墓参り

11月3日(文化の日

妹の墓参りに行きました。

 

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14歳で難病にかかり22歳で短い生涯を終えた妹は1985年11月3日に生まれました。

妹が生まれた時自分は小学一年生でした。

だから妹が母のおなかにいた時からのことは鮮明に覚えています。

夜になると母のおなかを元気よく蹴っ飛ばしていたこと!

性別を事前に聞いていた母が「女の子だよ」と教えてくれたこと!

弟とそのことを飛び跳ねて喜んだこと!

お腹を蹴る力があまりに強すぎて母が痛がっていた様子!

今でもハッキリと思い出せます。

 

妹が生まれた日のことも昨日のことのように思い出せます。

その日は父親と私と弟の3人で地域のマラソン大会へ参加する予定でした。

ひと月前から大会に向けてランニングの練習を3人でしたものです。

前日の夜も初めてのマラソン大会へのワクワク感で興奮していました。

しかし翌朝!

母が急に産気づきました。

すぐに父は母を車に乗せて病院へ連れていきました。

私と弟は留守番です。

2時間もすると父が帰ってきました。

「もうすぐ生まれるぞ~」と父は少し興奮していましたね。

お昼を過ぎた頃でしょうか?

病院から電話があり元気な女の子が生まれたと報告を受けました。

その瞬間!弟とハイタッチしてはしゃいだことも良く覚えています。

 

夕方病院へ行くとそこには生まれたばかりの妹がスヤスヤと眠っていました。

我が家族にとって初めての女児誕生に身内も大騒ぎでしたね。

翌日妹を初めて抱きました。

あまりの可愛さに言葉を失ったのは言うまでもありませんね。

母と妹が退院してからは学校から一秒でも早く家に帰りたくて、下校時は全力疾走したものです。

それだけ私にとってはかけがえのない存在だったんです。

 

その後は共働きの両親の代わりに、私が妹の面倒を見る時間が増えました。

お風呂に入れたり晩御飯を食べさせたり・・・

可愛くて仕方がなかったのでそれを苦と思うことなんて1日もありませんでした。

そんな可愛い妹はスクスクと健康に育ちました。

よく食べる子で暇さえあればおいしそうにお菓子を食べていましたね。

おかげで少しだけぽっちゃり体型でした。

 

私が中学生になると保育園のお迎えは私の仕事でした。

通っていた中学校と保育園が近かったからです。

学校の授業や部活動を終え、そのまま妹を迎えに行きます。

私も弟もお世話になった保育園だったため、先生方は皆顔馴染みです。

妹の手をつなぎそのまま家に連れて帰るのですが、その時同級生と毎日すれ違うんです。

少しヤンチャをしていた自分には、その姿を見られるのが少しだけ恥ずかしかったですね。

それでも妹を溺愛する兄としてはそのお迎えも楽しい時間でした。

家に連れて帰りお風呂に入れ、夕食を食べさせ終わる頃に両親が帰宅する日々が数年続きました。

妹が小学校に入ると今度は一緒に剣道を習い始めます。

毎週土曜日になると私と弟、妹の3人で道場に通いました。

寒い日も暑い日も妹だけは文句も言わず稽古に励んでいて偉いな~と感心していました。

体も心も日々成長していく姿を一番近くで見ていたのは間違いなく私だったんです。

 

そんな妹は中学生の時に突然、部活動中に倒れました。

当時大学生だった私はアルバイトと遊びに明け暮れる日々。

何が起きたのか?家族全員が妹を心配していた時、お構いなしに家にも帰らず遊びまわっていました。

結局妹は即入院!緊急手術を受けました。

その知らせをアルバイト先で受けた自分はすぐに病院に駆けつけたのですが、その時初めて妹の深刻な病状を聞かされました。

「もう少しきちんと妹を見ていたらもっと早く異変に気が付いたのに!」

「もっとそばにいてあげたらこんな事にはならなかったのに!」

私はその時心の底から自分を責めたものです。

結局10時間以上にも及ぶ手術を終え一命をとりとめましたが、その日から妹の壮絶な闘病生活が始まってしまったんです。

 

病名は「扁平上皮癌」!

気管支の内部にガンが出来た影響で肺に空気が上手く送りこまれなくなるという非常に珍しい病気でした。

倒れた時にはすでに片側の肺が完全に壊死してしまっていて、最初の手術で片肺を全摘出することに・・・

最初の手術から数年間は日常生活が送れるくらいまで回復をしたのですが、数年後に再び発症。

その後も再発を繰り返し長時間に及ぶ手術を何回も受けなければいけませんでした。

最後は手術も難しくなり化学療法と抗がん剤の治療に切り替えましたが、思うような効果はなく妹はどんどん弱っていきます。

それでも生きることを諦めなかった妹は辛い治療に必死に耐えました。

泣き言を一切口にせず、私に会う時には必ず笑顔を見せてくれたんです。

すでに結婚し離れて暮らす私に心配をかけたくなかったんでしょう。

私の3人の子供たちのことも本当にかわいがってくれました。

そんな妹の壮絶な闘病生活も2005年11月10日に終わりを迎えました。

 

前日の11月9日夜8時頃。

私は仕事の会合があり、取引先の方々とお酒を飲んでいました。

そこに母からの突然の電話!

「もう最後かもしれない・・・」

お酒を飲んでいたのですぐには病院にはいけませんでした。

翌朝車を飛ばして病院に駆けつけるとベットの上には苦しそうに横たわる妹の姿がありました。

会話もままならない状態でただただ苦しそうに呼吸を続けているだけです。

そんな妹と最後に交わした会話は「お兄ちゃん、水・・・」

のどが渇いていたのでしょう。

私は吸い飲みを妹の口に当てて水を飲ませてあげました。

その数時間後・・・

妹は家族や友人に囲まれ息を引き取りました。

 

「ご臨終です」

発病した時から面倒を見てくれていた主治医の先生の言葉に体の力が一気に抜けていったことだけは覚えています。

それから数日間のことはあまり記憶がありません。

自分の人生の中で最もつらい瞬間だったことは間違いないでしょう。

 

妹がいなくなってから早いもので16年が経ちました。

墓前で悲しい気持ちになることはなくなりましたが、今でも線香に火をつけ手を合わせるのが嫌です。

だから私はお墓の前に立って、ただただ妹と過ごした日々を思い出すだけでしょか?

 

16年で家族の環境も大きく変わりました。

私の子供も大きくなりましたし、弟は結婚をし二人の子供を授かりました。

父も母もだいぶ歳を取りました。

時間というものは残酷に過ぎていくものです。

今はただ妹の分までしっかりと人生を歩もう!

やれなかった楽しいことを自分が代わりにやろう!

食べられなかったおいしいものは自分が食べよう!

行けなかったたくさんの場所には自分が行こう!

出会うはずだった多くの人には自分が出会おう!

挑戦できなかった色々なことは自分が挑戦しよう!

可愛がっていた自分の子供たちを親として立派に育て上げよう!

そんな思いで日々生活をしているつもりです。

 

正月にはまた墓参りに行く予定です。

墓前でいい報告ができるよう、今年も最後までしっかりと自分の務めを果たそうと思います。