泳げないやつが水泳部に入った話

昨日に引き続き昔話です。

こうして昔の思い出を綴っているとつくづく思うのです。

こんな場所でなければ自分の昔話なんて語れないな~と・・・

確かに40過ぎのオッサンの昔話など誰も興味ありません。

ただこうして書いておくことで自分が死んだとき、こんな変わった人間がいたんだぞ!という存在証明に少しでもなればと思い書きます。

 

中学生時代、グレました。

尾崎豊にどっぷりハマったのもありますが、成長ホルモンが出すぎた影響でものすごく荒れました。

でも不良が格好いい!とは思いませんでしたので喧嘩や暴力は控えめでした。

その代わり陰でコソコソ悪さをする感じの悪いクソガキで、本当にいろいろな方々にご迷惑をお掛けしました。この場をお借りして心より謝罪いたします。

部活動にも入らず、毎日好きなことを好きなようにやるだけの生活。

当然お勉強は同級生にどんどん遅れをとり、学校へ行かない日もしょっちゅうでした。

そんな自分に両親はとにかく厳しかったです。

毎日のように怒鳴られ、殴られました。

それでも反抗することが正義とばかりに日々バトルしていましたね。

一方、3歳下の弟は運動神経抜群で勉強もできました。

なので両親はこのまま兄と同じ中学に行かせたら弟までダメになる!と思い中学受験をさせるべく進学塾へ通わせました。

弟はさらに勉強に熱が入り、日々隣の部屋で机に向かっています。

一方私は好き放題、やりたい放題の日々・・・

そんな生活をしばらく続けていたらなんだか恥ずかしくなりまして・・・

小学生の弟が一生懸命勉強しているのに自分は何をしているのかと・・・

このままでは中卒で働くようになるという危機感もあり、私も弟の通う進学塾へ入ることにしました。

進学塾では当然ことながら弟と比較され、バカな兄貴扱いです。

なんだか悔しくなり本気で勉強するようになりまして・・・

中学3年生になってからは毎日8時間は勉強をつづけました。

入塾当初40だった偏差値は1年で60近くまで上がりました。

やればできる子なんですよ!

やる気スイッチを入れてくれた弟&塾の先生に感謝です。

そして迎えた高校受験!

滑り止めも含め見事志望校に3校合格することができました。

そしてその中から私が選んだ学校がこれまた場違いな学校でして・・・

 

私が入学した高校は幼稚園から大学まである〇〇学園!

そこの高等部に入学したのですが、学費が高いことで有名で、芸能人や一流企業の社長の子供が多く通う学校です。

ちなみに同級生には有名人の子供が8名ほどおりました。

そんな場所に自分のような下人が入ったもんだから大変です。

でもついこの前までグレていた自分には本当良い更生施設になったかもしれません。

 

入学して最初に悩んだのは部活動です。

帰宅部だった自分は高校へ入ったからにはきちんとした部活に所属しようと心に決めていました。

そして最初に目を付けたのがアメフト部!

当時、深夜放送でNFLの中継をやっていて夢中で観ていた私はすぐに説明会に行きました。

そこでもらったプリントに書かれていたのはとても高価な初期費用。

アメフト部はお金がかかります。

防具はもちろんユニフォームや消耗品、そして遠征費・・・

そのプリントを母親に恐る恐る渡したのですが、プリントを見て5秒で却下されました。

共働きとは言えけっして裕福でなかった我が家のドラ息子が、学費が高いで有名な学校へ行ったわけですから、両親はかなり無理をしていたはずです。

お金のことだけでなく、体の小さな私のことを気にかけて全力で反対してくれました。

あきらめざるを得ない自分は「高校でも帰宅部か~」と思ってた矢先、事態が急変します。

 

高校へ入ってすぐにS君という友達ができました。

とても真面目で温厚な好青年でした。

彼は中学から学園に通ういわゆる内部生で、家ももちろんお金持ちです。

そんな彼から「よかったら水泳部に入らないか?」と突然誘われました。

彼は幼いころから水泳をやっていてそれなりの実績を残しているエリートだったのです。

そんな彼の周りには水泳のジュニアオリンピックの強化選手なんてヤツもいました。

誘われましたがもちろん全力で断りました。

なぜなら自分、泳げなかったからです。

 

f:id:BECHSTEIN:20210730205319j:plain

 

生まれた時から水が苦手でした。

小学校のプールの授業は本当に苦痛でしたし、川遊びはもちろん市民プールに行くのもあまり好きではありませんでした。

ちなみに小学4年生までシャンプーハットを使用していたくらいです。

中学校のプールの授業はもちろん毎回見学か逃亡していました。

そんな自分が水泳部なんてありえない話なんです。

 

家に帰り母親に水泳部に誘われたことを話しました。

すると母親から思いもしない言葉が!

「泳げるようになるために入ればいいじゃん!スイミングスクールに行ったら大金取られるんだよ!水着だけでお金かからなそうだし!」

「それにあんたの学校のプールすごいじゃん!高い学費払ってるんだから高い設備を利用できる部活に入ってほしいな~」と・・・

確かに私の高校は幼稚園生から大学生が同じプールを使用するため、50メートルの屋内温水プールがありました。

しかも高校がある建物のすぐ隣に!

 

次の日、入部届にサインしている自分がそこにはいました。

泳げないことはS君には伝えたのですが、彼はそんなことお構いなしに喜び、その日の放課後、水着とキャップを買いにスポーツ用品店へ連行されました。

 

そしていよいよ水泳部最初の練習日!

部員は新入部員が男女合わせて7名、2年生が5名、3年生が5名でした。

プールサイドに整列させられ自己紹介が始まりました。

適当に自己紹介をしていたらそこにコーチが偉そうな態度で登場しまして・・・

あらためてコーチを前に自己紹介が始まりました。

その時コーチから信じられない言葉が!!

「自己紹介と一緒に100mの自己ベストも教えるように!」

もちろん新入部員は自分以外みな経験者です。

整列した順番にみな次々自己紹介をしていきます。

こんな時に限って一番最後に整列してしまった自分。

コーチの「最後君!」という合図で私の自己紹介が始まりました。

ただ一言「自分泳げません!泳げるようになりたくて水泳部に入りました!よろしくお願いします!」

それを聞いた部員たちの唖然とした顔は生涯忘れることはないでしょう。

自分を誘ったS君にさえ他人のふりをされてしまいました。

そしてコーチが一言!

「お前なめてるな!お前のような中途半端な奴が俺は嫌いだ!」

初対面でいきなりそんなこと言われる筋合いはないんだけど・・・今すぐこいつぶん殴ってやろうかな?と思いながらも拳をぐっと握ってこらえました。

その後コーチは3年生の先輩に一言かけて姿を消しました。

結局コーチとはその後一度も話すことはありませんでしたね?

 

マネージャーから練習メニューの発表があり部員たちは皆プールへ飛び込んでいきました。

俺どうすればいいんすか?と立ちすくんでいたらH先輩が声をかけてくれました。

「コーチから君の指導を任されたからよろしくね」と・・・

 

H先輩は本当に優しい人でした。

しゃべり方が少しオネ~ぽくて肌は真っ白!

「この人そっち方面の人じゃない?」と誤解してしまうくらい男くささが全くない人でした。

でもひとたび水の中に入ると別人のように格好よく泳ぎます。

そんなH先輩に「まずは基礎からやろうね!」とビートバンを渡され、やっとプールの中に入れたのが初日です。

翌日からはひたすらビートバンでプールを行ったり来たり。

S君や同級生がものすごいスピードで泳いでいるのを横目に見ながら足をバタバタさせるのみです。

その光景はまるで幼稚園児のスイミング教室のようでした。

 

そんな日々を数か月過ごしたのですが、高校生の身体能力はすごいですね!

あんなに泳げなかった自分はたった2ヶ月で泳げるようになっていました。

3か月後にはバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形個人メドレーを200m完泳できるまでに!!

タイムは全然でしたが、メドレーを泳ぎ切った時H先輩は涙を流して喜んでくれました。

その後は他の部員たちと同じ練習メニューをこなせるまでに上達!

人間やればできるもんです。

 

10月には記録会が行われました。

他の学校からも多くの選手が集まっての本格的な記録会です。

それぞれ得意種目でエントリーをするのですが、実はエントリーするには参加標準タイムを上回っているのが条件です。

残念ながら私の泳ぎで参加標準タイムをクリアできる種目はありませんでした。

しかし!唯一参加標準タイムの設定がない種目がありました。

1500m自由形

これなら誰でも参加できるということがわかりましたが、実は競泳の世界で一番人気のない種目です。

トップアスリートでも15分近く泳ぎ続けなければいけませんし、初心者の場合完泳することが目的とされる種目です。

記録会のエントリーはわずか3名。

記録会までの2週間はとにかく泳ぎ切ることを目標に練習に励みました。

そして迎えた記録会!

仲間が次々と好タイムを出し、コーチの表情も満足げです。

そしていよいよ自分の出番が来ました。

泳いでいる時は夢中でほとんど記憶がありません。

ただ、隣で泳いでいた選手の姿がどんどん見えなくなり何回も往復しているうちに、どんどん差がついて行ったことだけ覚えています。

最後の100mになるとほぼ犬かき状態です。

ひどい泳ぎでそれでも何とか完泳することだけを考え全力で泳ぎました。

すると、プールサイドから大きな歓声が聞こえてきました。

なんでみんなこんなに大きな声を出しているんだろう?と不思議に思いましたが、泳ぎ切ってわかりました。

自分以外の2名の選手は自分が1200m泳いだくらいですでに完泳していたのです。

つまり300mは自分一人が泳いでいたということです。

水泳を始めてわずか6か月の初心者のみじめな姿に思わず声をあげたくなったのでしょう。

無事ゴールできましたが非常に恥ずかしかったのだけ覚えています。

最後はH先輩がフラフラの自分の体を抱きかかえるようにプールサイドに引き上げてくれました。

 

これが泳げない人間が水泳部に入った話です。

1500mを泳げるようになると急にやり切った感が出てしまいまして・・・

また、冬になると温水プールとはいえ寒かったのでその後は徐々に練習に行かなくなりました。

廊下でH先輩とすれ違うと少し気まずかったです。

そして水泳に興味を無くした私は体操部へ

 

ちなみに水泳部には最後まで籍を入れていました。

別に退部する理由もなかったですし、夏は時々涼みに行けたからです。

部室にシャワーもついていましたしね。

なので卒業アルバムの部活動の写真には水泳部と体操部と両方に私の姿が写っています。

校則で兼部は禁止だったはずなんですが・・・

 

夏ですね~

たまには泳ぎにでも行こうかな!