YMO

音楽が大好きですが、この歳になると日々発表される新しい音楽やデビューするアーティストについていけなくなったりします。

若い頃は毎日のようにCDショップに通い自分好みの音楽を探して回ったり、友人と日々情報交換をしていたので音楽に関するアンテナが伸びまくっていたような気がします。

しかし、最近はそのアンテナもどんどん短くなっているのでしょう。

TVやSNSで注目されるアーティストを覚えるのに精一杯な状況です。

もちろん「このバンドすごい!」「このアーティストいいな!」と思うことも多いですが、正直ついていけていません。

 

そうなると過去の音楽に戻ります。

昔夢中で聴いた音楽を聴き直す日々が始まりました。

年末になると親父が「年忘れ日本の歌」を夢中で見ていた理由が最近よくわかったりしますね。

 

先日、TVを見ていたら懐かしいメロディーが流れていました。

YMOの「テクノポリス」です。

そういえば夢中で聴いていたな~と懐かしい思い出が蘇りここ数日は聴き直しています。

 

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YMOを初めて聴いたのは小学5年生の時です。

親父が何枚かのレコードを持っていたので再生してみました。

それまでビートルズローリングストーンズなどのロック、昭和歌謡フォークソングばかりを聞いていた自分にとってはとても新鮮でした。

正直「何この音楽?」と気持ち悪くなったほどです。

一度聞いてすぐに別のレコードを再生したのですが何でしょうか?

さっき再生したテクノ音楽が耳にベッタリとへばりついて離れなかったんです。

翌日ランドセルを背負って通学している間も、耳の奥で常に鳴り響いていたことは非常によく覚えています。

まるで耳鳴りのようでしたね。

 

YMOYELLOW MAGIC ORCHESTRA」は誰もが知る国民的バンドでしょう。

デビューは1978年。私がこの世に生を受けた年です。

細野晴臣」「坂本龍一」「高橋幸宏」の3人によって「テクノPOP」という新たなサウンドが生み出されました。

今では当たり前のように使われているシンセサイザー

当時はまだまだ技術が進歩していなかったのでそれはそれは大きなコンピューターを使って生み出されたわけです。

YMOの音楽を作り上げたのは間違いなく第4のメンバーと呼ばれる「松武秀樹」でしょう。

MOOG GⅢc」通称タンスと呼ばれる大きなシンセサイザーを使ったサウンドYMOの原点です。

シンセサイザーは生の楽器では出せない音を無限に作り出すことができる夢のような機械です。

よく「無限音階」などと言われますが、それまで私たちが聴いたことのない音がこの機械の登場によって世の中に溢れるようになりました。

今から40年以上前ですからすごい技術だと思います。

そしてその機械から出る音に、天才ミュージシャンである3人が生音を重ねて作り出されるサウンドは小学生の私が聴いてもすごいものでしたね。

24個のトラックから様々な音が次々と流れてくるのはとても印象的でした。

 

YMOの人気に火が付いたのは実は海外からでした。

リーダーの細野晴臣は「海外進出」を念頭に置いて活動を始めたそうです。

40年以上前に海外進出を考えていたというから驚きですね。

1979年に行われたニューヨークのグリークシアターでのライブはもはや伝説となっています。

ちなみにこの時キーボードを弾いていたのは矢野顕子です。

その後日本でブレイクしブームを巻き起こしました。

本当に凄いバンドだと今でも思います。

 

YMOがいなかったら今の日本の音楽は全く違うものになっていたかもしれません。

巨大なシンセサイザーで作り出されたテクノ音楽は技術の進歩とともに我々の身近なところで使われ始めます。

携帯の着信音「着メロ」なんてまさにそれでしょう。

また、その後大ブームを巻き起こすTKミュージックなども原点はYMOでしょう。

最近人気の「ボカロ」なんかも間違いなく延長線上にある音楽です。

YMOが日本の音楽シーンに与えた影響は本当に大きいと思います。

 

高校生の時、親友とYMOにどハマりしました。

そこで私たちはバイト代を貯めてそれぞれシンセサイザーを購入したんです。

その金額はなんと28万!

当時は高校1年生でしたので夢中でバイトをしてお金を貯めました。

大金を持って2人で秋葉原に行き購入。

30キロ近いシンセサイザーを一生懸命抱きかかえて電車で帰ったのはいい思い出です。

その後、2台のシンセサイザーに私たちは夢中で打ち込み作業を行いました。

高校2年生になる直前の春休みだったと思います。

3日間くらいほぼ徹夜でYMOのアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」を全曲打ち込んだものです。

特に私のお気に入りは「BEHIND THE MASK」ですね。

難解なコード進行を得意としていた坂本龍一がシンプルなコードで作ったこの曲は本当に耳に残ります。

『F-D♭-E♭-Cm/C』のコード進行は未だに最強だと思いますね。

今なら携帯やDTMで簡単に作業できるのでしょうが、当時は1音1音手作業で各トラックに入力して行かなければいけなかったのでものすごい時間と根気が必要でした。

当時買ったシンセサイザーは最先端の機能が満載で色々な音が出せました。

しかしトラック数が12だったので2台を使って24トラックの曲達を完成させたんです。

同時発音数も少なかったので音に厚みを出すのに苦労しました。

せっかくなので原曲とは違う音を使ったり、テンポを変えてみたりして自分たちなりのオシジナルを作った時の満足感は今でも忘れません。

本当に夢中で音楽と向き合った貴重な時間でしたね。

 

あれから27年が経ちました。

久しぶりに昔を思い出しながらYMOの音楽を聴く今日この頃です。

やっぱり名曲は何年たっても色あせないものですね。