今から20年前、結婚してすぐに2Kのアパートで新婚生活が始まりました。
しかもこの時すでにお腹には長男がいましたので、とりあえずの仮住まいで住み始めました。
その半年後、義理祖父の所有しているマンションの一部屋が空いた為、そこに移住。
家賃はいらない!という義理祖父の言葉に甘え2DKの部屋で我が家族の生活はそれなりにいい環境でスタートしたわけです。
その3か月後、長男が無事誕生!
翌年には長女も誕生!
4年後には末っ子も誕生し賑やかな生活を送っていました。
そのマンションのベランダから見下ろせる場所に幼稚園がありました。
のちに子供達3人がお世話になる幼稚園です。
長男が3歳になったのを機に幼稚園へ通わせることにしました。
徒歩20秒ですので子供を預けるには最適な場所です。
早速入園の申し込みに行こうとしたのですが、そこで驚愕の事実を耳にします。
長男は2000年生まれでした。
いわゆる「ミレニアムベイビー」と呼ばれる世代です。
この年は少子化にもかかわらず一時的に出生数が多かったのでしょう。
幼稚園には定員を超える問い合わせや申し込みがあったそうです。
そこで園長先生が考えた作戦がなんと「先着順」
申し込みは11月1日からでした。
カミさんからは「こんなに近いのに入れないなんて考えられない!早くから並んでよね!」と言われ10月31日に仕事を休み、夕方から並ぶことにしました。
午後5時!
ベランダから幼稚園の様子をうかがっているとぽつりぽつりと人が集まりだしました。
このタイミングで私は列に並んだんです。
通されたのは年長さんのお部屋でした。
すでに10名ほどが体育座りで黙~って並んでいます。
私は11番目でしたかね?
この時の年少さんの定員は25名。
その後も続々と大人が集まり19時には定員に達しました。
しかし、申し込みは11月1日です。
園長先生から「定員に達しましたが日付が変わるまでそのままお待ちください。途中で辞退される方がいましたらご自由にどうぞ」と噓のようなアナウンスがありました。
0時までの7時間、とにかく並び続けたわけです。
当然知り合いなんておりません。
初めて会う方ばかりです。
しかも!!
当時私は25歳!!!
周りのお父さん方は明らかに年上ばかりです。
すごく気まずい雰囲気の中、一人の男が急に話しかけてきました。
「いや~まいりますね!静かで・・・ ところで何している方?」
それが全ての始まりでした。
大勢の人がいる中でなぜか私に話しかけてきたのはT氏です。
大手飲料メーカーにお勤めの自分よりも10ほど年上の人でした。
退屈していた私はここぞとばかりにT氏と話し始めます。
お互いに色々な話をしたのを覚えていますが、ちょいちょい下ネタをぶっこんでくるのでちょっとだけ引いたことを今でも覚えています。
そして運命の0時になりました。
園長先生から「長いことお待たせしました。それではただいまより入園申込書を配布いたします」とアナウンスがありその日はお開きとなりました。
翌年の4月、幼稚園の入園式でT氏と再び顔を合わせました。
お互いに簡単な挨拶をし、連絡先を交換しました。
この時T氏はすでに色々な方に声を掛けていて、この日一日で多くの顔見知りを紹介してくれたんです。
「この人は何者だ?」と思いましたが非常に心強くも感じたものです。
その後は幼稚園のイベントでことあるごとに会うようになります。
そんなある日のこと。
T氏が「この後空いてる?飲みに行きましょう!」と言い出して結局飲みに行くことになりました。
「いい店知ってる?」と聞かれたので迷わず1年半働いた元職場の居酒屋へ行ったんです。
この日はT氏とS氏の3人でした。
お互いに初めての子供の幼稚園生活について話が盛り上がりました。
S氏とも10歳ほど歳は離れていましたが、子供の話に歳の差はあまり関係ありませんね。
「○○先生がかわいい」とか「園長先生は○○」だとか本当にくだらない話で終始盛り上げれるものです。
この瞬間からいわゆる「パパ友」という存在が誕生しました。
その後は行事があるたびにT氏のおかげでパパ友がどんどん増えていきました。
飲み会もいつの間にか10名ほどの大集団になっていましたね。
朝まで飲み明かすこともありました。
おかげでカミさんも多くの「ママ友」が出来ました。
親子・夫婦ともども非常に素晴らしいコミュニティーが自然と誕生したんです。
行事のたびに「パパ友」「ママ友」は子供達よりも幼稚園生活をエンジョイしていましたね。
「あの年の保護者は本当に賑やかだった~」と今でも園長先生は話してくれます。
そんなパパ友の中心的存在だったT氏はある日よからぬことを計画します。
年長さんになった年。
10月の運動会での事でした。
幼稚園は非常に小さなところでした。
その為、運動会は毎年近くの公園で盛大に開催されていたんです。
そこでT氏は「運動会でゲリラライブをやろう!」と企みました。
すぐに私のところへアイデアが持ち込まれました。
後はそのアイデアをもとに私が具体的な企画を立てていきます。
早速企画を練り、パパ友の有志6人声を掛けました。
いつもの居酒屋(元職場)で何度も打ち合わせを重ねます。
計画が完成したのち、私はT氏と幼稚園を訪ねました。
園長先生にダメもとで勇気を振り絞って企画を提案したんです。
すると園長先生は「全面的に協力します!一緒に盛り上げてください!」とうれしい言葉をかけてくれました。
こうして運動会でのゲリラライブは密かに進行していきました。
ゲリラライブと言っても楽器を弾ける人間は私だけです。
何か特技があるわけでもありません。
そこで私が考えたのは「ダンス」でした。
当時流行っていた「タッキー&翼」の「HO!サマー」という曲を踊ることにしたんです。
しかし、ただ踊るだけでは面白くありません。
正体がわかると後で「またあいつらだよ~」なんて言われますし、子供たちがその後変なゴタゴタに巻き込まれても困ります。
そこでドンキでよく売っている安い「レンジャー」のコスチュームで完全扮装して踊ることにしました。
ちなみにT氏はセンターの赤レンジャー!
私は小柄なのでピンクレンジャーでした。
ちなみにS氏はブルー!
一番体格のいいパパ友をショッカーのコスプレにして6人のレンジャーがお昼休憩中にゲリラライブに望むことになりました。
企画決定から準備期間は3週間!
とにかく振付を覚えなければいけません。
私は6人分の振付動画を準備し、各自練習が出来るようにしました。
同時にオープニングからエンディングまで3曲の編集作業にも取り掛かります。
今から18年ほど前のことです。
まだパソコンで曲の編集を簡単に出来るソフトやアプリはありませんでしたが、IT系企業に勤める弟にアドバイスをもらいながらなんとか完成させたものです。
ぶっつけ本番というわけにはいきませんので、全体練習も何度か行いました。
全員の仕事が終わって集合できるのは10時過ぎです。
園長先生は夜遅くまで残って幼稚園の教室を開放してくれました。
ビールの差し入れまでいただいたものです。
全員で音楽に合わせてダンスの練習を黙々とやりました。
ダンスなんて踊ったことがない人ばかりです!
私は高校時代の新体操部でそれなりに経験していますが、全員が綺麗に揃うようになったのは本番の2日前の事でした。
運動会の前日の深夜11時!
誰もいない公園で最終リハーサルを行いました。
立ち位置の確認!入退場のタイミングの確認!
その光景はよそから見たら完全に不審者だったことでしょう。
こうして運動会本番を迎えたんです。
その日は快晴でまさに運動会日和でした。
子供達が一生懸命走る姿、踊る姿に保護者達の熱もどんどん上がっていきます。
しかし、この時私は自分の子供の競技よりも、これからやるゲリラライブの事で頭がいっぱいでした。
だんだんお腹が痛くなってきたのを覚えています。
そしてお昼の休憩時間。
15分で食事をすまし、レンジャー6人は子供たちにバレないように席を外しました。
公園の裏側で静かに着替えます。
事前に用意したCDがとうとう再生されました。
まずは「となりのトトロ」の「さんぽ」の音楽に合わせて入場します。
この時手ぶらだと寂しいので、幼稚園にある楽器を全員が適当に叩きながら入場行進をしました。
幼稚園の先生が「今日は素敵なお友達が遊びに来てくれました~」と上手くアナウンスをしてくれたおかげで、会場からは拍手が起こります。
グランドを3分ほどかけて一周したら各自マーキングした場所に移動します。
ミュージックスタート!の合図でダンスが始まりました。
一生懸命練習したダンス!
思いのほか全員が綺麗にそろっています。
会場からは手拍子が鳴りやみません。
曲の間奏時には、幼稚園の先生をそれぞれが巻き込んで全員で踊ります。
この時私は10年ぶりくらいにバック転を披露しました。
高校時代体操部で身につけた大技に挑戦しようと思いましたが、怪我が怖かったのでとりあえず2回転に留めておきました。
曲が全て終わると本当に大きな拍手が巻き起こりました。
子供達も目を輝かせながらニコニコ私たちを見ています。
本当に気持ちいい瞬間でした。
そしていよいよ退場です!
この時は全員で猛ダッシュではけました。
急に恥ずかしさが出てきたんですかね?
こうしてゲリラライブは大成功を収めたんです。
すぐに着替えて各自自分の家族の席に戻ります。
もちろん何事もなかったような顔をしてです。
すると子供達は口々にこう言います!
「パパ何やってたの?すごく面白いことやってたんだよ~!どこにいたの?」
嫁さん達は皆笑いをこらえるのに必死です。
一番ウケたのはとなりに座っていた黄色レンジャーのご家族です。
孫の運動会とあって、ジジババが全員来ていました。
そしたら「おまえこんな肝心な時にどこほっつき歩いてんだ!馬鹿やろ~ 子供達と一緒に楽しまないでどうするんだおまえは!本当に昔から自分勝手な男だよお前は!」なんて父親から説教をされていたんです。
「俺がやっていたんだよ!」とはもちろん言えず頭を下げている姿が印象的でしたね。
運動会後は「あの人たち一体何物?幼稚園で雇ったの?いったい誰がやったの?」とゲリラライブの話題で持ちきりになりました。
もちろん正体を知っている園長先生や先生方、カミさんなどは知らん顔です。
子供達からも執拗に聞かれましたが上手くごまかしました。
ちなみに私はピンクレンジャーの恰好で登場したわけですが、せっかくなので女性らしく胸にパッドを入れて踊りました。
小柄でスリムな事もあり完全に全員が女性だと思ったようです。
10月の運動会以降、卒園式までゲリラライブの話題は尽きることがありませんでしたね。
ちなみに卒園アルバムにもしっかりと写っておりまして・・・
大人も子供もみんなが楽しめた幼稚園生活だったと思います。
その1年後、私たちレンジャーは再度ゲリラライブを行いました。
そして、その3年後・・・末っ子が年長さんの時に3回目のゲリラライブを敢行しております。
もはや幼稚園のお約束行事になっていました。
もちろんいつまでたっても正体は明かしたりはしませんよ。
(子供達にはもう完全に気づかれていますが・・・)
そんな思い出のたくさん詰まった幼稚園とは今でもお付き合いが続いております。
園長先生とは今度ゴルフをご一緒する予定です。
本当に素敵な幼稚園に入れたこと、最高の「パパ友」に出会えた自分は幸せ者でしょう。
ちなみにパパ友との関係は現在も続いております。