実家がなくなった話

思い返せば今から1年半ほど前の事です。

母から電話でこんな事を言われました。

「家売ることにしたから・・・」

 

突然のことで頭の整理がつかなかったのを今でも覚えています。

事前に何の相談もなく言われたのでただただ驚きました。

 

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私の実家は東京の多摩地区にありました。

今から40年以上前、父と母は結婚してすぐにボロアパートで生活を始めたそうです。

私はそこで生まれ育ったのですが、1歳になる頃、両親は家を買うという一大決心をします。

ボロアパートの隣駅から徒歩20分ほどの何もない場所に分譲された1戸建てです。

周りにはまだ住宅は多くなく、スーパーやコンビニもない不便な場所でした。

しかし、家の前にはなぜか広大な空き地があります。

その広さはなんと約3000平方メートル!

テニスコートが12面入る広さです。

その場所は地域の人からは「自転車公園」と呼ばれていました。

しかし、正式名称は「分校予定地」

そうなんです。

この場所には近い将来小学校が建設される予定だったんですね。

家の前が小学校であれば共働きの両親も子育てをするのに安心でしょう。

また、学校が建てば自然と色々な施設が作られたりもします。

そんな青写真を描きながら両親はその土地に家を買いました。

 

実家は3LDKの2階建てでした。

弟が生まれた3歳ごろからの記憶は鮮明にありますので、こじんまりとした家であったことは覚えています。

しかし!妹が生まれる頃にになると父親が自分の部屋が欲しい!なんてわがままを言い出したので2部屋増築しました。

その4年後、今度は田舎のジジババと親戚が泊まりに来ると困るという事でさらに2部屋増築しました。

極めつけはその2年後です。

今度はリフォームも兼ねてさらにもう一つ広い部屋を作りました。

もはや建ぺい率、容積率を完全に無視した違法建築の家がここに完成したわけです。

最終的には8LDKになったというから驚きです。

おかげで家族全員の部屋はきちんと与えられましたが、無理に増築をしたせいでほとんど部屋が繋がっています。

全て畳の和室で、ふすまで仕切られているだけ!

江戸時代の大奥ような作りでしょうか?

特に2階には最初に家を建てた時からあったドアが2枚のみです。

私は階段を上がって扉を開けてすぐの部屋でしたが、弟と妹は私の部屋を通過しないと自分の部屋に行けません。

私や弟が友人や彼女を連れ込んだ時は妹は非常に気まずそうな顔をしていましたね。

そんな感じですのでお互いのプライバシーなんてほとんどなかったです。

家の中にいれば誰がどこにいて何をしているのか?全て霊長類最強の母にはお見通しです。(あとで聞いた話ではそれが狙いだったんだとか・・・)

居心地が悪いと思ったことはありませんが、なかなかユニークな家で育ったものだとつくづく思います。

 

ちなみに分校予定地に小学校が建設されることはなく、歩いて20分ほどの小学校に通いました。

周辺には特に新しい商店や施設が出来ることなく終わりました。

(ちなみに私が家を出た直後、市役所が建設されコンビニや商店が多くできました。皮肉な話です)

それでも家の前は本当に広い空き地です。

自転車公園と呼ばれるにふさわしい広さでとにかく思いっきり遊べましたね。

思いっきり自転車を走らせても、思いっきりボールを打ったり蹴っても、大声を上げても、花火をしても誰にも迷惑をかけることはありませんでした。

そういった意味では両親の思惑通り、いい環境で育ったんだと思います。

また、これは偶然なのですが、実家は4軒の分譲で建てられたうちの1つです。

そのうちの3軒には同い年の女子が住み始めました。

幼馴染というやつです。

しかも3家族とも3人の子供がいる5人家族で、弟と妹にとっても兄弟のような感じで育ちました。

今でも時々会うと昔話に花が咲くくらいです。

たくさんの思い出が詰まった実家だったんですよね。

 

そんな実家が無くなるという突然のニュース。

ちなみに私は長男です。

カミさんの家業を継ぎ、今では完全にこっち側の人間になってしまいましたが、それでも長男です。

そんな私に何の相談もなしに、話はドンドン進みました。

子供たちが居なくなった8LDKの家は、老夫婦の2人暮らしには確かに広すぎます。

妹が亡くなってからは遺品の整理もほとんどされず、2階はそのままの状態になっていました。

しかし、両親も70歳を超えいよいよ本格的に身辺の整理を考え出したのでしょう。

ここ数年は少しづつ物を片付け始めたんです。

そしていづれはこの家を出て行くようなことを近所の人には話していたんだとか。

そんな時、隣の家に住む幼馴染が2世帯住宅を考えているという事が分かりました。

しかし、お互いにそれほど大きくはない家です。

そこで幼馴染は私の両親に土地を売って欲しい!と持ち掛けました。

もちろんすぐに出ていくつもりはなかった両親は最初は断ったようです。

しかしその半年後、両親の気が変わったのか家を手放す決心をしました。

両親は結局、弟家族の住む埼玉への転居を決めたんです。

 

実家が無くなるという事実は幼馴染からのメールで知りました。

もちろん私が知っているものだと思って幼馴染はメールをしてきたのですが、私がそのことを知らなかったためとても驚いていました。

ま~違法建築の築40年の建物に価値などないですし、親の財産など1ミリもあてにはしていないのでそれはそれでよい話だとは思いました。

しかし、事前に相談の1つもしてくれなかったことに寂しさを覚えたのは事実でしょう。

母親にその不満をぶつけたところ「だってあんたはもうそっちで立派に生活してるでしょう!向こうのご両親の事だけ考えなさい!私たちは死んだ妹のお墓にさえ入れてくれえばそれでいいから!」と言われました。

霊長類最強の母らしいセリフです。

 

実家は見事に姿を消し、今は幼馴染の住む新築が建っています。

寂しさとうれしさとが入り混じったような複雑な気持ちですね。

 

1つだけ許せないことがあるとしたら、私の実家の部屋にあった私物を断りもなしに処分されたことでしょうか?

引っ越す際に必要最低限の荷物は運びだしたのですが、それでも思い出の詰まった貴重な品々はそのまま置いていました。

お気に入りのアーティストのポスターやサイン入りグッズ!

初恋相手からのお手紙!

学生時代の今見たら恥ずかしくなるような写真の数々!

外国へ行った時に買った訳の分からないお土産!

見つかったら絶対に怒られる危険物!

などなど・・・

ま~それらは思い出と共にサヨナラということで!