽く一杯始めていました。

所長が「そろそろ合流させますね!」といって電話をかけると明らかに様子がおかしかったみたいです。

「今から社長と合流するからいつものカラオケBOXを予約して部屋を確保しておいてくれ!」と所長が指示を出し、私たちは連絡が来るのを待っていました。

しかし、一向に連絡が来ません。

仕方がないので私と所長はカラオケBOXへ向かいました。

案の定!そこには誰もおらず・・・

私は「仕方がないですよ!若い人同士で盛り上がっているんじゃないですか?先に部屋で待っていましょうよ!」と言いカラオケBOXで先に待つことにしました。

しばらくすると所長が機嫌の悪そうな声で再び電話をかけました。

「一体何をやっているんだ!社長を待たせてるんだぞ!いい加減早く来い!」

所長は私に「すみません!本当にすみません」と何度も謝ってきましたが、私は特に気にすることも無くハイボールを飲んでいましたね。

すると所長からこんな提案がありました。

「社長!このままあいつら来て社長が笑顔で迎えてしまったら私は立場上困ります!教育の意味も含めて説教してあげてください!芝居でもいいので!!」

そこで私は閃きました!

「これってモニタリングっていう番組かドッキリのTVみたいに面白くできるんじゃないか?」

所長と簡単な小芝居の打ち合わせをして彼らを待つことにしました。

 

 

10分後Mを含めた4人の社員が部屋に入ってきました。

「お疲れ様で~す!」と!!!

その時私はソファーに横になり所長は私の前で土下座していました。

その姿を見た社員たちの顔色は一気に変わります。

所長も演技が上手く「社長のお怒りもごもっともです!この度は本当に申し訳ございません!さーお前らも頭を下げなさい!」と泣きそうな声でセリフを言います。

私は「おい!お前ら!所長にこんなことさせていいんか?お前らが歓迎会やりたい!社長にも同席して欲しい!と言うからわざわざ時間を割いて来ているんだぞ!こんな屈辱的な扱いを受けたのは初めてだ!もう我慢ならん!」とかなり強い口調で言いました。

当然若手社員たちは直立不動のまま、私と目を合わせることも出来ず、今にも漏らしてしまうのではないか?と思う位ビビっていました。

それもそのはずです!

私がこのような態度をとることはまずありません。

昔さんざん生意気な態度をとって、たくさんの人に嫌な不快な思いをさせてきたのを私は後悔しながら今日まで生きてきました。

そんな私が急にキャラに似合わない態度をとったもんだから誰もが驚くはずでしょう。

自分でも演じているうちに昔の自分を思い出して、恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になっていました。

でもその真っ赤な顔が余計に効果的だったのかもしれません。

一通り演技を終えると30秒くらいでしょうか?カラオケBOXに沈黙が流れ、緊張感はMAXとなりました。

ここで所長が「社長!もういいでしょうか?」とネタバラシの合図を送ったので私はカラオケのマイクをMに1本渡し「本日は素敵な歓迎会にお誘いいただきありがとうございました~皆さん今夜は盛り上がっていきますよ~みんなでどんちゃん騒ぎだ~」とマイクで叫びました。

次の瞬間!!

Mは膝から地面に崩れ落ち床に座り込んでしまいました。

他の社員も胸に手を当て「いや~本当に人生終わったかと思いましたよ~」と涙を浮かべて安堵の表情を見せていましたね。

ドッキリ大成功です!!

 

その後Mを抱きかかえ私はとなりの席に座らせました。

「ごめんね驚かせちゃって!今日は君の歓迎会だから一番楽しんでくれな!」と声をかけカラオケ大会は無事スタートしたわけです。

 

 

ここまではよくある笑い話でしょう。

しかし!この後大変な事件が起きるんです。

Mはゴリゴリの体育会系です。

私と同じペースでお酒を飲み、さらに場を盛り上げようと一気飲みやらダンスやら

合いの手やら・・・

とにかく「こいつ大丈夫か?」というくらい飲んでいました。

私はその様子が心配になり「もうやめておけ!お前はウーロン茶にしろ!」とアドバイスをしたのですが「社長と同じもの飲ませていただきますよ!」と、いうことを聞きません。

お酒の比較的強い私と同じペースで若い子が飲めるはずはありません。

案の定Mは途中でトイレに行ったきり帰ってきませんでした。

心配になった私はトイレにMを見に行きましたが、扉の向こうからの反応がありません。

私は扉をよじ登り中の様子を伺いました。すると・・・

そこには便器に顔をうずめたMの姿がありました。

呼吸はしていましたが食べたもの、飲んだものを全て便器にぶちまけています。

扉を開け彼を介抱しなければと必死でしたが、段々と意識が遠のいていくようでもありました。

その後容体はどんどん悪くなり、とうとう吐血が始まりました。

「これはまずい!」と思い救急車を呼びました。

お店にこれ以上迷惑をかけることが出来ないので、全員で彼を担いでお店の外へ連れて行き救急車の到着を待ちます。

吐血はさらにひどくなりまさに緊急事態です。

10分後に救急車が到着しそのまま緊急搬送となりました。

幸い車で15分ほどの地元の病院が受け入れてくれたので私たちはタクシーで病院へ向かうことに・・・

病院に着くとすぐに緊急処置が始まりました。

「急性アルコール中毒

私も若い時に経験があります。

病院に運ばれるまでには至りませんでしたがその時の記憶は未だにありません。

深夜3時の病院の待合室で彼の容態を心配しながら待っていたあの時間は本当に心が痛みました。

私の軽率な行動が彼をこんなに苦しめてしまうなんて・・・

万が一Mにもしものことがあったら私はどうしたらいいのか?

彼の両親になんとお詫びすればよいのか?

色々と考えているうちに手が震えてきたのを覚えています。

 

しばらくすると先生から「もう大丈夫だと思います。血圧も戻りましたし脱水症状も収まりました。明日まで緊急入院させますがすぐに良くなると思います。どうぞお帰りください」と言われ、今度は私が膝から崩れ落ちました。

緊張の糸が一気に切れるとはまさにこのことかもしれません。

次の日、Mは無事に退院し翌日から通常業務をこなしていました。

これが私とMとの最初の出会いです。

 

 

運動神経抜群のMは私の草野球チーム「ワンコイン野球」のメンバーにもなりました。

野球経験が全く無いのに見様見真似で出来てしまうM!

コロナ禍では私の所属しているソフトバレーボールチームの準メンバーにもなりました。

バレーで中学生の時、全国大会に出ているMの凄さにチームメイトは皆驚いていましたね。

私の子供ともバレーをする機会もあり、気づけばもはや身内のような存在に!

 

そんなMは仕事上で数々のトラブルを起こしました。

交通事故・発注漏れ・取引先への無礼・上司の指示無視などなど・・・

数えたらきりがないほどです。

そのたびに一緒に飲みながら励まし指導してあげたのですが、ある日彼の心がポキッと折れてしまいます。

軽い鬱状態になり、いつものMではなくなってしまいました。

結局彼は退職する決断をします。

送別会は行われないまま彼は一度私たちの前から姿を消しました。

 

Mから連絡があったのは退職してから1年後でした。

大学時代の友人の紹介で大手の不動産販売の会社に就職をしていました。

全くの異業種!完全実力主義!営業力と行動力がモノをいう仕事!完全歩合制!

Mはとんでもない場所で働いていたんです。

そんな大変な仕事で悩んでいたのでしょう。

私に相談したいとの連絡があり一緒に飲みました。

それでも久しぶりに会ったMはとても活き活きしていて、まるで別人のようでもありました。

気分転換にソフトバレーチームにも再び顔を出すようになり、ますます私と子供達との関係も深まっていきます。

そんなMは実力をメキメキと発揮しだします。

家をバンバン販売し、25歳にして年収が1000万を超えるまでになりました。

私が従業員の退職で困っている時は「社長の為なら何でもします!」と言ってくれて手伝いにも来てくれました。

そして昨年の3月には長男の部屋を見つけてきてくれて、本当に頼もしい存在になってくれたんです。

 

そんなMは今年も手伝いに来てくれています。

スタッフの手は足りているのですが、仕事の後の私との呑みを楽しみにしてくれているようでもありました。

そんなMが数か月前にひとりの女性を紹介してきました。

学生時代に知り合った子と付き合うことになったようです。

「社長にはきちんと報告と紹介をしておきたいんで!」と言われた時には本当に嬉しかったですね。

その後Mはその子との結婚を決意します。

本当に嬉しくて涙が出そうになりました。

「じゃ~お祝いしよう!来週ね!」と言って今回の会食となったわけです。

 

 

会食の場所は川崎でした。

Mと長男が住む街です。

私は仕事を終え川﨑へ向かいました。

Mが予約をしてくれていた焼肉店で待ち合わせです。

この日は私とM、そして婚約者と長男という異色の組み合わせでもありました。

 

 

「好きなものを好きなだけ頼みなさい!」と言うと、各々遠慮なく頼み始めます。

美味しい焼肉にお酒も進み、話も盛り上がるものです。

 

 

結局3時間ほど会食をして解散をしました。

長男が「帰るの?」と聞いてきたので「なわけないでしょう!お前の部屋に泊めてくれ!」と言って長男の部屋に転がり込んだわけです。

 

 

長男の部屋に来るのは引っ越しの手伝いをして以来でした。

比較的綺麗にしていて安心もしました。

 

私はコンビニで買った酒をまた飲み始めました。

「明日仕事だから早く寝たいんだけど・・・」

長男がそう言うまで酒を飲み続けるダメ親父です。

 

 

台所を見ると自炊の痕もうかがえました。

 

 

それほど心配はしていませんでしたが、セルフマネジメントは出来ているようでホッとしたものです。

 

翌朝7時半に長男と一緒に部屋を出ました。

そのまま私は副業の為に横浜へ!

結局、各自の持ち場でそれぞれの役目を果たしているわけです。

なんだか子供二人の成長を見守る立派な父親になったような勘違いをしながら家路に着きましたが・・・

家に帰るとカミさんから「なんで勝手に転がり込んでるの?クレームのメール来てたよ!」と怒られました。

やはり立派な父親ではないようです。

 

Mよ!幸せにな!