ワンコイン野球 第2回紅白戦

活動日に誰でも参加費の500円を払えば、きちんと整備されたグラウンドで草野球が出来る!

チーム名も名簿もない野球好きの集まり!

それが私が代表を務めるワンコイン野球です。

おかげさまで私のコンセプトに賛同してくださる方々がさらに増えまして、一応グループLINEだけは存在するのですが、30名以上の方々が登録していただいております。

6月に初めての紅白戦を行い非常に盛り上がりました。

そこで今回は第2回紅白戦を開催したんです。

 

 

場所はいつも利用しているグラウンドです。

非常に綺麗で常に整備されている素敵な場所!

両翼は97メートルあり、センターまでは122メートル!

硬式野球も行える立派なグラウンドです。

 

 

3週間前に第2回紅白戦の予定をメンバーに知らせました。

お盆休みの真っ最中ですし、参加者が続々と集まるかな~と思ったのですが・・・

3日前になってもメンバーがなかなか集まりません。

それもそのはず!

会社内や家族がコロナにかかった方が多く、皆さん自粛せざるを得なかったんです。

これだけ爆発的に増えてしまっていては仕方がないことでしょう。

幸いメンバーの中に感染者はいませんでしたが、みな参加を遠慮していたようです。

それでもせっかく計画した紅白戦。

何とか開催したくて、色々な方々に声を掛けてみました。

コロナの事もあるので無理のない範囲で!

すると2日前になって17名ほどの参加者が集まりました。

タイミングよく濃厚接触者の自粛期間が明ける方ばかりでしたね。

あと1~2人でメンバーが揃います。

少年野球チームの監督やコーチ、末っ子の同級生にも声を掛けました。

すると最終的には25名もの人が集まったんです。

みなさん本当に協力的で嬉しいかぎりです。

 

今回は実力が拮抗するよう経験者と初心者を上手く分けてチーム編成をしました。

そしていよいよ紅白戦の開始です!

 

 

私はこの日Aチームの1番バッターとして先発出場しました。

そして第一打席!

いきなり左中間へのツーベースヒットで出塁します。

その後打線が繋がり3点を先制します。

その裏、Bチームの猛攻が始まります。

エラーも絡み4点を返されました。

2回の攻撃!

ここでも普段はあまり打てない素人が大活躍で1点を返し同点となります。

その裏の攻撃は好プレーもあり無失点。

Aチームが試合のリズムを作り始めました。

 

3回の第2打席!

ツーアウト1・2塁の場面で打席が回ってきます。

相手ピッチャーの2球目の高めのストレートを私は振りぬきました。

すると打球は右中間へ!

イムリーツーベースヒットです。

第3打席はサードゴロでしたが、第4打席!

またもツーアウト1・2塁で打席が回ってきました。

ここで打てば猛打賞です。

3球目のストレートでした。

私はこの日一番のフルスイングをしました。

すると!

打球はレフトの頭上を越えるタイムリスリーベースヒット!

レフトを末っ子が守っていたので非常に気持ちよかったです。

結局試合は15対4でAチームの勝利でした。

前回の紅白戦では私のチームは18対0で完敗でしたので今回はリベンジでしたね。

 

 

この日先日の横浜スターナイトでかき集めたユニフォームをメンバーに配りました。

全員でおそろいのユニフォームを着て活動するのはこれが初めてです。

同じユニフォームなので敵なのか?味方なのか?わかりにくかったですが・・・

 

 

最後は集合写真を撮って無事終了となりました。

 

 

毎回こうして試合を行うごとにチームの雰囲気も良くなってきています。

全く接点がない人同士も徐々に打ち解け合い、仲良くなってくれています。

なんだかそれも嬉しくて・・・

コロナで人との繋がりが制限されるなか、こうして多くの方と気持ちよく繋がれることに感謝しかありません。

今後も張り切って活動していこうと思います。

 

偶然と必然

この世で起こる全ての出来事は「偶然」と「必然」に分けることが出来ると思います。

例えば・・・

宝くじが高額当選するのは「偶然」でしょう。

素敵な友人やパートナーに巡り合うのも「偶然」でしょう。

ある日突然大きな事故や災害に見舞われるのも「偶然」でしょう。

逆に!

日々不摂生な生活をして病気になるのは「必然」でしょう。

勉強はもちろん、努力を怠っていればまともな仕事に就けないのも「必然」でしょう。

自分を磨かず、性格が悪ければ素敵な友人やパートナーに出会えないのも「必然」でしょう。

 

このように2つの分けることが出来るのですが、身の回りで起こるほとんどの事は「必然」なんだと思います。

「偶然」何かが起こることなんてそんなに多くありません。

 

日々起こる出来事の多くは自分が原因で起きていたりするものです。

嫌な事もいいことも、自分が何かアクションを起こしたことで、もしくは何にも

しなかったが故に起きているはずなんです。

そんな事をすごく考えさせられる出来事がここ1週間ほど続いています。

 

 

先日、それなりの規模で大儲けしている社長さんと出会いました。

コロナ禍で皆さんが苦しんでいるなか、その社長さんの事業は逆に業績を伸ばしていて、3年間で売り上げが15倍にもなったそうです。

全く違う業界ですし、なんら接点などありません。

しかし、たまたま私が書いたレポート(企業向け冊子への投稿)を目にしたようで、編集の方を通じで連絡が来ました。

せっかくなので食事をすることにしたのですが、非常に勤勉な社長さんであまり外食や飲み会を行わないそうです。

その日私は自分がよく行く個室のお店を選びました。

その社長さんはお店と料理をすごく気に入ってくれて上機嫌です。

2件目には私がよく行くスナックへ行きたい!と言うので連れて行きました。

生まれて初めてスナックに来たようで、ここでも非常に楽しそうでした。

その3日後、連絡があり社長さんの会社に呼ばれました。

応接室に案内されるとすごくたくさんの本が並んでいたんです。

「本がお好きなんですか?」と聞くと、「1年で100冊は読みます」なんておっしゃっていました。

そしてこんな話をしてくれました。

「あなたが書いたレポートに私の大好きな作家さんの物語の一節が引用されていたんです。それを見て非常に嬉しくなりまして・・・こちらからコンタクトを取ってしまいました」と!

適当に1時間ほどで書いたレポートだっただけに非常に恥ずかしくなったのですが、私もその作家さんが好きなのでとても嬉しく思いましたね。

すると「実は今度弊社で新たな事業を展開したいんですけど、その為に必要な会社や人材を紹介いただけませんか?」と言われました。

私の業界とは縁もゆかりもない社長さんの会社!

しかし、新規事業は私の仕事に少しだけですが、間接的に関わるようなものだったんです。

「もちろん協力はします。でも出資とか金銭面でのお手伝いはしかねます。」と言った瞬間、その社長さんは大笑いをしました。

「そんな大げさな話じゃないから安心してください!あなたに私は背中を押してもらいたかっただけなんですよ!」と笑顔で話すので本当に面白い方だと思いました。

結果的に私の取引先や経営者仲間を数人紹介して終わりました。

新規事業が軌道にのるまで1~2年はかかるそうですが、楽しみでもあります。

この出来事は「偶然」でしょうか?

何度も自問自答しましたがただの「偶然」には思えなかったんです。

私が日頃から人付き合いをしていなければこの社長さんと出会うことはなかったでしょう。

小遣い稼ぎにレポートなんて書いてなければ興味も持ってくれなかったでしょう。

私が読書をする人間でなければ、私が飲み歩く人間でなければ、そもそも私が社長でなければ・・・

そう考えると「必然」としか思えないんです。

思い返せば今までもそんな出会いに多く恵まれてきました。

きっかけは「偶然」なのかもしれませんが、そこから深くお付き合いが始まるのは「必然」なんだとあらためて思うような出来事でした。

 

逆に「偶然」すぎてビックリすることもありました。

尊敬する方と食事をしたんです。

本当に興味本位であまり深く考えず検索をし、電話をかけただけです。

その場所でいまでも尊敬する素敵な方と、何の「必然」もなく出会いました。

その後お互いに連絡を取り合い、念願の食事に行けることに!

「こんな事ってある?」って何度も頬を抓るような思いでした。

「偶然」の出会いがこんなことになるなんて夢にも思っていなくて、今でも「あれは夢だったんじゃないのか?」と思うくらい素敵な時間でした。

 

昨日、最近家に帰っていなかったので、久しぶりにカミさんに会いました。

そしてちょっとだけ考えてみました。

カミさんとの出会いは「偶然」だったと思いますが、その後の22年の結婚生活は「必然」だらけではありませんか?

「あんたがこうしないからこうなる!」「おまえが余計な事をしたからこんなことに!」「お互いがいい加減だから子供が!」なんて会話をずいぶんとしてきました。

こうして考えると非常に面白いものですね。

 

でもやはり「偶然」何かが起こる方が人生は楽しいはずです。

そんなにいいことばかりじゃないと思いますが、真面目に地道に生きていればまた素敵な「偶然」に出会えるような気もしています。

明日からまた頑張ります。

 

今年一番ドキドキした時間

この世に生を受けて44年!

学生時代はヤンチャをしていたのでそれなりに女の子とは遊んできました。

でもそこには恋愛感情なんてものはなく、ただ刹那の快楽とその場のノリだけで遊んでいただけでしょう。

肝心の恋愛は連戦連敗・・・

自分が好意をもった相手には昔から全く相手にされない人間です。

何とかお付き合いに持ち込めても、この偏屈な性格が露呈しあっさりふられるばかりでした。

カミさんと出会えたことで連敗記録に終止符を打つことが出来ましたが、ま~昔から女性には全く縁がない人間です。

そんな自分が素敵な女性とお食事をご一緒させていただくことが出来るなんて・・・

人生どこで何が起こるかわからないものです。

 

 

お相手はトップシークレットですが昨年出会った本当に素敵な方です。

綺麗ですし何よりも話していて本当に面白く頭のいい方!

自分みたいな人間がこんな素敵な女性に出会う確率なんて天文学的数字でしょう。

別に男女の関係などありません。

私が一方的に憧れを抱いているだけの方なんですが、今年勇気を振り絞ってお食事に誘いました。

私が女性を食事に誘うのは実に24年ぶりかもしれません。

 

その方のお仕事を終えた後、私が良く行くお店にご案内をしました。

全席個室なので色々と便利なお店でもあります。

 

席に着くなり私の心臓はバクバク&ドキドキ!

それを悟られないように一生懸命取り繕ってみましたが、完全に目が泳いでいたと思います(笑)

お互いの近況報告、生い立ち、現在抱えている悩みなどを2時間ほどお話をさせていただきました。

 

スナックやキャバクラで女性と話をさせていただく機会はよくあります。

しかし!

それはあくまでお店内だけのお話です。

完全なプライベートで二人きりで、しかも憧れの女性と食事なんて・・・

私の人生史上最大のイベントだったと思います。

もちろん恋愛感情や下心なんてありません。とんでもないお話です。

大好きな女優さんやアイドルと食事が出来たような感覚でしょうね。

 

家に帰りカミさんの顔を見たら妙にホッとした自分がいたことも事実です。

ちなみにカミさんは私が外で女性と食事をしたと話しても「あっそ!」という感じでしょうか?

だからこの最大のイベントは私の心の中で留めておいて墓場まで持っていくことにしましょう。

このブログの存在すら家族は知らないので・・・

 

生きていりゃいいことがあるものです。

 

少年野球チームのサマーキャンプ

私が代表を務めている少年野球チームのサマーキャンプに行ってきました。

 

 

一昨年は末っ子の引退試合とかぶり不参加。

昨年は集中豪雨によりキャンプ場が被害を受け閉鎖。

実に2年ぶりの参加となりました。

 

 

小学4年生から少年野球チームに入った末っ子は中学1年生まで毎年このサマーキャンプに参加していました。

一番最初に参加した時はカミさんが付き添いましたが翌年からは私が休暇を取り参加をしてきたんです。

が・・・

実は私、普段は草野球や山登り、ランニングなど外での運動を行っていますが、アウトドアが大の苦手なんです。

特に直射日光とテントやバンガローでの宿泊が本当に嫌ですね。

日焼けをすると肌が弱いためすぐに赤くなり、酷い時には水ぶくれの湿疹ができます。

さらに、非常に神経質なのか?鍵のない場所で寝るのが無理です。

誰かが勝手に侵入してくるのではないか?

野生動物が現われるのではないか?

なんて無駄に不安が襲い寝られたもんではありません。

さらに、虫が大の苦手!

こんな人間がキャンプなんて本来は行ってはいけないんですよね。

しかし、今や少年野球チームの代表と言う立場です。

そんなことも言っていられず強制参加となりました。

 

 

場所は道志川にある「青野原オートキャンプ場 野呂ロッジ」

我がチームがもう20年以上お世話になっているお決まりの場所です。

 

8月6日土曜日

この日は早朝野球の試合がありました。

皆勤賞を目指している私はどうしても試合に出たくて、集合時間を1時間ほど遅らせました。

7時45分に試合が終わり、そのままキャンプの道具を野球チームの倉庫に取りに行きます。

監督と二人で積み込み作業を行い、まずは一度帰宅。

10分でシャワーを浴び急いで集合場所へ向かいました。

この時点ですでにヘロヘロでしたね。

 

子供と保護者と合流し目的地へ車で向かいます。

この日の為に荷物が詰めるレンタカーを借りて目的地を目指しました。

キャンプ場に着いたのは12時!

ここからは急いでテントの設営、昼食の準備をします。

子供達はすぐにライフジャケットを着て川遊びを始めます。

全員がライフジャケットをきちんと着られているか?

水難事故が起きないように常に目配りするのも仕事です。

初日は陽射しはそれほど強くなかったのですが、日焼け止めは「これでもか!」ちうくらい塗りまくりましたね。

 

簡単な昼食を取らせたら、そのまま川遊びをさせます。

川に入るなんて本当に嫌なのですが、仕方なく川に入りました。

真夏とは言え非常に涼しい上流です。

水温が低く体温がどんどん奪われます。

そんなことはお構いなしに子供達は大はしゃぎです。

泳ぎに自信のある子もいれば、顔を水につけられない子もいます。

ひとりひとりの様子を観察しながら一緒に川遊びを3時間ほど付き合いました。

 

その後は急いで晩御飯の支度です。

焼きそばとお肉を大量に焼き子供たちに食べさせます。

お行儀よく座って食べる子もいれば、ちょろちょろしてしまう子もいて大変です。

しっかり食べさせたいのに好き嫌いやアレルギーを訴える子もいて本当に面倒でした。

 

その後は川辺で花火大会です。

ここでも花火の取り合い、ルールを無視した行動にイライラは募るばかりでしたね。

そしていよいよ9時の就寝時間。

借りているバンガローで子供達を寝かせるのですが、すぐに寝る子もいれば興奮してなかなか寝ない子もいて本当に大変です。

夜中には体が痒くなる子もいて、患部を冷やしてあげたりタオルで拭いてあげたり・・・

もうやることだらけです。

 

 

子供達が全員寝たのは11時過ぎ・・・

ここからやっと自分の時間が取れました。

持参したお酒を飲みながら食事をしてやっとリラックス出来ましたね。

その後は同行した母達と雑談していたのですが・・・

 

私のチームは障がいがある子や、片親の子が多いんです。

家庭環境が複雑な子が多いため、母達の話もかなり複雑です。

シングルマザーとしての子育ての大変さや元旦那との壮絶な生活の話、これからの事など色々と相談にも乗りました。

話を聞けば聞くほど「自分の家は比較的平和だな~」とあらためて思うばかりです。

 

結局寝たのは深夜の3時でした。

私は毎回必ず車の中で寝ます。

鍵を閉めて寝れば何とか安心感が得られるからです。

それでも苦手なキャンプ場です。

結局浅い眠りにしかならず、30分おきに目が覚めてしまいました。

 

翌朝は6時起床です。

子供達とラジオ体操を行い2キロほどの散歩に出かけます。

きちんと整列して歩けない子供達を早朝から𠮟りつけながら散歩を終えました。

その後は朝食を取らせて、この日も川遊びをさせます。

結局2時間ほど付き合い、ぐったりでした。

昼食を作りながら居眠りしそうにもなりましたね。

 

 

午後からはスイカ割りをしたり、川で魚取りをしたり・・・

思いっきり遊ばせて15時になりました。

ここからが大変です。

出した道具を全て片付け、撤収の準備をしなければいけません。

大人4人でひとつひとつ綺麗にしながらレンタカーに積み込んでいきます。

この間も子供たちに数々のアクシデントが発生!

足をすりむいて泣く子、喧嘩を始める子、どこか遠くへ勝手に行ってしまう子・・・

片づけを中断しては子供達の面倒を見るの繰り返しでした。

 

 

16時やっとキャンプ場を後にしまして18時に解散をしました。

その後は監督と倉庫へ行き荷物をしまいます。

結局全てが終わったのは20時でしたね。

 

家に帰るとカミさんが非常に優しい声で「おかえり~」と言ってくれました。

自分の子供でもない赤の他人の面倒を見るために2日間奔走した私を多少でもかわいそうと思ったのでしょうか?

大量の洗濯ものをカミさんにお願いをして私はすぐにリビングで寝落ちしてしまいましたね。

 

翌朝は6時から仕事です。

2日間も会社を開けたので朝からやることが多くて・・・

 

こんな感じでサマーキャンプは終了しました。

心身ともにヘロヘロになった2日間でしたが、子供達の楽しそうな顔を見たらそれはそれでいいキャンプだったのだと思います。

おそらく来年以降も参加しなければいけません。

いい加減、アウトドアになれなければ・・・

 

横浜スターナイト2022

横浜DeNAベイスターズが毎年行っている夏のイベント「横浜スターナイト」に行ってきました。

2012年!不人気&弱小球団であるベイスターズDeNAに経営権が移行され、DeNAベイスターズとしてスタートした年から行われている人気イベントです。

来場者全員にこの日限定のスペシャルユニフォームが配られ、選手と観客が同じユニフォームを着てスタジアムが青色に染まる特別な日でもあります。

もちろん毎年このイベントには必ず足を運んでおります。

 

思い返せば最初のスターナイトは幼稚園で出会ったパパ友と4人で観戦しました。

当時、他の球団ではすでにユニフォームの配布イベントは行われていましたが、DeNAでは初めての試みで非常に注目度が高かったですね。

レプリカの安っぽいユニフォームですが、この日来場すれば無条件でもらえるとあって非常に興奮した記憶があります。

その後、DeNAベイスターズの企業努力もあり、球団の人気はどんどん高まります。

2015年~2018年あたりはチケット争奪戦が毎試合繰り広げられ、スターナイトともなると、今では転売が禁止されていますが、当時は1枚15000円以上の値が付いたほどです。

私は歴代のスターナイトのユニフォームは全て持っていますが、それ自体もすごいことだったりもします。

2017年からはシーズンシートのオーナーにもなりましたので、チケット争奪戦に参加することもなくなりましたが、毎年非常に人気のあるイベントであることは間違いないでしょう。

 

今年もスターナイトが3試合行われ観に行ってきました。

まずは初日です。

 

 

この日は横浜みなとみないで花火大会が開催されていました。

仕事を早めに終え、従業員3人を連れて4人での観戦です。

 

 

花火と野球、どちらに集中していいかわからないほど盛り上がっていました。

 

 

試合も見事勝利!

 

 

試合終了後に行われたイベントは非常に微妙なものでしたが、気持ちの良い観戦となりました。

従業員も喜んでくれたようです。

 

 

翌日はいつも行く観戦仲間と6人で参戦しました。

 

 

仕事でいつもお世話になっている方々への私からのプレゼントでしょうか?

 

 

試合は延長戦に突入!

 

 

最後はサヨナラ勝ちでスターナイト2連勝です。

 

 

3日目は私が可愛がっている後輩の女の子と二人で観戦です。

22歳で取引先に入社してから本当にかわいがっているいい子です。

先日めでたく結婚をし人妻になりましたが、娘のように可愛がっているので本当に嬉しく思っています。

あまりに仲がいいので周りからは「社長の愛人?」なんて言われることもありますが、20も歳の離れた子とそのような関係になんてなれませんよね。

 

 

仕事を終え球場に着くと土砂降りの雨でした。

この日の目的は試合観戦と言うよりもユニフォームの回収なので、雨が降っていてもあまり気にしなかったです。

結局球場に着いて20分ほどで雨足が強くなり土砂降りに・・・

 

 

しばらくしてノーゲームとなりまして、冷えた身体をラーメンで温めて、車で彼女を自宅近くまで送り届けて家路につきました。

 

 

家に帰るとカミから「また行ってたの?」なんて言われましたが・・・

 

毎回ですが、シーズンシートとは別に会社でスターナイトの協賛スポンサーをしています。

スポンサーになるとユニフォームが10着とチケットが10枚もらえるんです。

シーズンシートの分と合わせると26着になります。

 

 

これを私の主催しているワンコイン野球の公式ユニフォームにしようともくろんでいます。

現在25人程度いるのでちょうど良さそうですね。

来週の練習会で配布する予定です。

 

今年のスターナイトも大変盛り上がりました。

やっぱり真夏のナイターをビール片手に楽しむのは最高の贅沢です。

来年ももちろん楽しみたいと思います。

 

保護者会長

先日末っ子の野球部の保護者総会がありました。

夏の大会が終了し3年生は事実上引退となるのが高校野球の慣わしです。

今年の夏の大会は10年ぶりに3回戦の進出し、公立高校の地味な野球部としてはそれなりの結果を残しました。

そんな3年生の選手ならびに保護者が引退するタイミングで、次期の保護者役員を決めなければいけないのです。

すでに数か月前から次期保護者会長を打診されていましたので、保護者総会で正式に任命されました。

なんだか貧乏くじを引かされた感じはありますが、こうなった以上きちんとその役割を全うしたいと思います。

 

 

末っ子に野球を始めさせて14年が経ちました。

親のエゴで野球以外の選択肢を与えずに育ててしまった後悔の念は未だにあります。

それでも今日まで野球を続けてくれている末っ子に本当に感謝しております。

けっして体が大きいわけでもなく、ものすごい上手いわけでもありません。

公立高校の野球部に自ら飛び込んだのも、自分の実力をよく理解しているからでしょう。

 

そんな息子を見ていて「もう自分の事は自分でやるでしょう!」「野球も自分の好きなようにやりなさい!」なんて少し距離を取るようにしていたんです。

公立高校の野球部なんて勝手にゆるく楽しくやっているだけでしょう!とも思っていました。

しかし、実際に末っ子が野球部に入ると私の考え方は間違っていることに気が付かされます。

毎回ホームで行われる練習試合には保護者の方々が何名か必ず観戦に来ていました。

私も何度か様子を見には行きましたが、それなりにしっかりとした野球部だったんです。

特にひとつ上の代の先輩方がすごかったんです。

野球の実力はもちろんですが、チームメイト同士の仲の良さ、結束力、そして何よりも保護者の方々の連携がきちんと出来ていました。

そして自分の子供だけでなく、うちの末っ子も含めた後輩達への興味も凄いものがありました。

特にうちの末っ子に関しては「あの子はいい選手になりそう」とか「あの子は面白いプレーをするな~」などしょっちゅう声を掛けてくれていました。

そうなると私も傍観者ではいられなくなります。

練習試合や公式戦のある土日は基本的に仕事ですし、少年野球チームのお手伝いもあります。

それでも上手く時間を調整しながらなるべく顔を出すようにしました。

するとある日「この後夜空いてます?飲みませんか?」なんてお誘いをいただいたんです。

日頃から飲みニケーションだけは得意なので迷うことなく飲み会に参加し、どんどんと仲良くなっていったわけです。

野球部も戦力が整い、非常に盛り上がってもきました。

ある日、飲み会の席で「ワンコイン野球をやっているんですがよかったら来ませんか?」とお声がけしたら「ぜひ行きま~す」と言っていただき、今では4名のお父様が我がチームのメンバーとなってくれました。

 

そして迎えた最後の夏!

10年ぶりの3回戦進出を果たした野球部は本当に盛り上がりながら終わりました。

その大会中に前保護者会長であるE氏から「次期保護者会長はお願いしますね!」と言われました。

一瞬「私がですか?」と思いましたが、保護者会長や先輩の保護者の方々と一番連絡を密に取っているのは私です。

一緒に草野球もやっていますし、飲み会だってしょっちゅうです。

ま~こうなるであろうことはなんとなくわかっていましたが、引き受けるしかない状況ですね。

こうして保護者会長に正式に決定したわけです。

 

保護者会長と言っても仕事が過酷なわけではありません。

基本的な役割は先生と保護者の連絡を取りまとめることです。

部員が30名もいれば先生方と保護者が各自連絡を取り合うと混乱をします。

また、保護者一人一人の要望や都合を先生に伝えると軋轢も起きかねません。

また、先生のほうからも必要な情報を1人1人に送るのは大変です。

そこで保護者会長が先生と保護者の皆様の橋渡しをするのが主な仕事でしょうか?

また、大きな大会や行事の際は保護者をまとめるのも仕事です。

土日が仕事の私にきちんと務まるのか?不安しかありませんが引き受けた以上は自分に出来ることを一生懸命やるしかありませんね。

 

 

人の一生は80年くらいでしょうか?

そのうち、人生で最も輝いている時期が高校3年間かもしれません。

ほとんどの方が、高校生活の3年間の記憶はいいことも悪いことも覚えていることでしょう。

心も体も大人になる準備をする大切な時期だとも思います。

でもこの大切でかけがえのない3年間は人生が80年だとしたら3.75%にしかすぎません。

高校最後の1年となれば1.25%です。

長い人生の中では本当に一瞬の時間でしょう。

だからこそ末っ子にとっても、私にとっても大切な時間にしたいと今は強く思います。

たった数%の時間の中に、少しでも楽しく充実した思い出が作れれば、子供にとっても親にとっても素晴らしいことです。

保護者会長として、一人の父親として素敵な時間を過ごせるよう全力で頑張ります!

 

これで会社の代表・少年野球チームの代表・草野球チームの代表・保護者会長!

4つの代表になりました。

身体は一つしかないのに・・・

でも今だからできることなのかもしれませんね。

死ぬ気でやり遂げます!

 

泣いて馬謖を切る

小学生の時「三国志」にハマりました。

もともとはゲームがきっかけでしたが、とにかく「三国志」が今でも大好きです。

横山光輝先生のマンガ「三国志」は60巻全てお小遣いで買い集めました。

何度も何度も読み返しては大昔の中国で繰り広げられた歴史ロマンに酔いしれたものです。

高校生の時には中国へ行く機会があり、現地で一人だけ大興奮していたくらいです。

 

三国志の始まりは後漢末期。

劉備玄徳が戦乱の世を正すため関羽張飛とともに立ち上がり、黄巾の乱の鎮圧で功績をあげたことから物語が始まります。

この後の物語を書きだしたら10万字は軽く超えるので割愛しますが、多くの個性的な武将やスケールの大きな戦いが今でも多くの人の興味を引き付けていることは間違いないでしょう。

私が特に好きなのは軍師である諸葛亮孔明が登場してからでしょうか?

諸葛亮孔明を軍師として迎えるために「三顧の礼」を行った劉備玄徳。

本当に大切な人には何度も会いに行きその熱意を伝える!

私がビジネスにおいても今最も大切にしている心掛けだったりもします。

 

のちに、劉備玄徳は諸葛亮孔明と共に「蜀」を建国します。

これにより「魏」「蜀」「呉」の三国が誕生し文字通り「三国志」となるわけです。

長い物語の中でも私の印象に最も残っているのは劉備玄徳が亡くなった後のお話です。

軍師である諸葛亮孔明劉備玄徳の志を引き継ぎ、蜀を発展させようと努めます。

しかし、かつて多くの人に慕われてきた優秀な武将たちはすでにこの世を去っています。

孔明は優秀な武将を探し育てますが、関羽張飛趙雲のような有能な武将たちとのギャップに悩み苦しみます。

そんな時一人の青年が現われます。

馬謖」です。

並外れた才能の持ち主で、天才と呼ばれた諸葛亮孔明も舌を巻くほどの人物です。

孔明はこの馬謖に全てを捧げ、全幅の信頼をおきました。

馬謖孔明の指示の元、数々の成果を上げていきます。

しかし、ある事件をきっかけにその関係性は大きく変わります。

蜀は今後も安泰と思われた矢先の出来事でした。

 

 

孔明はさらに領土を拡大しようと第一次北伐の作戦を立てます。

わざわざ戦争を仕掛けなくても今の蜀は十分平和である!という周囲の意見もありましたが、孔明馬謖を先鋒に抜擢し戦いを始めました。

この北伐は孔明が生きている間に、のちの蜀の平和を安定的なものにするために非常に重要な戦いと位置付けていたんです。

孔明の命を受け、張り切った馬謖はその戦いで大きな失敗をしてしまいます。

兵法を無視し、勢いに任せて副将の意見を聞かず自分の力を過信した作戦を立て大敗します。

蜀軍は大敗をし馬謖は敵前逃亡して孔明のもとに帰ってきてしまうのです。

 

この時孔明軍法会議にて「馬謖を処刑する」という決断を下します。

全幅の信頼をおいていた右腕。

その才能を高く評価していた人物。

これからの蜀を任せられるであろう期待していた人物。

孔明はそんな人物を処刑しました。

のちに「泣いて馬謖を切る」という有名な言葉が生まれたシーンです。

 

私は長い三国志の物語の中でもこのシーンが最も印象に残っています。

子供心に「たった一度の失敗で処刑されるなんてありえない!」「馬謖が可哀そう」なんて真剣に感情移入したものです。

しかし、軍の規律は絶対です。

孔明馬謖をこのまま贔屓していたら軍の規律が乱れる。

のちの運営に大きな支障をきたす。

そう考えて苦渋の決断をしたんです。

処刑される馬謖もそのことは十分理解していて抵抗することなく処刑を受け入れました。

このシーンが本当に大好きでした。

 

 

先日、一番信頼していた従業員を解雇しました。

馬謖のように優秀な人材ではありませんでしたが、一緒に仕事をしていると本当に楽しかったですし、将来は私の右腕になってくれると期待をして3年間育ててきました。

しかし、その期待空しく、彼はこの会社で活躍することが出来ませんでした。

本人の実力不足、私の指導力不足に他なりませんが、今でも彼に対する気持ちは変わっていません。

本当にかわいいと思いますし、できれば手元においてまだまだ育てたい!という気持ちも少なからずあります。

しかし、このまま彼だけを贔屓し続けることは会社の規律を乱すことになります。

ほかの従業員にも示しがつきません。

私にとってまさに「泣いて馬謖を斬る」という出来事だったんです。

 

解雇を言い渡した時の彼の表情は一生忘れることはないでしょう。

ここ数日は寝ている時でさえ、彼と過ごした3年間が走馬灯のように蘇ってきます。

それほど思い入れがあったということでしょう。

しかし、彼には大きな夢があることも知っています。

その夢を叶えることはこの会社にいる以上不可能である!ということも彼も私も理解しています。

でも自分から勇気をもってがむしゃらに行動するタイプではありません。

最後は私が背中を押すというより、動き出さないといけない状況を作る必要があったんだと思っています。

もちろん次の仕事が見つかるまでの必要な生活費は渡しました。

会社都合での解雇の為、失業保険もきちんと受け取れるはずです。

彼が困れば惜しみなく援助もするつもりです。

でもまだ若い彼ならきっと自分の力で夢の実現の為に動き出してくれると信じています。

 

今回の経験は私の今後の人生において最も重要な出来事でしょう。

人を使う難しさ、人に何かを教える難しさ、人を育てる難しさをあらためて痛感しています。

もともと人の上に立つような人間ではありません。

先日亡くなったばあちゃんからも「あんたは誰かの下で黙々とサポート役に徹する方がいい人間だ!」と言われていましたし・・・

仕事も「自分でやってしまった方が早い!」「自分がやった方が上手くいく!」と思ってしまう経営者としてはダメなタイプです。

さらに、昔から用心深く人を心から信頼することをためらう性格でもあります。

典型的なダメ経営者だということは自分が一番理解しているのも事実です。

それでも義理父から受け継いだ大切な会社を何とか守るしかありません。

私に出来ることを今は必死でやるだけでしょう。

人を傷つけ、人に嫌われ、自分に嫌気がさしても歩みを止めることも逃げ出すこともできませんから・・・

未熟な経営者の心の葛藤はこれからも続きます。