尾崎豊

いつも自己啓発的なテーマばかりなので、たまには好きなアーティストについて書きたいと思います。

以前にも書きましたが音楽が大好きです。

音楽と共に成長し、音楽と共にダメ人間になり、音楽と共にオッサンになっています。

今まで数多くのアーティストに出会ってきましたが、私の人生を大きく変えてくれたアーティストを一人あげるとするならば、迷うことなくこの人の名前を上げます。

尾崎豊

 

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尾崎豊の音楽に出会ったのは小学5年生の時です。

音楽好きの父が当時なぜか尾崎豊にハマっておりまして・・・

今思えば、学校の先生という立場でありながら尾崎豊にハマるなんて少し変わった父だと思います。

後から聞いた話ですが、父は当時高校の講師をしていて生徒から勧められて聞くようになったそうです。

父の部屋には尾崎豊のデビューアルバム「十七歳の地図」のレコードがありました。

当時はまだぎりぎりレコードが販売されていたんですね?

まだ10歳の私には尾崎豊のメッセージ性の強い歌詞は当然理解できませんでしたが、楽曲や歌声そのものにはとても惹かれました。

特に7曲目の「愛の消えた街」のメロディーは子供心にかっこいい~と感じた記憶があります。

その後のアルバムも父が買ってくるものですから、気が付けば尾崎豊を聴いている日々が続きました。

 

中学一年生の夏から反抗期が始まりました。

それまで比較的大人の言うことは素直に聞く可愛い少年だったのですが、ある日を境に人が変わったように反抗的な態度をとるようになりまして・・・

ある意味非常にわかりやすい反抗期の始まりだったと思います。

親には暴言を吐き、学校でも先生に反抗的な態度をとり、友人とも喧嘩ばかりの日々。

何かしていても、何か言われても、何もしていなくても毎日イライラしていたものです。

成長ホルモンが溢れるように出ていたんでしょうね。

そして少しだけ賢くなると、尾崎豊のメッセージ性の強い歌詞に次第に惹かれていきます。

大人を憎み、学校を憎み、理不尽な社会を憎み、自分を包んでいる環境そのものを憎むことが正義とさえ思っていました。

「15の夜」を聞いて本気でバイクを盗もうと考えたこともあります。

(実際にはそこまでの勇気と知識はありませんでしたが・・・)

当時学校で書かされた作文に「自分は常に不自由な社会の中で日々生活し、理不尽な大人たちに支配されている奴隷だ!」と書いて先生の失笑をかったこともありました。

毎日肩を揺らしながら蟹股で歩き、汚い言葉を吐き、常に誰かににらみをきかせている!

典型的なたちの悪いガキンチョでしたね。

そのころには父のギターで弾き語りなんぞも始めたもんだから余計にたちが悪いです。

 

中学2年の春、尾崎豊が突然この世を去りました。

そのニュースは尾崎を崇拝していた私にとって、それはそれは衝撃的でした。

どうしても葬式が行われている護国寺に行きたくて、学校を抜け出し電車に乗ろうとしましたが電車賃がなく諦めました。

多くの悲しむファンの姿がTVで映し出されるたびに私も涙を流したものです。

毎日「おざき~!」と叫んでいた記憶があります。

そして反抗期は尾崎の死と共に徐々に収まっていきます。

中学3年生になり受験勉強に専念しだすと反抗期はもはや過去のものになりました。

それでも勉強机のラジカセからは常に尾崎豊が流れていたものです。

 

受験も無事終わり、新たな生活が始まろうとしていた矢先に事件が起こります。

当時学校で仲良くしていた(悪さばかりしていた)連中に尾崎豊の存在を教えました。

すでに亡くなった後でしたが、友人たちは急に尾崎にハマり始めました。

自分の部屋に来ては曲を聴いたり、自分の弾く下手糞なギターに合わせて歌ったり・・・

反抗期が終わった自分にはそれはそれは奇妙に感じましたが、友人たちはどっぷりハマったようです。

 

卒業式の数日前に「卒業」が収録されているアルバム「回帰線」を貸してほしいと言われ手渡しました。

そして迎えた卒業式当日!

学校へ行くと朝から先生方や関係者が大騒ぎしています。

すぐさまパトカーが2台ほど来て警察官が学校に入っていきます。

学校に入るとそこには凄惨な光景が広がっていました。

校舎の窓ガラスがほとんど割られていたのです。

これってひょっとして・・・

案の定アルバムを貸した連中は卒業式には現れませんでした。

間接的でも器物破損に関与したであろう自分を恥じながら卒業証書を受け取ったのが中学生最後の記憶です。

その連中とは卒業式以降全く会っていませんが、今何をしているのだろう?

まともな大人になったのだろうか?と少し心配になると同時に貸したものは返してくれよ!とも思います。

 

高校生になってからも尾崎豊は常に聞いていました。

アルバム「誕生」は数百回と聴きましたね。

今でも時々懐かしむように聴いています。

そんな私がカラオケで歌う曲はほぼ尾崎豊です。

ただ、尾崎豊を熱唱すると若干ひかれる傾向があります。

特にメッセージ性が強いマイナー曲なんか歌おうものなら、ドン引きされたりしますね。

だから最近はなるべく歌わないようにしています。

空気が読める大人になったということでしょう。

さすがに40過ぎのオッサンが15の夜はないでしょうから。

 

尾崎豊の音楽と歌詞は私を大人にしてくれました。

同時に色々なことを考えるきっかけを与えてくれました。

すごく影響も受けましたが、逆に冷静になれる部分もありました。

今の自分のキャラクターや性格を決定づけたアーティストであるのは間違いないと思います。

だからこんなに面倒くさい人間になってしまったんだとご理解いただけると嬉しいです。

久しぶりに狭山湖畔霊園に手でも合わせに行こうかな?と思っています。