コロナ禍で育った子供たちが心配

新型コロナウィルスに振り回されること1年半以上!

「新しい生活様式」「感染対策」「ソーシャルディスタンス」「ウィズコロナ」・・・

こんなにも新しい価値観や生活スタイルがものすごいスピードで変化するとは思ってもいませんでしたし、それについていくだけで40を過ぎた昭和の人間にはいっぱいいっぱいです。

過去の様々な経験なんて一つもあてになりませんし、改善するためのアイデアや行動力もありません。

つくづく歳を取ったんだな~と感じる毎日です。

 

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2021年も7月を過ぎた頃からでしょうか?

東京オリンピックの開催と同時期にコロナの第5波がやってきました。

今までで最も多い日々の感染者数。

デルタ株などの新しい変異ウィルス。

皮肉にもワクチンの接種人数と比例するように増える感染者。

緊急事態宣言や蔓延防止など、もはや何の効力もないほど広がりました。

ここ数日は徐々に減少傾向にありますが、増えれば減るのは当然の話なのでまだまだ油断はできません。

このまま収束に向かうことを願いますが、以前の生活スタイルにそのまま戻れるとはとても思えませんね。

おそらく今の自粛生活と新しい生活様式が入り混じった新しい生活スタイルが定着することでしょう。

そこにまたついていけるかどうか・・・

おじさんは心配でなりません。

 

さて、そんなコロナ禍で一番振り回されているのは子供たちではないでしょうか?

特に中学生~大学生の学生たち!

我が家にも大学生2人、高校生が1人いるのでよくわかります。

我々大人達が過去に過ごした青春のスタイルはそこにはありません。

大学生は授業のほとんどがリモート。

高校生も週に一度の登校になったり部活動も制限されています。

一日のほとんど家で過ごしている状態です。

友達と毎日遊び歩いたり、新しい友達と出会うこともなかなか難しい状況です。

一人でいる時間は自然と増えます。

今どきはSNSで繋がれるのでしょうがそれでもフェイスtoフェイスのコミュニケーションは大切だと思うんです。

 

人とのコミュニケーション能力は若いころに培われるものだと信じています。

相手の声のトーン、大きさ、口調

相手の表情や目つき

話す際の姿勢、動き

沈黙時の場の空気

これらを複合的に判断しながら人はコミュニケーションを取っているはずです。

そして、その判断は幼いころからの団体生活の中で培われることが多いと思います。

例えば学校の先生。

朝礼時でのテンションや挨拶時の声のトーンでその日の機嫌が分かります。

機嫌が悪かったりすると、黒板にチョークを当てる時の音がいつもより大きくなっていたりします。

逆に褒められている時なんかは先生の表情は穏やかです。

部活動の先輩なんかも同じです。

体育会系でなくても先輩には気を使うものです。

先輩の目つきや言葉遣い、雰囲気でどう接すればいいのか?を考えなければいけません。

男女関係もそうです。

恋愛経験の乏しい若い時にはそれはそれは気を使います。

相手の気持ちを全力で探ろうとしますし、頭の中でありとあらゆることを考えるものです。

そんな経験を若いうちにたくさんするからこそ、人との関わり方やコミュニケーション能力が自然と身につくんだと思います。

しかし、このコロナ禍でそのような学習機会も失われつつあります。

コミュニケーション能力が自然と身につくようなシチュエーションがあまりにも少なすぎる気もします。

自分の子供たちを見ていてもそのことは強く感じる毎日です。

 

そんな子供たちが数年後社会に出たらきっと苦労すると思うんです。

若い人たちには若い人たちなりのやり方、ツールがあるのは理解しています。

しかし、まだまだ今の日本社会では受け入れられていません。

中小零細企業では相変わらず体育会系のノリや厳しい上下関係が根強いですし、リモートワークや非接触型のビジネスはまだまだごく一部です。

電話で応対したり対面で打ち合わせや商談をしたしり、仕事の大半が人とのコミュニケーションです。

時代は少しづつ変わりつつありますが、今の子供たちが新たな仕事の仕方やコミュニケーションツールを確立するまでには最低でも10年以上かかるはずです。

ものすごいスピードで時代は変化していますが、本質的なところは全く変わっていません。

だから本当に心配になってしまうのは私だけでしょうか?

 

大学3年生の長男はただいま就職活動をしています。

毎日部屋のパソコンで面接したりインターンなどをやっていますが、上手くコミュニケーションが取れているのか?心配でしかありません。

そんな心配をしている時点で時代遅れの老害なのかもしれませんが、この先コロナ禍で育った子供たちがきちんと社会で活躍できる世の中であってほしいと強く願います。