「足るを知る」
40歳を過ぎたころからここ数年意識している言葉です。
若い時は本当に何でもできると思っていました。
ちなみに20代の時の座右の銘は
「やってできないことはない!やらなきゃできるわけがない!」でした。
今思い出すと「やっぱり若かったんだな~」と少し恥ずかしくもなるものです。
年齢を重ねるということは「色々なことを諦めていく」ということなんだと最近感じています。
若いころは、やったらやっただけできるようになると思っていましたし、誰よりも努力すれば必ず目的を達成できると思っていました。
だから今日まで自分なりに様々な努力をしてきたつもりです。
中学生で音楽に夢中になっていた時期は本気でミュージシャンになろう考えました。
当時習っていたピアノと並行してギターを必死で練習したり、音楽理論を勉強するために独学で本を読み漁ったり、コードを必死に覚えたりしました。
毎日学校から帰って5~7時間以上は本気で練習していたものです。
高校生の時にはバイトで貯めたお金で高価なシンセサイザーを購入し、作曲&アレンジなんてものもやってみました。
挙句の果てに「俺は天才だ!」と勘違いをしてデモテープをレコード会社に送りつけてみたり・・・
もちろんなんのリアクションもなく、最後はピアノの先生に「あなたじゃ無理でしょう!」と最後通告を受けて夢破れました。
高校2年生の時には「自分は運動神経がいいのでは?」と勘違いして体操部に入りました。
先輩の指導が良かったおかげで4日間くらいでバック転ができるようになり、1ヶ月後には毎日体操場でクルクル回り続けておりました。
このまま本気でやったらオリンピックもあるかも?なんて一瞬考えたほど夢中で練習していましたがレベルはそこまで上がらず、怪我ともに引退となりました。
大学生の時には幼少期から夢見ていた「料理人」になるべくバイトに励みました。
飲食店を4~5件掛け持ちしていたほどです。
オフの日には自宅でも台所に立ち、様々なジャンルの料理を作る毎日!
「よし!このまま料理人として一人前になるんだ!」「将来は自分の店を持つんだ!」と本気で考え、結局大手居酒屋チェーンに新卒で就職しました。
そこで日々調理長にしごかれながら包丁を握っておりましたが、自分の実力の無さを毎日痛感する日々が続きました。
結果、諸事情により今の職業に就くことに・・・
結婚もしました。
子供も3人生まれました。
妻と子供を大切に、いつまでも笑顔の絶えない素敵な家庭を築くんだ!俺ならできる!
と思っていましたが現実は残酷です。
とても理想の夫、父親とは思えないようなグータラ生活を送っています。
この歳まで様々な知識や知恵、情報に触れてきました。
本当に多くの方々との出会いがありました。
多くの素敵なイベントもありました。
同時に悲しい出来事もたくさんありました。
生命の危機に直面したこともあります。
そしてとうとう気が付くんです。
自分は所詮こんなもんだと・・・
一言でいえば「足るを知る」ということになります。
たくさんの現実を目の当たりにしてくると自分の実力がなんとなくわかるものです。
何が出来て何が出来ないのか?
40歳を過ぎたころから非常にクリアに見えるようになってきた気もします。
はじめはそのことを非常に悔しく思いましたが、今は違います。
逆に「できることだけ一生懸命やろう!」と思えるようにさえなりました。
もちろん新しいこと、興味のあることへのチャレンジは続けるつもりですが、若い時ほどの勘違いで突っ走れるようなエネルギーは、もはやありません。
しかし、できることはとことんやろう!逆に自信を持って堂々とやろう!というある意味ポジティブな思考回路が出来上がりました。
そう考えると日々楽しく過ごせるものです。
体も心も日々衰えます。
だからこそ見えてくる世界があると思います。
歳相応の新しい感情や価値観が芽生えたりします。
これらを全て受け入れながら生活することが「歳を取ること」なんだとさえ思います。
「足るを知る」
今置かれている状況は自分が作り出したものです。
できる自分もできない自分も過去の積み重ねと努力と堕落によるものです。
いくら自分を否定しても肯定してもできることは限られてきます。
だから自分をもっと好きになれるよう、自分の心に正直にこれからも生きていきたいものですね?
今日も仕事頑張ります!