夢破れる

大学卒業後、新卒で大手居酒屋チェーンに就職しました。

昔から料理の世界で飯を食っていく!と心に決めていた自分にはまさに夢が叶った瞬間でした。

 

就職氷河期という事もあり就職活動は困難を極めました。

筆記試験をクリアしても2次面接あたりで落とされる毎日。

自分はなんてダメな人間なんだろうと落ち込んだこともあります。

ただ、就職活動中はすでに女房も子供もおりました。

何とか仕事を決めなければ!という思いは人一倍強かったんだと思います。

私が入社した大手居酒屋チェーンでの面接では、学生結婚したこと、すでに子供がいることも素直に話しました。

最初は「なんだこいつ?」という目で見られましたが、とにかく必死で現状を訴える姿は面接官の心に響いたそうです。

あとで人事部の方から聞いたそうですが、面接後「こんな変な奴が受けに来た!」とフロア全体がざわついたそうです。

最終面接ではかなり偉い人の前でノートパソコンを開き、当時覚えたてのパワーポイントを使いながら30分のプレゼンを行いました。

最終面接に残った200人の中でそんなプレゼンをしたのは自分だけだったそうです。

狙ったところもありますが・・・

結果的に見事内定をいただきました。

そして、後日人事部の方からこんなことを個別に言われました。

「多くの内定者の中でも君への社内評価は非常に高い!期待しています!」と。

最初は誰にでも言っている社交辞令だと思っていましたが、新入社員研修が始まるとその期待が本物だと気づきます。

研修では最前列の席を常に用意され、ことあるごとに人事部の方に色々な指示を出されました。

グループワークでは当たり前のようにリーダーに指名されみんなをまとめるようにも言われました。

極めつけは入社式です。

その会社では入社式の際、社長の前で新入社員の代表者が「誓いの言葉」というものを読み上げる儀式がありました。

もちろん満場一致で私がその大役に指名されました。

400字ほどの原稿をほぼ暗記して社長の目の前で、しかもかなり大きな声で言わされました。

社長とは研修中だけでなく時々呼ばれて話をしていたのであまり緊張はしませんでしたが、その時の社長の顔は今でも忘れられません。

すごく鋭い眼差しで私の目をじ~っと見ていました。

その目力というかオーラというか圧というか・・・

なんだかすごいものを感じたのを鮮明に覚えています。

 

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こうして晴れて正社員になった私は、すでにアルバイトとして働いていた自宅近くの店舗へ配属されました。

子供が小さいことと転勤や異動があると大変だったので、会社からのありがたい配慮でしょう。

正社員になってからはとにかくバリバリ仕事をしました。

毎日怒られ、怒鳴られ、嫌味を言われたりもしましたが、やっと就けた料理人の仕事にやりがいを感じる毎日でした。

しかし、当時の居酒屋はどこもブラック企業です。

下っ端の自分は、昼過ぎの2時に出社し食材の仕込みを始めます。

お米を炊いたり、和食に重要な「出汁」を時間をかけて取ったり、3時過ぎに搬入される大量の食材を整理整頓します。

4時過ぎに店長や調理長が出勤するのでそれまでにある程度の仕込みをしておかなければいけません。

その後夕方5時にお店がオープンするとほぼ休むなく調理場で働きます。

当時私の勤めていた店舗は非常に繁盛していて、周辺の他の店舗に比べ売り上げが2倍ほどありました。

アルバイトさんと協力しながらとにかくお店を回すことだけを考えて毎日必死でした。

日付が変わるころになるとお店が少しづつ落ち着き始めます。

このくらいに時間になって初めて休憩をいただけます。

しかし、休憩時間もゆっくりはできません。

その日覚えた仕事をノートに書き写したり、次の日の宴会の準備をしたりと休憩とは名ばかりでしたね。

また、店長や調理長、アルバイトさんへのまかない作りも私の仕事でした。

毎日5人~8人分の夕食を作っていた気がします。

午前3時くらいからは閉店の準備を始めます。

使った調理器具を徹底的に綺麗にして、余った食材は次の日に使えるよう丁寧に保存します。

そして午前5時にやっと閉店するわけです。

しかし、その後が大変です。

当時私のお店では閉店後必ず「おつかれ」と呼ばれる反省会が行われていました。

店長・調理長、他の社員さんやアルバイトさんを囲み毎日5~8名で食事をするんです。

もちろんこの席で出す料理も私の仕事です。

その日に使いきれなかった食材をうまく利用して作ります。

もちろんおいしくなかったり在り来たりなものを作ると怒られます。

また、仕事中にミスをした時などはこの「おつかれ」の時間に説教をされます。

新人社員に取っては苦痛な時間でしょう。

それでも私はこの時間が好きでした。

店長も調理長も厳しかったですが、この時はプライベートな話などをしてくれて人間味を感じることができたからです。

「おつかれ」は大体朝の7~8時くらいまでは続きました。

そのあと片づけをして家に帰れるのは大体8時~9時くらいです。

すぐにお風呂に入って寝るだけです。

数時間後の2時にはまた出勤しなければいけませんからね。

 

こんな勤務を月に26~28日繰り返しました。

月のお休みも平均して3~5日くらいだったと思います。

毎日18時間以上は働きっぱなしです。

おかげで給与のほとんどは残業代でした。

手取りは他の新卒者なんかよりも全然良かったと思います。

正直しんどかったですが、憧れだった調理の仕事であることと、若くて体力があったこと、そしてもともとショートスリーパーだったこともあり仕事は順調にこなしていたつもりです。

しかし、ある日状況が一変します。

カミさんに二人目の妊娠が発覚しました。

 

ほとんど家にいられなかったため、子育てはカミさんに任せっぱなしでした。

長男はおとなしい性格で比較的手がかからなかったのですが、二人目を妊娠した妻の負担は増えるばかりです。

初めての子育てへの不安と家事に追われる日々に疲れ果てていました。

ある日、とんでもない光景を目にします。

いつものように仕事を終え帰宅すると、カミさんが玄関からリビングに向かう廊下に放心状態で座っていました。

リビングからは長男の泣きじゃくる声が聞こえてきます。

そしてカミさんの顔は完全に別人になっていました。

いわゆる「育児ノイローゼ」というやつでしょうか?

二人目の妊娠中ということでホルモンバランスも大きく崩れていたのでしょう。

すぐにカミさんを抱きかかえ寝かしつけました。

たまたま翌日が休みだったこともあり、私は寝ずに長男の世話と家事をしました。

夜にカミさんと話をしましたが心も体ももう限界!このままだと子供と無理心中でもしかねない!とまで言われましたね。

それでも仕事には行かなければいけません。

店長にも相談をしましたが新入社員のわがままな家庭事情など聞き入れてもらえるはずがありません。

何とか睡眠時間を削って家族との時間を作るよう努力はしましたが、なかなか家に帰れない日々は続きました。

そして数週間後・・・

決定的な光景を目にします。

家に帰るとまたもやカミさんはノイローゼ気味で放心状態になっていました。

さらに長男の様子が明らかにおかしいのです。

自分の頭を壁にドンドンと何度も叩きつけていました。

しかも泣きながら・・・

カミさん同様に息子もノイローゼになっていたんです。

 

この時ばかりは自分を本当に責めました。

仕事に夢中で家族の異変に全く気が付いていなかったんですね。

すぐに私の両親ならびに義理の両親の協力を仰ぎましたが、まだまだ若かった双方の両親は仕事をしています。

自分たちの都合でなかなか動いてもらえるような状態ではありません。

最終的にカミさんと話し合い仕事を辞める決断をしました。

自分にとっては苦渋の決断です。

長年の夢をかなえてこれからという矢先の出来事にただただ残念な思いと現状を受け入れるのに精一杯でした。

 

後日仕事を辞める決断をしたことを双方の両親に伝えました。

私の父と母、義理母は仕方がないことだ!と理解を示してくれましたがなぜかこの時ばかりは義理父が猛反対をしました。

夢をかなえて一生懸命仕事に励んでいる私の背中を最後まで押してくれようとしてくれたんです。

唯一の理解者が義理父というのもまた皮肉な話ですね。

 

仕事を辞め義理父が経営している今の会社を手伝うことになりました。

飲食業界からいきなり自動車業界へ!

「華麗なる転身」と言えば聞こえはいいですが、この転職もまた非常に大変でした。

数年後、今度は私が鬱になります。

この話はまたの機会に・・・

 

結果的に義理父の後を引き継ぎ今は私が会社を切り盛りしています。

これは必然なのか?偶然なのか?

時々色々と考えてしまいますが、これも宿命をして今は受け入れています。

子供もカミさんもあの時のことなんかすっかりと忘れて今は平和に暮らしています。

めだたしめでたしということで。